歳をとるということ
子供の頃は早く大人になりたいと思っていた。
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大人は好きなことができるし、大人は正しいし、大人は力があるって思っていた。
大人になったら、何でも自由にできる。
それは、すごく魅力的なことに思えた。
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思春期になると、できるはずなのに管理されること、規制されることが窮屈で、もどかしくて堪らなかった。
なかなか手を離して貰えないというか、転ばぬ先の杖的なことを、かなりされていたから、尚更、息苦しくもあったし、やり遂げるという自信も持てなかった。
でもこれは個人の資質的なもので、半分付けたままの殻に甘んじていたのは、わたし自身だったのだけど、それは多分、後になって気がついたこと。
その頃は、わかった気になっていたけど、なっていただけで、ただの頭デッカチだった。恥ずかしいばかり。
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20歳を越えたわたしも、そんなに変わっていなかった。
失敗もしたけど、それを自分の糧にするほど自立できていたかは怪しいものだ。
まだまだ甘かったと思う。失敗を恐れる気持ちは人一倍だったし、だから、冒険するということもなかった。
指示を仰いで、大丈夫と言われて初めて踏み出せる感じで、そこから抜け出すには、まだまだ時間と試練を必要としていた。
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結婚して……精一杯してきたつもりだったけど、今思うとまだまだわかった気になっていただけだったなぁと今更ながら。
そんなわたしを、少しでも大人に近づけてくれたのは子供の存在だった。
子供については、いるかいないか、欲しくても恵まれない人もいるし、どの形が幸せかどうかは、それこそ人それぞれだろう。
ただ、わたしの場合でいえば、いてくれて良かった。
わたしは人間として人よりもずっと劣っていたから。
未熟だけでなくて、わかったつもりになっていたことも沢山あったと思う。
当たり前だけど、子供は1人の人格ある存在で、小さくても自分とは別の人間だ。
赤ん坊の時だって可愛いだけじゃなくて、泣いたり喚いたりするし、飲ませて食べさせて、ウンチやオシッコの世話をして、着替えさせて、眠るまで抱いてあやして……それが毎日なんだから、いつまでこんな生活なの?と泣き言もでてくる。
大きくなったらなったで、別の部分で気を揉む。怪我や病気、そして、危険なことはないか、辛い思いはしてないか、キリがない。
わたしは三人の息子を育ててきたけど、何度、心が折れそうな気持ちになったかわからない。当たり前といえば当たり前だ。親子といえども別の人間で別の人格を持っているのだから。思うようにはいくはずがない。
最初の頃以外は一人で向き合わないといけなかったから、尚更、なりふり構わず失敗ばかりだった。どうしていいかわからず親子で沢山泣いた。
でも、だから、わたしはやっと人間になれた。
出来の悪い母親だけど、子供と一緒にしてきた経験全てが、わたしを少しは、まともな人間にしてくれた気がする。
わたしは子供たちを育てると同時に親として育ててもらってきた。
親子共々、まだまだ道の途中で、迷っている最中だけど、子供たちと出会わせて貰えたことには感謝しかない。
***
歳をとるということは、衰えていくことでもあって。
思うようにいかなかった人生を振り返って切なくなる時もあるけど。
それでも、沢山の想い出や経験をしてきて、今のわたしがここに在る。
失くしたものも多いけれども、得たものも沢山あって。やっとわかってきたこともあって。
シワやシミは増えたけど、わたしは多分、昔のわたしよりも、今のわたしの方が好きだ。
少しは、ほんの少しだけど、いい顔して笑えるようになったかな、と思ったりする。
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