謙譲の美徳という罠

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謙譲けんじょう美徳びとく

 人を先に立てて自分は出しゃばらないという美しい行為。

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 日本人らしい美しい行為である。


 わたし自身も祖母や父母から厳しく言われて育った。

 ただ、これには条件がつくと思う。

を思いやれる相手に対して」という。

 

 思いやるには想像力が必要だ。

 もしも、自分が相手の立場だったらどう思うか。

 その想像力がない人を相手にした時に、間違っても「謙譲けんじょう美徳びとく」などと考えてはいけない。

 その時、美しい行為のはずの「謙譲けんじょう美徳びとく」は諸刃もろはつるぎとなって襲いかかってくる。

 わたしは人生の中で、それを嫌というほど学んだ。

 

 想像力なく、強い言葉を持つ相手には、こちらも伝えるべきことを遠慮などせずに言葉にしないといけない。


 これは気弱な人間には、かなり勇気がいることではあるのだけど。

 それでも、ここで踏ん張って、しっかり伝えることを伝えないと、踏みつけにされてしまう。


 悲しいけれど、今の世の中、小さい声の者はかえりみられない。

 察してなど貰えないし、大きな流れの中で消えてしまうだけだ。

 だから、意志を伝えるということは大切。


 ただ、やたらと大きな声を出したり、理不尽に対して腹が立ったとしても、それで相手を罵倒してはいけない


 あくまでも丁寧語ていねいごを崩さず、普段よりもしたテンポを意識して、言葉をハッキリと伝えること。

伝えるべき内容を、できるだけ整理してシンプルにしておくことも大事だと思う。


 腹が立って興奮している時に、人はどうしても早口になる傾向がある。

 だから早口になっているなと気づいたら一度、話の途中でも呼吸を整えることを意識する。



 書いていて、しみじみと感じたのだか、これを実行に移せるようになるまでに、どれだけの苦いものを呑みこんできたことか。

 いや、この歳になっても未だ、上手くバランスをとれずに後悔することも多い。


 バランス、と書いたが、まさにバランスなのだ。

 謙譲けんじょう美徳びとくを知らずに、ただただ我を通しているばかりだと、その時は良くても、いつか憎しみを買うだろう。

 それでも平気な図太い神経があれば、それもひとつの生き方だろうけど、そんな人ばかりでは無い。


 ならば、わたし達は謙譲けんじょう美徳びとくという美しい精神を持った上で、しっかりと見るべきものを見ながらで戦わなければならない。


 自分を助けられるのは自分しかいなくて、それは厳しいことだけど現実だから。


 思いやる心と想像力を持ちながら、まず、しっかりと臆せずに意志を伝えよう。


 

 今日もわたしは自分に言い聞かせる。

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