馬車にて

 ヒルデモートは馬車に揺られながら悲しみに暮れていた。

 カオスはヒルデモートにとって、魔王という以前に自分の妹の忘れ形見でもある。その思いは誰にも負けない自負もあった。それだけに手元から離された喪失感は人一倍大きなものだ。

 虚ろな顔で外を眺め、時折窓に当たる雨水を目で追っている。まるで死人のようなヒルデモートに声をかける者はいない。カサンドラやアニエスも気持ちは同じだからだ。

 ヒルデモートの向かいに座るカサンドラは、何かを考えるように腕を組み瞳を閉じている。隣に座るアニエスは闇森妖精ダークエルフ特有の長い耳を澄まし、雨音に耳を傾けていた。

 既にカオスと別れて半時が過ぎるが、馬車の中は時間が止まったかのように静まりかえっている。

 目的地に着くまでこのまま時間だけが過ぎ去る。誰もがそう思っていた時、思いもよらぬ人物の声が聞こえた。


「随分とお暗いですね。サタン様が亡くなられた時のことを思い出します」


 本来は空席であった場所にその人物はいた。

 三人もよく知る者。つい先ほど別れたばかりの男が、いつの間にか悠然と馬車の空席に腰を落としていた。

 丸眼鏡を外してハンカチを懐から取り出し、レンズを軽く磨いて再びかけ直している。

 突如として姿を現したのは城にいるはずのハデスだ。

 だが三人に驚く様子はない。僅かに視線を向けるが気怠そうに直ぐに視線を外した。


「私のことをお嫌いになるのは分かります。突如としてカオス様との別れを告げられたのです。私も同じ立場であれば、決して良い顔はしないでしょう」


 城から離れることのないハデスがこの場に来たと言うことは、相応の要件があってのことだ。

 出立前に話しをしないのは、カオスに聞かれては不味い話に他ならない。

 連絡をするだけなら遠隔通信の魔道具マジックアイテムでも事足りる。わざわざ転移魔法を使ってきたのは、一国の王に対してハデスなりに配慮してのことだ。

 いつまでも無視をする訳にはいかない。

 カサンドラは仕方ないかと視線をハデスの方へ向けた。

 このまま馬車に居座られても居心地が悪いだけだ。それならさっさと要件を済ませ、少しでも早く消えてもらいというのがカサンドラの本音であった。


「普段は城から離れない糞爺くそじじいが、私らにいったい何の用だ? わざわざ転移魔法を使うほどのことなんだろうな」

「糞爺ですか、これは手厳しいでね」


 ハデスは僅かに苦笑いを浮かべるだけで、カサンドラの暴言に対して怒る様子はなかった。彼女たちの心情を察すれば、カサンドラの暴言は当然とも言えるからだ。


「要件は大したことではありません。カオス様の今後についてです」

「今後だと?」

「はい。皆様の娘は近い将来カオス様の妻とります。無論これはカオス様がお生まれになる前から決まっていたこと。何の問題もございません」


 ハデスの言葉にカサンドラは当然と言わんばかりに頷いた。

 娘の話となり流石に捨て置けないのか、アニエスとヒルデモートは顔だけを向けて首を縦に振る。


「魔王の妻は全ての種族の王族から一人づつ選ばれる。ですが・・・・・・」


 言葉を濁すハデスに三人は直ぐに察した。

 ハデスはかつて悪魔デーモンの王であり、いまはハデスの息子が王として領地を治めている。

 問題はその王の娘、ハデスから見れば孫娘が行方不明なのだ。

 方々手を尽くして探してはいるが、未だにその手掛かりすら掴めていない。


じじいの孫娘か。強さだけなら魔大陸でも十指に入ると聞いているが――今回の家出は随分と長いようだな」

「まったく困ったものです。ふらっと何処かに出かけては数年は戻らないのですから。皆様には私の孫娘の捜索をお願いしたいのです。我が一族も捜索はしているようなのですが、なにぶん人手が足りず・・・・・・」


 溜息を漏らすハデスをカサンドラは「ふん」と鼻で笑う。

 魔大陸の多くは魔族の手の入らない原生林が大部分を占める。しかも捜索相手は、その原生林の中に躊躇いもなく足を踏み入れる者だ。

 魔族の中でも数が少ない悪魔デーモンだけで探し出せるはずもなかった。


「魔大陸は広大だ。僅か数百人しかいない悪魔デーモンだけで探せるはずがないだろ。与えらた領地の自治も考えれば、捜索に避ける人員は数十人というところか。まぁ私らに協力を要請するのは分かる。だがな――頼みに来る奴が違うんじゃないのか? 私らはこれでも一国を任されている王だぞ。お前の馬鹿息子が直接頼みに来なければ筋が通らんだろ」


