従者①

 ナイフとフォークの音だけがカチャカチャと鳴り響いていた。

 長いテーブルに真っ白なクロス、その上には銀色の光沢を放つ皿が並び、趣向を凝らした料理の数々が乗せられている。

 昨日まで一緒に食事を取っていた三人の姿はない。

 テーブルに着いているのはカオスのみ。給仕をするメイドは案山子かかしのように部屋の片隅で微動だにしない。

 カオスは厚手のクッションでかさ増しされた上座にちょこんと座り、空席の椅子に目をやった。

 昨日までの姦しいやり取りは聞こえてこない。


(笑って送り出すと決めていたのに、まさか泣いてしまうとは……。結果的にヒルデたちも泣かせてしまった。悪いことをしたな)


 カオスが目の前のグラスに手を伸ばして水を飲み干すと、つかさずメイドが水差しを持ってやって来る。慣れた手つきで水を注ぎ、そしてまた定位置に戻る。

 会話もなく一人の食事は寂しいものだ。


(前世で一人の食事は慣れていたはずなのに。今では一人の食事がこんなに寂しいとは)


 カオスは出された食事を全て平らげると、「ふう」と一息ついて椅子から飛び降り小さな足で寝室に戻った。

 食後は特訓に行くのが毎日の習慣だが、いまはその特訓相手がいない。

 カオスはメイドに廊下で待機するように伝えてベッドに寝ころんだ。


「暇だ……」


 地下の書庫で本を読む気分ではなかった。

 だからと言って、何かすることがあるわけでもない。娯楽の少ないこの世界でやることは限らている。


「――寝るか」


 その結論に至るまで僅か数秒だった。






 目を閉じてどれ程の時間が経過しただろうか。

 気が付けば誰かに何度も呼ばれていた気がする。体を起こそうとするが、食後に直ぐ寝たせいか少し体が重い。


「ん、ん~」


 目をごしごし擦って起き上がると目の前にはハデスの姿がある。

 昨日の乳母たちのこともあり、カオスはまた何かあるのではと浮かない顔を見せた。


「どうした爺」

「やっと起きられましたか。お休みのところ申し訳ございません」


 ハデスが「やっと」ということは、よほど熟睡していたのだろう。

 カオスは眩しそうに何度かしばしばとまぶたを開閉して周囲を見渡した。

 部屋にいるのはハデスとメイドが一人、そして――。


(誰だ?) 


 カオスの視線がそこで止まった。

 初めて見る魔族が二人、ハデスに付き添うように控えている。

 一人は燃えるような赤い髪の男、外見は二十歳そこそこに見えるが、魔族の年齢は外見では当てにならない。

 短めの髪は癖が強いのか僅かに波打っている。

 目は切れ長で鋭く、肌の色は軽く日焼けをしたような茶色。髪の隙間から見える耳は人間と同じで丸い。

 黒を基調とした衣服の上からは漆黒の胸当てを身に着け、腕や脛も漆黒の金属で覆われていた。いわゆるガントレットやアンクレットの類だ。

 腰に差した剣の柄には意匠を凝らした彫刻が彫られている。

 カオスがこの城で武具を身に着けた魔族を見たのは初めてのことだ。


(物々しいな……)


 カオスの顔が一瞬曇る。

 明らかに戦うことを前提とした服装だ。しかし、カオスが生まれてから城で争いが起きたことは一度もなかった。

 城から視認できる森には魔獣が数多く存在するが、野生の魔獣は城に近づくことは疎か、森から出ることすらないからだ。

 戦いが起こるのだろうか、自ずとそんなことを予感させた。

 カオスは気を取り直してもう一人の魔族に視線を移す。

 外見の年齢は最初の魔族とほぼ変わらない。大きく違うのは髪の色だ。銀色の長い髪が特徴的な男は、カオスの視線に気付くと笑みで返した。

 肌の色は白く、耳は短く尖っている。

 最初の魔族は種族の判別が難しいが、こちらは間違いなく吸血鬼ヴァンパイアだ。ハデスと同じ執事服を身に着けていることから執事で間違いないだろう。

 二人は顔立ちも良く背も高い。


(この二人なら女性にモテるだろうなぁ……)


