人間の侵略③
数十分前。
銀色の鎧を身に纏う如何にも軍人らしい中年男は、馬に跨りながら僅かに伸びた茶色の顎髭を擦り、現時点の状況に違和感を覚えていた。
彼は帝国の一軍を任された将軍の一人であるが、あまりに行軍が順調なことに眉を顰めずにはいられない。
帝国から出兵した軍隊の数は八万、これだけの数がいれば否応なく目立つ。更に行軍をしているのは障害物の少ない草原で見通しも良い。
魔族が動き出しても何ら可笑しくない状況下で、未だ立ち塞がる魔族がいないのは不自然極まりないことだ。
「どうなっているボルコフ。南の大陸――サウスガイアに入って一日が経つというのに、魔族は疎か魔物すら姿を見せないのはどう考えても可笑しくはないか?」
隣で肩を並べて歩いてたボルコフと呼ばれる金髪の青年は、遠くに目を凝らして唸るような声を上げた。
「う~ん、確かにシュナイダー将軍の言われた通り少し変ですね。斥候隊を出そうにも、これだけ視界が開けていては意味をなさないでしょう。斥候隊が敵を見つけるより先に見つかるのが落ちです。隊列も伸びていることですし、この辺で後続の兵士を待って隊列を組み直した方がよろしいのでは?」
敵の攻撃に備えるなら至極当たり前のことだが、シュナイダーは首を横に振りボルコフの案を否定した。
「悪いがその案は却下だ。相手の戦力も分からず戦いを挑もうというのだ。軍を纏めたところで勝てるとは限らない。それどころか退路を断たれて全滅もあり得る話だ。隊列を長く保てば、それだけ後続の兵士を逃がすことが出来る。副官のお前には悪いが敵が現れても積極的に戦うなよ。一戦交えたら陛下も納得してくださるはずだ。後は一目散に逃げるからそのつもりでな」
シュナイダーは白い歯を見せニヤリと笑う。
勇猛果敢な帝国の将軍から出る言葉とは到底思えないが、ボルコフもその案には概ね賛成だ。
新たな拠点を作る資材もなければ籠城する食料の持ち合わせもない。今回の出兵が相手の戦力を測るための様子見なのは分かり切ってたことだ。
八万の兵士を収容できる大きな街を占拠し、十分な食料を奪うことができれば話は別だが、もし仮にそれだけの街を発見できても簡単に占拠できるはずもなかった。
「帝国の将軍としては褒められた言葉ではありませんが、正直なところ私もシュナイダー将軍と同じ意見です。例え戦いで勝利を収めたとしても、ここは敵地のど真ん中。いつ何処から敵の増援が現れるかも分かりませんからね。この大陸に留まること自体が自殺行為です」
お手上げとばかりに手の平を見せるボルコフにシュナイダーは笑う。
「まったくその通りだ。魔族の住むサウスガイアに侵攻するなど、陛下も無茶なことを言い出したものだ。過去の文献を見ても成功した試しは一度もないというのにな」
ボルコフも同意とばかりに頷くが帝国にも事情はある。
「ですが隣国とは休戦協定を結んでいるため攻め込むことはできません。唯一攻め込める場所は交流の持たないサウスガイアだけです。それに南の大陸と陸続きで繋がっているのは帝国だけですからね。陛下は少しでも領土を拡大して帝国の優位性を保ちたいのでしょう」
「下手をしたら甚大な被害が出るというのに、前線で戦う兵士のことを少しは考えて欲しいものだ」
シュナイダーは深い溜息を漏らす。
帝国は魔族の情勢を探るため、何年も前から斥候隊を放っていた。それらは情報を持ち帰ることを優先された選りすぐりの手練れだが、未だ戻った者は一人としていない。それは即ち逃げることすら敵わない相手がいることを示唆している。
「はぁあ、貧乏くじを引かされたかな……」
勝っても負けても帝国へ逃げ帰ることが確定した戦だ。如何に様子見とは言え、帝国に戻れば周囲の厳しい目は避けられない。
シュナイダーが気を取り直して前方に視線を向けると、微かに人影が揺らめく姿が視界に入る。
「あれは魔族か?」
シュナイダーの声に反応してボルコフも目を凝らす。
確かに視線の先には薄らと人影らしきものが映り、それは徐々に大きさを増して近づいているのが見て取れた。
灰色の肌をした亜人と思しき女性は、足首まである長いマントを靡かせながら悠然とこちらに向かっていた。
髪は複数の色が混じった斑色の長髪で、その特徴は文献に記された魔王の特徴とよく似ている。
解せなのは一人で現れたことだ。
「シュナイダー将軍、あれは古い文献に載っていた魔王の特徴と一致します。どうされますか?」
「――魔王のことが記された文献は千年も前も物だ。噂では魔王は歳を取らないと聞くが、同一人物かは疑わしいな。それに相手は一人だ。もしかしたら何らかの交渉に来た可能性もある。念のため戦う準備は必要だが、俺が合図をするまで攻撃はするなよ」
ボルコフは頷き了承すると後ろを振り返り声を張り上げた。
「第一陣は横に展開! 第二陣は後方で弓を用意しろ!」
号令により兵士の間にも緊張が走る。
即座に動いたのは先頭の数百人だけだが、一人に対しては十分過ぎる数だ。
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