一休禅師の言葉

ふと、

生きるということは、死に至るまでの準備期間なのかもしれない

などと考えることがある。

そんなネガティブで身も蓋もないことを……と言われそうだけれど。


そして、一休禅師(一休宗純)※の


「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」


という言葉を思い出す。



「生まれては、死ぬるなり。釈迦も達磨も、猫も杓子も」


こちらは『一休咄』より。



少しずつ最期終わりへの道に向かっていくのが人間の生というもので、それこそ誰もが免れないのが行き着く先にある死というもの。


わたしなぞは小心な臆病者なので、時々、途方もなく怖くなる時がある。

死そのものというよりも、その前の死にゆく時間に。


死後よりも、その前の痛さ苦しさの方に怯えるというのだからざまは無い。



生と死は真反対のように見えるけれど、表裏一体でもあると感じる。

だから、わたしのように精神的に未熟な人間は、死に至るまでの間に沢山の心の修行が必要なんだろうなと、思う。



「世の中の生死の道に連れはなし。ただ寂しくも独死独来」


これも一休禅師。


寂しいことのように思えるが、削ぎ落とした言葉は静かに心へと迫る。



無宗教で俗物なわたしが、こんなことを言うのは似合わないけれど。


何だか


小難しく考えすぎずに

ただ無心に生きよ、と


頭を撫でられているような気がするのだ。



※一休宗純

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91%E5%AE%97%E7%B4%94

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