いつかこんな冬の終わりに

つきの

冬に生まれて

 冬に生まれたからなのか、冬の冷たい空気が好きだった。

 厚ぼったいような重い夏が過ぎて、秋を通り過ぎる頃、わたしの呼吸はやっと楽になる。


 胸の中に少しずつ溜まってくるような重苦しさは、いつもわたしの憂鬱の種だった。

 花粉の長い時期はアレルギーを酷くするし

 眩しすぎる日射しは、いつも肌をただ赤く焼け爛れさすばかりで、だから空気の張り詰めるほどキリリとした冬をわたしは愛した。


 両親は共働きで、わたしは母方の祖母に育てられた。一人娘であったのと周囲に同年代の子供がいなかったせいもあって、空想癖のある一人遊びの好きな子供だった。


 中でも好きなのは『本を読むこと』子供心に印象深かった本はいくつもあるが、いわさきちひろの絵本「あかいふうせん」も、その一冊だった。

 人間の言葉がわかる赤い風船と少年の友情の物語。

 フランス映画の傑作、「赤い風船」を絵本化したものというのは後日知った話。

 実は映画の方は、いつか観たいと思いながら、未だに観る機会がないままでいる。


 幼心には表紙の大きな赤い風船と少年、それと物語の終わりで描かれる色とりどりの風船が強く印象に残っていた。

 いわさきちひろ独特の透明感溢れる水彩画。不思議に何処か、もの哀しいような寂しいような気がしたのはどうしてだろうか。


 そういえば、この本の季節はいつだったのだろう。

 もう今は手元にないので(あんなに好きな絵本だったのに)思い込みかもしれないが、少年が、とっくりセーターを着ていた記憶があるので勝手にずっと冬をイメージしている。


 そしてこの絵本の空気感は、やっぱり冬という季節が相応しいように思うのだ。



 風船に憧れて、それでも空に浮かぶ風船というのは、その頃は特に現実には、なかなか手に入るものではなく、せいぜいが、フウフウと口で膨らませた風船に紐をつけ、手に持って走ることで、それらしい気分を味わっていた。

 そして、その時の風船は必ず赤で、できるだけ大きく膨らまそうと一生懸命だったのを覚えている。



 最近ふと、人はその生まれた季節を無意識に切なく恋慕うものなのかもしれないなどと思ったりする。



 大判の枯葉色のストールを身体に巻き付けて夕方、ベランダに出る。

 空は今日もまた曇り。何処かトロリと眠りを誘うように。



 雪降ることの滅多にない、この地に生まれ育った。

 それでも、生命を終えていく時の最期に見る景色に、せめて雪が降っていればいいのに。


 白い息を吐いて、わたしはそんなことを思う。

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