美というものについて考える

 主に外面の美について考えてみる。


 ***


 今の時代、女の子は皆、可愛らしい。

 上手く言えないのだけど、可愛らしいけど、みんな同じような可愛さなので、見分けがつきにくい(ように見える)

 ナチュラルメークが上手で手足が長くてスラッとスタイルがいい。

 男の子もそう。顔立ちは整っているけど、みんな似ている(ように見える)


 これは、わたしがオバサンになったからそう見えるんだろうか。


 確実に昔よりも整っているのに、画一的に見えてしまうのは、どうしてなんだろう。

(ただ、わたしの顔認識機能がポンコツなだけかもしれないけど)

 不思議で仕方ない。



 何でもそうだけど、美の基準もまた曖昧だ。

 いや、確かに圧倒的に整った美しい人は確かにいる。

 でも、そんな人であっても100%の支持は得られない気がする。

 そして、ただ整っているだけでは多分、人は飽きてしまうのだ。

『美人は三日で飽きる』というのも、かなり真実を突いている気がする。

 結局のところ、表情とか醸し出される雰囲気とか、そういうものがあってこその外面の美なのかもしれない。


 加えて人には好みがある。

 その美しさに心惹かれるかどうかは、それこそ人それぞれ。

 基準は、時代によっても変わる。

 結局、美の基準って何とも曖昧だ。


 だけど、だからこそ面白いんだろうなとも思う。


 みんなが同じ顔で同じ美しさなんて、つまらないものね。


 *


 それと、これは美人でないわたしは想像するしかないわけだけど、あんまり美人すぎたら(それこそ完璧に限りなく近い美人さんとか)それが、ちょっとでも損なわれると気になっちゃうのかなぁとか。


 変な話、わたしの顔にシミ、ソバカスが増えても(嫌だけど、すごく嫌だけど)でも、そのうち慣れてしまいそうな気もする(女子力の問題か、それとも近視と乱視がこの際、程よく効いているからか)

 他人に至っては気づきもしまい。

 そりゃそうだ。多分それが最初に見つかった一つ目のシミでも気が付かれない自信がある。


 こんな時、さすがに整っていればいるほど、それは目立ってしまいそうだし、美しすぎる人というのは、普通よりも気を張る大変なものなのかもしれない。

 そう思うと、美人にはそれなりの心構えがいりそうだ。

 まぁ元々、美しさMAX標準装備なら、当たり前だから、そんな意識することもないのかな。

 想像するしかできないので永遠の謎だけど。


 *


 それでもやっぱり、少なくとも自分なりの美意識は誰もが持っているだろう。

 自分にとっての譲れない部分とか気持ち。


 わたしだって、今更のシミそばかすに絶望しないまでも、溜息は出る。

 少しでも消えないかなぁとクリーム塗ったりしている。

 もう若いとは言えない歳になっても、それはやっぱり思うし、おばあちゃんと言われる年齢になっても気にしていると思う。


 それはそんなもんだ。


 ***


 面の皮一枚とはいえ、美というものは、なかなかに心悩ますものであるなぁ。


 ふぅ……。

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