自分を認めてやるということ
今更だけど、わたしは自己肯定感が低い。
自分に自信が持てないし、若い頃はもっと卑屈だった。
謙虚であれ、というのは昔気質の祖母や両親から言われてきたことではあるけど、あまりにもそれが過ぎると、自信の無さになり、どんどん卑屈になってしまう。
少なくとも、わたしはそうだった。
不必要な程に自分を卑下する。
「わたしはダメだから」
というのは、ある意味、とてもラクな逃げの呪文だ。
そう言っていれば、失敗しても
「ほら、やっぱりダメだったでしょう?」
と、いかにも”我が身を知っているポーズ”ができるから。
失敗することを極端に恐れていたわたし。
まるで失敗したら、その時点で全てが終わるような気がしていた。
なんと愚かなこと、と今ならわかるけど、とにかく怖かったのだ。
誤解されそうだけど、わたしは一人娘で甘やかされはしなかったけど、でも愛情をかけて育てて貰ったと思っている。
ただ、祖母はその人生で、かなり辛苦をなめて生きてきていたし、父は昔の武士のような所があった。
祖母は失敗の恐ろしさを繰り返し説いたし、父は転ばぬ先の杖で、失敗をさせないようにと管理を徹底した。
どちらにしても全ては愛情からなのだけど、わたしは自分のする事に自信が持てずに、常に祖母なり父なりに指示を仰ぎ、確認しないと安心できないような人間になっていた。
指示を仰いでいれば、間違えないはずだ。
間違えるのは怖い。
わたしは間違えない自信はない。
でも、これ結局は資質の問題で誰のせいでもなく、自分の精神的弱さに過ぎないのだけど。
***
これといって大きな失敗?躓き?がない間はまだ良かったけど、人生はそうはいかない。
大人になったわたしは、何度も壁にぶち当たった。グレるとか反抗期とか、そういうのではなくて、極めて良い子のままで。
それ故に脆弱な精神はすぐに、へたりこんでしまう。
自分というものがわからなかった。
仕事では変に真面目過ぎて?やり過ぎて身体を壊してしまう。
できないこと、失敗をするまいなどと(ヒヨっ子が、そんなことは無理なのに)する余りに、休みも取らずにやって、その挙句倒れるなんて、なんて人迷惑なことだったろう。今でも、申し訳なかったと顔から火が出る思いだ。
今ならわかる。
バカヤロウだと思う。
でもそれを知るためには、まだわたしは独りよがりの空回りを何度も繰り返さなければならなかった。
***
夫との死別や、その前後の出来事は、そんなわたしを鍛え直してくれたし(かなりなスパルタだったけれど)それから、子育てというのも甘ちゃんだったわたしを少しは人らしく育ててくれた。
思うに実際に自分自身で向かい合ってきたことは、それが上手くいったにせよ、いかなかったにせよ、自分というものを知るキッカケになる。
失敗すれば、間違えれば傷を負うし、痛い。
でも実際に痛みを知ってからこそ、わかることのなんと多いことか。
知ったつもりの傲慢、初めて自分の卑小さに気づいたあの時。
そして、やっと思った。
沢山の間違いをして、失敗をして、恥ずかしいほどに知ったつもりになっていたけど、全然わかってなかった、わたし。
そんなわたしを認めてやろう、と。
こんな、わたし。
これが、わたし。
迷い道ばかりの不器用者のわたし。
だから、わたしだけは、わたしを認めてやろう。
卑屈になるのじゃなくて、卑下するのじゃなくて。
それでも怖いけど。
染み付いたこの有り様は簡単に変えられはしないけど。
一つから、一歩から。
わたしは今、わたしと向き合っていきたいと思っている。
わたしを、もっと知りたいと思っている。
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