一休禅師の言葉
ふと、
生きるということは、死に至るまでの準備期間なのかもしれない
などと考えることがある。
そんなネガティブで身も蓋もないことを……と言われそうだけれど。
そして、一休禅師(一休宗純)※の
「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」
という言葉を思い出す。
「生まれては、死ぬるなり。釈迦も達磨も、猫も杓子も」
こちらは『一休咄』より。
少しずつ
わたしなぞは小心な臆病者なので、時々、途方もなく怖くなる時がある。
死そのものというよりも、その前の死にゆく時間に。
死後よりも、その前の痛さ苦しさの方に怯えるというのだから
生と死は真反対のように見えるけれど、表裏一体でもあると感じる。
だから、わたしのように精神的に未熟な人間は、死に至るまでの間に沢山の心の修行が必要なんだろうなと、思う。
*
「世の中の生死の道に連れはなし。ただ寂しくも独死独来」
これも一休禅師。
寂しいことのように思えるが、削ぎ落とした言葉は静かに心へと迫る。
*
無宗教で俗物なわたしが、こんなことを言うのは似合わないけれど。
何だか
小難しく考えすぎずに
ただ無心に生きよ、と
頭を撫でられているような気がするのだ。
※一休宗純
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91%E5%AE%97%E7%B4%94
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