人間の侵略①

 何気ない日々が繰り返される。

 稽古に明け暮れるカオスは歳を重ねて四歳になり、五回に一回はアグニスにも勝てる程に剣の腕が上達していた。

 稽古終わりの疲れた体をベッドに沈め、カオスは自分の小さな手をじっと見つめる。


「確実に強くなっている。それでも爺から聞いた父の話と比較すると、まだまだ力不足は否めないか――」


 着ぐるみパジャマの裾に付いた綿毛のボンボンが視界に入り、カオスは嫌そうに眉をハの字に曲げた。


「あのショタ好きメイドめ! 俺はもう四歳だぞ。未だに着ぐるみパジャマは酷いんじゃないのか?」


 着ぐるみパジャマを押し付けるメイドの愚痴を零し、カオスは恥ずかしさに身悶えながらベッドの上を転げまわった。

 しかし、部屋の扉をノックする音が聞こえると、直ぐに「どっこいしょ」と声を出して起き上がり体裁を整える。

 所々でおっさん臭い仕草が出るのが玉にきずだ。

 もちろん使用人の前では出さないように心掛けているが、完璧に為されているかは疑問が残る。

 カオスはベッドの淵に腰を落として「入れ」と伝えると、今日の担当メイドが扉から顔を覗かせた。


「失礼いたします。ハデス様からの伝言をお伝えに参りました」

「伝言? こんな時間に珍しいな」


 夜も更けた深夜、いつもは来るはずのない時間帯にメイドが訪れる。

 普段と違う動きをする時は決まって何かあるとカオスは学習していた。良からぬことでなければと願うカオスであったが、その願いはメイドの一言で一蹴された。 


「人間が魔大陸に侵攻してまいりました」

「ふぇ?」


 思わず可笑しな声が漏れる。


「人間が侵攻?」

「要件は以上でございます。それではごゆっくりお休みください」


 ポカンとするカオスを余所に、メイドは笑みを見せて平然と立ち去ろうとする。

 扉が閉まりかける直前でカオスの思考は動き出し声を上げた。


「まて! ちょっと待て!」


 メイドは動きを止めて小首を傾げた。


「どうかされましたか?」

「どうかされましたかではない! 人間が攻めてきたのだろ?」

「はい。僅か八万の兵で攻めてくるなど本当に疎かな生き物です」


 メイドはクスクスと笑うがカオスは全然笑えない。

 八万と言えば魔族の総数の二倍以上の数だ。魔族が人間より優れていることは知っているが、数の暴力は馬鹿に出来ない。

 正面からぶつかれば魔族にも少なからず犠牲が出ると思われた。

 繁殖率の高い人間と違い、魔族の数は減少する一方だ。戦いで魔族が命を落とすことは絶対に避けなければならない。

 自ずとカオスの表情は険しくなる。


(くそ! 八万だと? 魔族の数は全ての種族を合わせても三万しかいないんだぞ! 何であのメイドはヘラヘラ笑っていられるんだ!)


 メイドに若干の苛立ちを覚えながらカオスはベッドの淵から飛び降りた。


「爺のところに行く!」


 足早に歩みを進めるカオスの後を、メイドが「ん?」と不思議そうに付き従う。道中カオスの愚痴は止まらない。


「人間の監視をしているにも関わらず、どうして事前に止めることが出来ないんだ! 爺は無能なのか!」


 苛立っていたカオスはハデスの部屋に着くなり勢いよく扉を開けた。


「爺! 人間が攻めてきたとはどういうことだ! その前に防ぎようはなかったのか!」


 部屋の中にはいつもの面々の他にアグニスもいたが、誰もが反応が薄い。

 ハデスは手に持っていた紅茶の入ったカップを机に置き、困ったように溜息を漏らす。


「カオス様、今日も剣の稽古でお疲れになられたはずです。そろそろお休みになりませんとお体に障ります。直ぐにメイドに寝室に送らせましょう」


 カオスはその寝室から来たばかりだ。予想の斜め上の答えにカオスは馬鹿を見るような視線をハデスに向けた。


「爺は耄碌もうろくしたのか! 人間が攻めてきたのに何を呑気に構ているのだ! 応戦の準備をしなくてはならんだろ!」

「それなら問題はござません。既にカサンドラ様がお一人で向かわれたと通信が入っております」


 カオスは口をポカンと開けた。


(お一人? お一人って何だ? 確かにカサンドラは強いが相手は八万だぞ……。いや、もしかしたら俺の聞き間違いか?)


 呆然とするカオスを心配してジークハルトが顔を覗き込む。


「カオス様、どうかされたのですか?」

「ああ、うん、相手は八万と聞いていたが――もしかして八人の間違いか?」

「いえ、八万で間違いござませんが?」


 カオスは得も言われぬ顔をする。


(合ってんのかよ! 何でこいつらはこんなに冷静なんだ。カサンドラ一人に戦わせるとはアホなのか? もしかして我が軍は全員アホなのか?)


「もうよい! 私もカサンドラのところに行く。誰か案内せよ!」

「お止めください。危険でござます」


 カオスにとってカサンドラは大切な乳母の一人、母親の代わりでもある。もし万が一のことがあったら、そう思うとカオスは居ても立っても居られない。

 危険と言われて感情のままにハデスを睨みつけた。


「危険だから行くのだ! 馬鹿者が!」


 カオスが部屋を飛び出すのを見て、ハデスは仕方ないとアグニスとジークハルトに目配せをした。

 二人が後を追うのを確認すると、ハデスはカップを手に取り、紅茶に口をつけて「ふう」と一息つく。


「困ったものです」


 心配なのはメイドも同じだ。


「カオス様は大丈夫でしょうか? カサンドラ様の攻撃に巻き込まれなければ良いのですが……」

「アグニスとジークがいます。それにカサンドラ様もカオス様の気配に気付けば手加減はするでしょう」

「――そう、ですよね」


 メイドは同意するがその表情は不安げだ。

 部屋を出て直ぐに立ち止まり、肩を落とすと思わず本音が口をついた。


「あの方は人間を相手に手加減が出来るのかしら――」






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