自意識の存在
自分の心の位置というか、存在場所というか、そういうものって、みんないつも何処にあるんだろうか。
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わたしはボンヤリしているせいか、いつもはあんまり意識していない。
……のだけど、時々、フッと自分の思考の在り場所に戸惑う時がある。
言ってみれば、大型ロボットの操縦席(これは昔のロボットアニメみたいに頭部にある)に思考回路が乗っていて、そこから動かしている、というような。
一人の人間として一体化しているはずなのに、意識だけが、どこかに組み入れられている感覚というか。
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この違和感は、かなり小さい頃からあって、時々、ハッと気がついて変な感じがして、それから気持ち悪いから気づかなかった事にして、その思考を手放す。
こう書くとかなり、おかしなというか、変な人だけど、心象風景を書く、というのも此処でのテーマなので、少し突き詰めて書いてみようかと思う。まぁ、あまり不気味に思わずお許し願えれば有難い。
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自分の心の存在場所を意識しすぎると、どうも落ち着きがなくなってソワソワしてくる。
それでも、知らず知らずにまた、この自分の意識の居場所確認をしていることに気がつく。
そんな時は、なんだかユラユラしている。
他の人達は、こんなことを考えたりしないんだろうか。
わたしが変なのかなと思ったりもするけど。
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昔から一度気になり出すと、そこに意識が集中して離れなくて敏感になり過ぎて、意識を引き剥がすようにしないと離せなくなることがあった。
一度、気にし出すと、もういけない。
集中しすぎて敏感になった剥き出しの神経が悲鳴をあげてパニックを起こす。
だから最近は、とにかくできるだけ集中し過ぎないように気をつけている。
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何しろ自然体を維持するというのは難しい。
こういうのも自意識過剰というのだろうか。
何かを考え出すと敏感に意識してしまって、身の置き所がないような、いたたまれない様な気持ちになってしまう。
自然体とか、ありのままというのは、意識しないからこそなんだろうけど、そして自分をぼーっとさせて、ぼやかしている時は少しはそうできている気もするけど。
自分の意識を明確にしだすと、それはギクシャクしだして手に負えなくなる。
この意識のバランスの取り方が、わたしは下手なのだと思う。
魂と感情、思考というのも、同じようで少しずつ違う。在る場所も在り方も。
全部引っ括めて自分をつくっているのだけど。
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それにしても、それを統合しているような自分の自意識というやつと向き合って生きていくのは難しい。
いや、自然体でいればいいんだろうけど、それが難しい。
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わたしとわたしの自意識はいつも頼りなく揺れている。
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