怒るということの必要性
実は、元々あまり怒るのが得意ではない。
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これは多分に、気の弱さからきている。
それから、自己主張が下手で争いごとが苦手なのもある。
争うというか議論するには(諍いと必要な議論はまた別のものだけれど)それなりの気力が必要だけど、特に最近はそういう気力が無い。
言ってしまえば、そういう事に神経を向けるのが面倒臭くて疲れるようになってしまった。
だから、それくらいなら、自分がひいた方がいいと思ってしまう。
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でも、本当はきっと、不本意であること、あまりにも理不尽なことには、キチンと怒った方がいいのだ。
そうしないと伝わらないから。
理不尽なものが、そのまま良しとして、まかり通ってしまうから。
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ただ、分かり合える為の議論ならいいのだけど、見当違いの一方的な解釈に関しては、それが難しいことがある。
言葉が通じないというか、理屈が根本的に違う時。
論点がズレていて、それを戻そうとしても、すり替えられて無理、または長大な気力を必要としそうな時。
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自分の精神力を、これ以上削っても虚しいだけだと思う時には、わたしは怒るのを止める。
凄く傲慢な言い方になるけど、そんなに親切な博愛主義者ではないから。
理解し合えない人間同士というのはやっぱり、ある。
どちらが良い悪いというよりも、それはお互いの価値観の違いになるんだろう。
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怒るということは、まだ相手と関わろうと思い、理解できないかと試行錯誤することだ。
それをしても噛み合うことはないのだと感じた時、わたしはどれだけ腹が立っても、それ以上、議論はしないし、怒りの感情なども見せない。
そういう時のわたしは冷たいと思う。
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でも、どれだけ気力、労力を振り絞ろうとも、心を削られようとも、どうしても怒らねばならない時というのはある。
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とはいえ、これは怒り慣れていない人間からすれば、かなり難しい。
抑えることに慣れていると、その方がラクに思えてしまうから。
やり過ごして波風立てない方が、伝わらないと砂を噛むような虚しい思いをするよりもマシだと思ってしまうからだ。
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それでも……それでもやっぱり本当は、怒るということを完全に手放してしまってはいけないのだと思う。
これだけは譲れないという、大切なものの為だけには、怒ることのできる人間でいなければ。そうでありたい。
わたしは、こんなにちっぽけで臆病な弱虫だけれど。
その気力の全てを賭けても、守るために怒らねばならない時はあると思っている。
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