特訓の後
ジークハルトは呆然とその姿を眺めていた。
衝撃が襲い熱波で肌が焼けようとも、その場から一歩も引かず目を逸らすことが出来なかった。
アグニスが本気を出していないのは見てわかる。剣を得意とするアグニスが無手の時点で実力の半分も出せてはいない。
しかも、本来は攻撃を得意とするアグニスが防戦ばかり、使用した魔法も戦術級以下の取るに足らないものだ。
魔装も使用していなければ、やる気も感じられない。
当然だ。アグニスが本気で戦うつもりなら実戦訓練などさせていなかった。
端的に言えば、アグニスは初めから勝利を目指して戦っていなかった。良くて引き分け、それがアグニスの落としどころだったのかもしれない。
だとしてもだ。
誰が信じられるだろうか? 僅か三歳の幼子が魔法を巧みに操り、魔族の実力者であるアグニスを殴り飛ばすことなど。
まるで夢か幻を見ているかのようだった。
同時にあれが自分の主だと思うと誇らしくもある。ジークハルトは喜びに体を震わせるほど、カオスの力に魅せられていた。
「では参りましょうか」
ハデスの言葉でジークハルトは歩き出す。
敬愛する主のもとへ――。
アグニスは程なくして目を覚ます。
固い土の感触と風で流れてくる草木の臭い。アグニスは痛む側頭部に手を当て、視界に入る大空を見て自分の状況を直ぐに理解した。
「そうか、負けたのか――」
地面に仰向けに倒れていたアグニスは、のそりと立ち上がり近くの気配に笑いかけた。実戦訓練の最中ずっと追い続けていた気配だ。見ずとも誰かは分かっている。
「私の完敗です」
そこにはムスッとしたカオスの姿があった。
口をへの字に曲げて、さも不機嫌そうに睨んでいる。
「お前、手加減しすぎだぞ! 私が分からないとでも思ったのか? 結局一度も攻撃して来なかったではないか!」
「そのようなことは決っして――」
「嘘をつくな! 嘘つきは泥棒の始まりだぞ!」
アグニスは言葉を探す。
カオスの言っている意味は分からないが、怒っているのは確かだ。
「――カオス様の戦い方がお見事だったのです。特に最後の攻撃は完全に不意を突かれました。よもや転移魔法もお使いになられるとは、流石は魔王様です」
実はアグニスに勝ったことでカオスの溜飲は下がっている。
怒る素振りを見せたのは今後のことを考慮してのことだ。毎日のように手加減されては、自分のためにならないことをカオスはよく知っている。
厳しく対応するつもりが、褒められたことでカオスの口元が僅かに緩んだ。
「そ、そうか? 実は最後の攻撃は結構自身があったのだ。カサンドラに使った時も褒められたからな。ただカサンドラが言うには転移直後は隙が出来るから、通用するのは格下か、もしくは手の内を知らない相手だけだそうだ。まぁ、実際のところカサンドラに攻撃が成功したのは最初の一回だけで、警戒されてからは転移したところを叩き落とされていたからなぁ……」
懐かしそうに語るカオスの顔は怒ることなど忘れていた。
実戦訓練が如何に罰とは言え、心の強いアグニスでも主に嫌われるのは耐え難いことだ。カオスの気が紛れたこてでアグニスは胸を撫で下ろす。
「帰りましょう。皆が待っています」
「今日はこれくらいでいいか。よし、帰るとしよう」
意気揚々と歩き出すカオスの後をアグニスが付き従う。
大切な主の身を守るために――。
後日、近くにある大きな湖がカオスの収束魔法で作られたことを知り、アグニスとジークハルトが目を丸くしたのは言うまでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます