心の中のこと
このエッセイのような、独り言のようなものを書こうと思ったのは、自分の心と少し向き合ってみたくなったからかもしれない。
***
どちらかというと、内側に向かって考えるということは、よくしているのだけど、それはどこか少し、視線をずらした様な感じだったりするから。
一度、ちゃんと目を見て話してみたくなったのだ、わたし自身と。
いや、そんなキッチリと、ずっとは見ていられない。そんな度胸はない。
けれど、一瞬でも目を合わせることができたら、と思った。
*
察したり想像してみたりしかできない。
寄り添うことは出来ても、重なることはできない。
それが出来ると思うのは傲慢だろう。
でも、なら自分の心は隅から隅までわかるのか、と言われたら、わたしには答えられない。
自分では、こうだと思っていたはずのことが、実は思い込みに過ぎなかったり、寧ろ反対のことを考えていたり。
そういうことって結構ある。
無意識に気持ちと反対のことをしていたり、それが自分の本心だと思い込もうとしていたり。
気づかないふりをすることで、本当はその方が、ずっと苦しかったりするのに、どうしてなんだろうと思うけれど、そうせずにはいられなくて。
*
自分を見つめるのは、いつでもとても怖い。
そんなに、ちゃんとした人間ではないことも、闇を抱え、薄汚れていることも、誰より自分が知っているから。
多分、全てを直視するのには耐えられまいと思う。
でも、だからまったく見ないふりができるというわけでもなかった。
矛盾している。
どうにも中途半端だ。
でもそれが、わたしという人間なのだった。
*
いつも思うのは、みんなちゃんと出来ているのに、わたしはどうして出来ないんだろうということだ。
例えば、呼吸することは必要なのに、不意に呼吸の仕方がわからなくなるみたいな。
当たり前に出来ていたはずのことが、意識してしまうと、どうやっていいのかわからなくなってしまう。
息を吸って、息を吐いて、これで良かったのだろうか? 間違えてはいない?
不安でたまらなくなる。
臆病なのだ、わたしは。
***
心の中はいつも混沌としている。
きっと、考えないのも良くないかもしれないけれど、考えすぎてもいけない。
そう言い聞かせる。
自分で迷路を作り出して、それを複雑にして迷ってしまっては本末転倒だろう。
わかっていても、わたしはいつも頼りなく迷い続ける。
だから、少し目を逸らしながら、時々こうして向き合うくらいが、丁度いいのかもしれない。
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