善悪と正義の危うさ

 善も悪も、ただ、どちらかだけしか持たない人なんていないだろうと思う。


 ***


 善と悪という定義さえも、主観が変われば簡単にひっくり返ってしまうように、それは単純なものではない。


 人間の中には色々な感情があって、他人や社会との関わりの中で、それは善悪というものに変化していく、とでも言えばいいのだろうか。


 *


 100の善も100の悪も無いと思っている。

 寧ろ、そんなに簡単に迷いなくスッパリ割り切れるものなら、人はこんなに苦しむこともなかったのかもしれない。

 けれど、そんな世界は、とてつもなく怖い。


 *


 人の心の中には一つの境界線があるような気がする。

 善悪の、というよりも踏み越えてはならない線の様なもの。

 そして、多くの人は自分がその線を越えることなどないと思っている。

 何故だか、そう信じきっている。


 でも本当にそうなのだろうかと、時々考えてしまう。

 この境界線は実は、とても呆気ないものなのではないか?


 ***


 わたしの好きな作家さんに『京極夏彦』さんがいるが、この方の「魍魎の匣」は、いつもわたしに問いかける。


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「 雨宮は、今も幸せなんだろうか 」


「 それはそうだろうよ。幸せになることは簡単なことなんだ 」


 京極堂が遠くを見た。


「 人を辞めてしまえばいいのさ 」


 出典:『 魍魎の匣 』 京極夏彦 より

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 ネタバレにはなるまいと思うので、わたしがこの物語で深く心に残った台詞をここに。


 ***


 人が境界線を越えることは、実はとても危ういほどに簡単なのだ。

 ほんの、ひと押し、ちょっとした切っ掛け。

『魔の刻』は決して他人事などではないと思う。

 そして、一つきりの『正義』なんてものは、ないのではないか、とも。


 沢山の『正義』があり、『正義』と『正義』は、それ故に時にぶつかり合いすらする。


 だからこそ『正義』を振りかざすことは怖い。それは返す刀で、いつか自分を斬ることにもなりかねないから。


 *


 人とは、そんなに強いものか?

 そうではないだろう。


 でも、それでも、” 人を辞めてしまえば ”ラクになれるかもしれなくても、その瀬戸際で多くの人は踏みとどまる。

 どれだけ辛くても、やはり人でいたいから。

 人として生きたいから。


 ***


 絶対のない善悪に揺れながら、哀しみと迷いの中にユラユラと立ちながらでも、足を踏ん張る、踏み締める。歯を食いしばる。


 人であることを忘れたくないから。

 人として生きて、人として死にたいから。


 多分


 あなたも。

 そして


 わたしも。

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