貿易都市
最初の朝
汗で濡れたシーツが肌に張り付いた。
裸のカオスは心地よい香り誘われ
薄っすらと目を開けると目と鼻の先に見慣れた女性の顔が見える。金髪の女性はじっとこちらを見つめて体をそっと摺り寄せた。
しっとり汗ばんだ肌と肌が触れ合い、カオスの手は女性の細い腰に触れる。
柔らかな感触が全身を覆い二人は自然と唇を重ねた。
舌を絡め合い、ゆっくりと唇を離すと愛の証とも言える銀色の糸が二人をつないだ。
カオスは寝ぼけながら女性の髪を優しく撫でる。
「カルメラはずっと起きていたのか?」
体を密着させるメイドにそう話しかけると、女性の――カルメラの赤い瞳がカオスの顔に近づいた。
「可愛らしいカオス様を眺めていました」
カオスはベッドから体を起こす。
体を覆う布がはだけて上半身が露わになると、カオスは壁際に置かれた鏡に視線を移した。
鏡に映っているのは黒髪の不愛想な顔つきの男だ。
顔の作りは整っているが、鋭い目つきで可愛らしいとはかけ離れている。
「これのどこが可愛らしいと言うのだ……」
昔の面影は何処にもない。
小さな頃は目も大きく愛嬌のある顔立ちをしていたが、今ではその可愛らしい顔は見る影もなかった。
僅か十数年でこうも変わるのだから時間の流れとは恐ろしいものだ。
項垂れるカオスの背中をカルメラは優しく包み込む。
「カオス様は今も昔も変わりません。中身は可愛らしい子供のままです。もっと私たちに甘えていいのですよ」
汗で濡れたカルメラの髪がカオスの肌に張り付いた。
仄かな甘い香りと柔らかな胸の感触はどこか乳母を思い出させる。
城から出ることがなければ、労せずとも楽な生活を送ることが出来たかもしれない。それは今からでも遅くはないだろう。
しかしカオスにはやるべきことがある。
「私は魔王だ。いつまでも子供ではいられない」
カルメラは少し寂し気に微笑むとカオスの体を解放した。
今日の予定は既に知らされている。いつまでも自分が独占するのは許されることではない。
「今日は街に行かれると伺っております。直ぐにお出かけの支度をいたしましょう」
「そうだな。他の従者を待たせるわけにはいかない」
カルメラは本来の役目を果たすべく行動に移る。
「それではお体を清めます。[
体中の汚れが一瞬で洗い流される。
魔法で二人の体を清めたカルメラは部屋の片隅に移動した。
用意していたメイド服に袖を通し身なりを整えると、今度はカオスの衣服を用意してニコリと笑う。
「さぁカオス様、お着替えの時間ですよ」
カルメラは軽くぽんぽん、と壁際に置かれたチェストを叩いてカオスを促す。
「着替えは一人でもできるんだがな」
「そういうわけにはまいりません。これも私の大切なお役目です」
子供の頃から慣れているが気恥ずかしいのは変わらない。
体が成長してからは尚のことだ。それでもメイドが自分の仕事に誇りを持っているのは知っていため、無下に断ることは出来なかった。
仕方ないかとカルメラの下に向かうカオスであったが、用意された衣服を見て表情が曇る。
「――何だこれは?」
「今日は黒猫さんの着ぐるみパジャマを用意しましたよ。ほら、プニプニの肉球が付いた手袋もありますよ」
チェストの上に置かれていたのは黒猫の着ぐるみパジャマだ。
子供の頃にカオスが口に出したことで、既にメイドの間では着ぐるみパジャマが正式な名称になっていた。
小さな子供に話しかけるように、カルメラは肉球の付いた手袋をこれ見よがしに振っている。
裸のカオスはその様子を見て眉間に皺を寄せた。
「ここ最近はまともな衣服が用意されていたから、てっきり諦めたと思っていたが――昔から何度も言わせるな! 私はもう二十だぞ? 今更そんなものを着れるはずがないだろ。早く普通の服を用意しろ」
カルメラは不満そうに口を尖らせると、背中を見せて渋々チェストを開けた。
「絶対に可愛いのに……、どうしてカオス様はいつもああなんだろ……。昔は素直でいい子だったのに……」
恐らくは自分でも愚痴をこぼしているのに気が付いていないのだろう。
カルメラはぶつくさ言いながら普通の衣服を用意する。これが副メイド長なる役職にあるのだから困ったものだ。
カオスはカルメラの愚痴を聞きながら肩をすくめた。
(せっかく人間の国へ来たというのに初日の朝からこれか。まさに前途多難とはこのことだな)
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