「没イチ」という呼称
先日、初めて「没イチ」という呼称があることを知った。配偶者と死別した人のことを、そう呼ぶらしい。
この呼称をつくったらしい人の本をネット書店で見かけた。ご本人も配偶者を亡くされていて「没イチの会」というのを主催されている。
『亡くなった配偶者の分まで楽しく生きる』というのが「没イチの会」の考え方 という。
それ自体は素晴らしいと思う。
その活動や、その本を読んで元気が出る方、救われる方もいるのだろうと思う。
ただ、わたしは配偶者を亡くした人に「没イチ」という呼称をつけた時点で共感できない。
なんで没イチ?と思う。
なんてデリカシーのない呼び方だろう。
これを考えた、自らも配偶者を亡くしたという主催者の方には、それなりの思いもあってのことなんだろうけれど。
だから、その心を知らないわたしには、全面否定などする権利は勿論ない。
それでも、わたしの「没イチ」に対する不快感をあらわすことくらいは許されるだろう。
この言葉は多分、離婚された方の「バツイチ」という呼称を意識しての呼称だと思う。
「バツイチ」という呼び方にも不快感を感じる人はいると思うし、むしろ深刻になりがちなことを少しでも重くならないように、という配慮からの言葉だと捉える人もいる。
これは「没イチ」にも言えることなのかもしれないけれど。
それにしても、なぜ「没」なのだ。
意味
①しずむ。水中にしずむ。おぼれる。また、もぐる。②地中にうずまる。 ③うちこむ。はまりこむ。④かくれる。かくす。 ⑤なくなる。なくす。うしなう。 ⑥ほろびる。おちぶれる。 ⑦おわる。し(死)ぬ。 ⑧とりあげる。⑨ない。
ああ、確かにね。意味は合っている。
でも、でも、この文字を使ってしまう無神経さが、わたしには理解できないし、拒否反応を起こさずにはいられない。
この言葉に納得する人たちが内輪で使う分にはまだしも、呼称として広げないで欲しいと切に願う。
わたしが配偶者と死別して、もうすぐ20年になる。
わたしは「没イチ」などと呼ばれたくはない。
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