 カオスは自分の短い手足と見比べて苦笑する。


「爺、その二人は?」

「こちらは今日からカオス様のお世話をいたします。護衛のアグニス、そして執事のジークハルトでございます」


 名前を呼ばれた二人は一歩前に歩み出た。


「護衛を仰せつかりました。アグニスでございます」

「執事のジークハルトでございます。以後ジークとお呼びください」


 深々と頭を下げる二人にカオスは「う~ん」と唸る。


「執事は分かる。だが護衛が本当に必要なのか? この城で私が襲われることはないだろ」


 ハデスは言葉に悩む。

 何も知らないカオスの問いは至極当然だが、城の中が安全かと言われるとそれは違う。魔族とて一枚岩ではない。魔王になったカオスを暗殺する者がいても可笑しくないからだ。

 城のメイドはよく調べ厳選しているが、暗殺者が紛れ込んでいる可能性は捨て切れなかった。

 問題はそのことを素直に話してよいかどうかだ。ハデスは意を決すると、息を整えて淡々と話し始めた。


「カオス様よくお聞きください。カオス様は全ての魔族を束ねる魔王でございます。多くの魔族はカオス様を称え、これからも忠誠を尽くすことでしょう。ですが全ての魔族がカオス様に忠誠を尽くしているわけではございません」


 カオスは「なるほどな」と視線を落とした。その先は言わずとも分かる。


「つまり私の命を狙うものが魔族の中にいるかもしれない。そう言いたいのだな?」

「恐れながら……」

「まぁ当然か。魔族の中には魔王の座を狙うものがいても可笑しくないからな。爺は魔王の座を狙う者に心当たりはあるのか?」

「そうですね。私の知る限りでは――私でしょうか」


 カオスは聞き間違いかと首を傾げる。


(私? 私ってなんだ?)


 部屋の空気が変わる。

 ハデスはいつも通りだが、紹介された執事と後ろで控えているメイドの雰囲気が異常なまでにハデスを警戒していた。

 ジークハルトの爪が伸び、メイドはいつでも攻撃魔法を放てるよう、それとなく身構えている。


(ちょ、ちょっと待て――)


「えっと、それはつまり爺ということか?」

「左様でございます。ですが私は魔王になりたいとは思いません。私はサタン様と約束をいたしました。必ずカオス様を立派な魔王に育て上げると――」

「ふう、脅かすな。ならば爺は当てはまらないだろ?」

「私が望まなくとも、私を魔王に祭り上げたい者がいるのです。正確には私の愚息でしょうか……」

「愚息? 爺の息子ということか?」

「恐れながら……」


(何だこれ? 意味が分からんな……)


「もし私を殺しても、爺が魔王になりたくないのなら意味がないのではないか?」

「カオス様がお亡くなりになれば、魔族の中で次期魔王の座を巡り大きな争いが起こります。そうなれば私は、その場を治める為に本気を出さざるを得ません。全ての魔族を力でねじ伏せ、結果的に私は魔王として祭り上げられるでしょう」

「全ての魔族を力でねじ伏せる、か――。爺はそんなに強いのか?」

「いま魔族の中で私に敵う者はおりません。ですが何れは――、カオス様が私を凌駕する力を身に着けると信じております」


 ハデスの瞳は真剣そのもだ。

 一片の曇りもなくカオスが自分を超えると確信していた。それはカオスの成長も然ることながら、自分より遥かに強いサタンの血を引いていることにも起因する。

 数少ない魔族同士の争いなどあってはならない。

 カオスは力強く答えた。


「そうか、ならば私は強くならないとな」




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