エピローグ
何事もない。
本当に何事もない毎日だ。
警戒していたベルセウスは何時まで経っても戦いを挑む気配がない。
カオスも戦いに備えて日々の鍛錬は怠っていないが、時間を無駄に過ごしている気がしてならなかった。
城のバルコニーに佇み、遠くの夜空を見上げてカオスは思いに耽る。
世界を管理する魔王として果たしてこれでよいのかと。
この世界にはまだ知らないことが多すぎる。
遠くからどんなに手を伸ばしても欲しいものに手が届くはずがない。
情報も同じだ。
正確に伝わっていると誰が言える。
途中で歪められていないと誰が言える。
都合の悪い情報が隠蔽されていたらどうする。
自分の目で確かめてこそ確実な情報を手に入れることが出来るはずだ。
今のカオスの目は空一面を覆う雲と同じだ。
フィルターが掛かって遠くの星を見ることが出来ない。
このままでいいはずがない――。
「カオス様、こちらにいらしたのですか」
振り向くとハデスが困った顔でこちらを見下ろしていた。
「アグニスが困っておりますよ。護衛なのに最近は遠ざけられていると」
「仕方ないだろ? アグニスはシュナイダーを快く思っていないからな」
「……いつまであの男を城に置くおつもりですか?」
「ずっとだ」
即答するカオスにハデスは難色を示す。
「それは死ぬまでということでしょうか?」
「死ぬまでか……。恐らくそうなるだろうな、帝国に情報を流すわけにはいかない」
ハデスは目に見えて肩を落とした。
「カオス様、あまり人間と親しくするのはおやめください。人間と魔族では寿命が違いすぎます。親しくなれば最後の別れが辛くなるだけです」
カオスも前世では人並み以上に別れを経験している。
耐え難い悲しみだが全てを失うわけではない。
思い出だけは心に残る。
「――知っている」
「カオス様……」
ハデスはそれ以上言葉が続かなかった。
どう話したら説得できるのか言葉が見つからない。カオスの短い言葉にはそれだけの決意が感じられた。
「なぁ爺、私は人間の国へ行きたいと思う」
ハデスはただ深い溜息を漏らした。
もっとも恐れていた言葉だ。
シュナイダーを城に連れてきた時、いつかは言い出すのではと密かに思っていた。
何故なら――。
「――本当に血は争えませんね。サタン様とそっくりです。あのお方もふらりと人間の国へ行っては随分と私を困らせたものです」
「父も?」
「はい。飢えも争いもない世界を創ると。それが自分の思い描いた理想の世界なのだと――」
カオスは顔をしかめた。
現状をみても失敗したのは直ぐに分かることだ。
「失敗したのか……」
しかしハデスは首を横に振る。
「いいえ、あのお方は成し遂げました。全ての国を支配下に置き、本当に争いのない世界を創ったのです」
ハデスの言葉は矛盾する。
(嘘だ……)
本当なら帝国が攻めてくるはずがない。
「だが帝国は攻めて来たぞ」
「カオス様、人間はいとも簡単に裏切ります。世代を重ねるごとに魔族と交わした盟約は記憶から薄れ、いつしか魔族を排除しようとする人間が現れます。サタン様の時もそうでした。動き出してから崩壊するまでは早いものです。カオス様が時間を費やして築いた統一国家は、僅か数百年で終わりを告げました。その時のサタン様の落ち込む様子は今でも忘れられません。数多くの人間と親睦を深め、そして約束して成し得た国が一瞬にして終わりを告げたのですから――」
昔のことを思い出したハデスは悲痛な面持ちでカオスを見ていた。
話を聞いたカオスの表情も自然と暗くなる。サタンは――父は相応の覚悟と決意で挑んだはずだ。
「――反乱分子を抑えることは出来なかったのか? それこそ父の力があれば制圧できたはずだ」
「仰る通りサタン様は反乱分子を排除しました。ですが力による制圧は人間の反感を買うのです。新たな火種が複数生まれ、それは各地に飛び火しました。気が付いた時には既に遅かったのです」
カオスは何も答えず俯いた。
どれだけ悔しかったろうか――。
そう思うだけで胸が締め付けられた。
(出来れば父の願いは叶えてやりたい。確かに争いのない世界は理想的だ。だが今の俺ではどうやって創ればいいのか見当もつかない。知識が足りない、この世界のことを知らなすぎる)
カオスは拳を握りしめた。
「――爺、やはり私は人間の国へ行く。話を聞いて決意が固まった」
「私は人間の愚かさを教えるため話したのですが……。本当に困ったものです。きっと私が止めても聞かないのでしょう」
「そう言うことだ。私は父の理想をいつか叶えたい。その為にはこの世界を自分の目で知る必要がある」
胸を張るカオスとは対照的にハデスは背中を丸めた。
「……仕方ありません。ですが私からも条件がございます。せめてお体が成長してから、歳が二十を越えてからです。これだけは絶対にお譲り出来ません」
「それで構わない。いつも我が儘を言ってすまないな」
カオスがニコッと微笑むと、ハデスは少し寂し気な笑みを見せた。
自分の手からいつか離れると分かっていたが、まさかこうも早いとは思ってもみなかったことだ。
その一方で、流石は魔王サタンの血を引くだけのことはあると感心もした。
カオスが人間の国へ行くとなれば相応の準備が必要になる。生活面でのサポートは必要不可欠だ。
「カオス様、ジークハルトを人間の国へ向かわせてもよろしいでしょうか?」
「ジークを? まぁジークは物分かりがいいからな。別に私に同行しても構わんぞ」
「そうではございません。今すぐにでも人間の国へ向かわせたいのです。カオス様のお住まいや必要な家財道具を揃えなくてはなりません。他にも身分の偽造などやることは多岐にわたります」
カオスが人間の国へ行くのは二十歳になってからだ。
十五年も後のことを今から準備するのは疑問に思うが、もしかしたら人間の監視も兼ねているのだろう。
もともとジークハルトはハデスの部屋で監視活動を優先しているため、カオスとしても居なくなって特に困ることはなかった。
カオスは腕組みをして「う~ん」と声を上げると、これらのことからジークハルトの出向を許す。勿論それはジークハルトの同意を得られたらの話だ。
「ジークがよいなら構わないが……」
「ありがとうございます。それでは早速準備に取り掛かります」
そそくさとバルコニーを後にするハデスを見て、カオスは忙しないことだと笑みを浮かべた。
雲の切れ間からは薄っすらと月明かりが差し込みバルコニーを照らす。釣られて夜空を見上げたカオスは丸い月を見て地球を懐かしむ。
「この世界の月は元いた世界とよく似ている。少し地球が恋しくなるなぁ……」
地球で見た月と同じく優しく差し込む光に、カオスは郷愁を感じずにはいられなかった。
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