管理する者③
「爺は先ほど多くの国を滅ぼしてきたと言ったが、具体的にはどれほどの数だ?」
ハデスは虚空を見上げ、顎を擦る仕草をしながら七百……、八百……、と言葉を漏らす。亡ぼした国を数えているのだろうが、予想を上回る余りの多さにカオスの表情が曇った。
程なくして漏れていたハデスの言葉が止まり、カオスと視線が合う。
「
「……せ、千か」
思わずカオスの顔が強張った。
単純計算なら千年に一度は国を滅ぼしていることになる。長い歴史の中で見れば少ない数なのかもしれないが、カオスから見れば途方もない数だ。
「――それは全て私の父が亡ぼしたのか?」
「左様でございます」
恭しく頭を下げるハデスにカオスは眉をひそめた。
前世の記憶がなければ流石父だと褒め称えていたかもしれない。それが子として、魔族として当たり前のことだとカオスも分かっていた。言葉を頑なに拒んだのは人間として暮らしてきた佐藤航の記憶だ。
単純に千の国と言っても、そこで暮らす人間の数は計り知れない。一体どれだけの人間を殺したのか、それを今度は自分がやらなければならない重責もある。
(滅ぼした国が多すぎる……。仕方ないとは言え、父は人間の国を亡ぼすときにどう思ったんだろうか……。母は――)
ふと両親のことが頭を過ぎった。
父は何を思い国を滅ぼしたのか、母はそんな父をどう思っていたのか。それ以前にカオスには両親との思いですらない。
肖像画を見たこともなければ、どんな両親なのかも詳しく聞いたことがなかった。それもそのはず、母のアリシアが出産直後に命を落としていることが、カオスの口を閉ざしていた。
自分のせいで母が死んだと聞かされたら――、それが怖かったのだ。
だが、いつまでも現実から――真実から目を背けることはできない。いつかは知ることになる話だ。
(俺の両親か・・・・・・)
カオスは一呼吸置いて口を開いた。
「なぁ爺、私の父はどんな姿をしていたのだ。やはり百万年も生きていると爺よりも老けていたのか?」
唐突な話にハデスは少し戸惑うも、次の瞬間には穏やかな瞳をカオスに向けた。
「サタン様は他の魔族とは体質も違うご様子でした。長い時を過ごされましたが、その外見は殆どお変わりございませんでした。寿命でお亡くなりになる間際でも、若いお姿で凛としていらっしゃいました」
「若い姿か――、肖像画はないのか? 私は父と母の姿を見たことがない。一度でよいからこの目で見たいのだ」
どこからともなくすすり泣く声が聞こえた。
声の方に視線を向けると、映像を監視するメイドたちが顔を伏せて嗚咽を漏らし、机の上には涙が止めどなく流れ落ちている。
お可哀想に、なんてご不憫な、メイドたちの口から次々と哀れみの言葉が漏れた。ハデスは涙こそ流していないが、悲痛な面持ちで僅かに言葉を詰まらせる。
「・・・・・・申し訳ございません。アリシア様が身籠もって直ぐのことですが、サタン様のご命令を受け、お姿の分かる彫像や肖像画は全て処分しております」
「な、何故だ? 私に見られては困ることでもあるのか?」
「これも一重にカオス様のためでございます。恐らくサタン様はご自身の寿命が僅かなことを知っておられたのでしょう。サタン様は全ての魔族から慕われておりました。自信のお姿を残した物があっては、自分の子への忠誠が薄れるのではと危惧しておられたのです。アリシア様もそれに習いお姿の分かる物は全て処分なされました」
「私のためか・・・・・・。父は私のことを生まれる前から愛してくれていたのだな」
「はい、サタン様はカオス様のことをとても愛されておられました。それはアリシア様も同じです」
「母も・・・・・・」
俯くカオスの様子を見てハデスは察する。
何故、今になって両親のことを訪ねてきたのか、母のことで悲しげに俯いたのかを――。
僅か三歳であるがカオスは賢い。
物覚えも物わかりも良い。
だからこそ、ずっと気に病んでいたのだと――。
「カオス様よくお聞きください。アリシア様がお亡くなりになられたのはカオス様のせいではござません。カオス様はずっとそのことを気に病んでおられたのですね」
図星だ。
カオスは泣きそうな顔でハデスを見上げた。
「アリシア様は極めて高い魔力を有しておられながら、お体は強い方ではございませんでした。高い魔力と弱い体――。アリシア様は口にこそ出しませんでしたが、お体は日毎に蝕まれておられたようです。誰にも迷惑をかけたくなかったのでしょう。我々が気付いたときには既に手の施しようがございませんでした。そんな中でアリシア様はカオス様を身籠もられたのです。本来であれば出産の前に命を落としても可笑しくはありませんでした。そんなアリシア様が出産まで命を長らえたのはカオス様のお陰なのです。アリシア様の高い魔力をカオス様が体内で受け止めていたからこそ、アリシア様は出産まで生きることができたのです」
カオスの瞳の端に大粒の涙が溜まる。
「それは本当なのか?」
「勿論ですとも。お生まれになられたカオス様を、アリシア様が嬉しそうに抱かれた様子は今でも鮮明に覚えております。カオス様はご両親に望まれて生まれてきたのです」
「そうか、私は母にも愛されていたのか、母を助けていたのか……、良かった。本当に良かった」
不安は吹き飛び安堵と喜びが訪れる。
笑顔を見せたカオスの瞳からは一筋の涙がこぼれ落ちていた。
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