善悪と正義の危うさ
善も悪も、ただ、どちらかだけしか持たない人なんていないだろうと思う。
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善と悪という定義さえも、主観が変われば簡単にひっくり返ってしまうように、それは単純なものではない。
人間の中には色々な感情があって、他人や社会との関わりの中で、それは善悪というものに変化していく、とでも言えばいいのだろうか。
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100の善も100の悪も無いと思っている。
寧ろ、そんなに簡単に迷いなくスッパリ割り切れるものなら、人はこんなに苦しむこともなかったのかもしれない。
けれど、そんな世界は、とてつもなく怖い。
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人の心の中には一つの境界線があるような気がする。
善悪の、というよりも踏み越えてはならない線の様なもの。
そして、多くの人は自分がその線を越えることなどないと思っている。
何故だか、そう信じきっている。
でも本当にそうなのだろうかと、時々考えてしまう。
この境界線は実は、とても呆気ないものなのではないか?
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わたしの好きな作家さんに『京極夏彦』さんがいるが、この方の「魍魎の匣」は、いつもわたしに問いかける。
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「 雨宮は、今も幸せなんだろうか 」
「 それはそうだろうよ。幸せになることは簡単なことなんだ 」
京極堂が遠くを見た。
「 人を辞めてしまえばいいのさ 」
出典:『 魍魎の匣 』 京極夏彦 より
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ネタバレにはなるまいと思うので、わたしがこの物語で深く心に残った台詞をここに。
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人が境界線を越えることは、実はとても危ういほどに簡単なのだ。
ほんの、ひと押し、ちょっとした切っ掛け。
『魔の刻』は決して他人事などではないと思う。
そして、一つきりの『正義』なんてものは、ないのではないか、とも。
沢山の『正義』があり、『正義』と『正義』は、それ故に時にぶつかり合いすらする。
だからこそ『正義』を振りかざすことは怖い。それは返す刀で、いつか自分を斬ることにもなりかねないから。
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人とは、そんなに強いものか?
そうではないだろう。
でも、それでも、” 人を辞めてしまえば ”ラクになれるかもしれなくても、その瀬戸際で多くの人は踏みとどまる。
どれだけ辛くても、やはり人でいたいから。
人として生きたいから。
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絶対のない善悪に揺れながら、哀しみと迷いの中にユラユラと立ちながらでも、足を踏ん張る、踏み締める。歯を食いしばる。
人であることを忘れたくないから。
人として生きて、人として死にたいから。
多分
あなたも。
そして
わたしも。
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