自分で選ぶことの意味

 どんな人でも、後悔のまったくない人生なんてものは無いような気がする。

 大なり小なり、間違えたり、失敗したりしながら、そこから学びながら、わたしたちは生きている。


 そんななかで思うのは、自分で考えて選ぶことの大切さだ。



 わたしはいつも選び損ねる。

 右と左のどちらかが良いもので、もう一つがショボイものだった場合、わたしは、たいていショボイ方を選んでしまう。


 見る目がないとも運が悪いとも言えようが、しかし、少なくとも自分で選んだ場合だから諦めがつく。

 仕方ないよなあ、わたしが選んだんだもの、と思える。


 これが他人ひとに決められて、ショボイ方に当たったら、お猪口の器のわたしは、その人のせいにしてしまいそうだ。


 誰かに選ぶことを託せば責任を負わずにすむ。

 結果、誰かのせいにしてラクになることも確かにあるし、それが悪いばかりではないとは思う。


 だけど、ズルズルとそれがクセになってしまったら、自分はどうにもならない過去に囚われてしまう気がする。


 自分で決めるということは、選んだことの責任を(嫌でも)自分でとらなくてはならない。

 その時は、苦しい。

 だけど、その選んだことに囚われず、落ち込んでも次の道を歩きだすことができる。


 それが大切なのだと思う。


 自分で自分なりに考えて、そして、選ぶ、結論を出す。

 相談したり、意見を聞くことは大切だけど、最後の最後に決めるのは選ぶのは自分自身がいい。


 これは、自分自身わたしの人生なのだから。

 失敗しようと間違えようと、少なくとも自分の人生の道は自分で選んで生きていきたい。


 それが生きるということだと思う。

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