 不快感を示すカサンドラにハデスは返す言葉もない。

 力なく肩を落とすハデスを見かねて、アニエスがカサンドラに呆れたように口を開いた。 


「いい加減になさいカサンドラ。あの自尊心の塊が頭を下げるわけがないでしょ? それとハデス様に喧嘩を売るような発言は慎みなさい。敵に回してもいいことは何もないわよ」


 アニエスに言葉では敵わないと知ってか、カサンドラは舌打ちをすると、ムスッとそっぽを向いた。子供じみた態度ではあるが、いまのカサンドラができる最大の抵抗なのだろう。


「ではハデス様、その件は了承しました。何れはカオス様の妻になられる方、捜索を手伝うのはやぶさかではありません」


 アニエスはヒルデモートとカサンドラに視線を送り「二人ともいいわね」と、念を押すことを忘れない。

 ヒルデモートは無言で頷き、カサンドラはそれに合わせるように「ああ」と小声で返答した。


「と、言うことです」


 アニエスの言葉にハデスは胸を撫で下ろす。


「どうかよろしくお願いします」


 頭を下げるハデスにカサンドラは「じゃあな」と声を掛けるが、頭を上げたハデスは尚も話を続けた。


「それと最後にもう一つだけ、これはカサンドラ様に申し上げます。カオス様のお怪我について――」

「……知っていたのか」


 カサンドラは罰が悪そうに顔を背けた。


「――カオス様にそれとなく尋ねましたが、カオス様は何も仰いませんでした。恐らく怪我のことを話せばカサンドラ様が叱られると思ったのでしょう。お優しい方です。カサンドラ様が教育熱心なのは分かります。ですが、どんな理由があるにせよ、カオス様にお怪我をさせるのは好ましくありません。今後カオス様と手合わせをする際には、そのことを心に留めておいてください」


 ハデスはカサンドラの方へ向き直り真摯に訴えかけた。

 対してカサンドラは視線を合わせようともせず、ただ一言「――分かっている」と答えただけだ。

 酷い態度ではあるが、ハデスはそれだけ聞ければ満足だった。

 虫の居所が悪い心境では上出来とも言える。


「では、私はこれで――」


 最後にハデスは言葉だけを残して風のように姿を消した。

 空席になった場所を見つめてアニエスが言葉をこぼす。「便利な魔法ね」と。そしてぼんやり外を眺めるヒルデモートに視線を移した。

 転移魔法は何もハデスだけの固有魔法ではない。ヒルデモートも使えるが、いまは敢えて馬車で移動しているだけだ。

 同じ喪失感を持つもの同士、ヒルデモートは感傷に浸る時間が欲しかったのかもしれない。

 何より転移魔法はアニエスが思っているほど便利な魔法ではなかった。

 転移魔法は移動距離と転移させる質量に比例して消費する魔力が大きくなる。転移させる人数を考慮するなら、ヒルデモートでさえ目的地へ瞬時にとはいかない。中継地点を幾つか設け、魔力の回復を計りながら、それでも半日はかかる距離だ。


「ねぇカサンドラ。カオス様のお怪我って何?」


 アニエスに尋ねられたカサンドラは面倒くさそうにを溜息を漏らす。


「はぁ、実戦訓練をして怪我がないはずがないだろ。何よりカオス様が望んだことだ。少しでも早く強くなりたいと、そのためにはどんなことでもするとな」

「そう……、私にも同じようなことを言っていたわね。それにしても――カオス様のお怪我と聞いて、真っ先に騒ぎそうなヒルデモートが何も言わないなんて」


 ヒルデモートが会話を聞いていないわけではい。話はずっと耳に入っている。それでも反応しないのは、カサンドラに敵意や悪意がないことを知っているからだ。三年も一緒に生活していれば、その程度のことは分かる。ましてやカオスが自ら望んだこと。

 ヒルデモートはカサンドラを咎める気はなかった。だが何も言わないのは誤解を招きかねない。

 憂鬱な気分で話をしたくはないが、仕方ないかと二人に向き直った。


「カオス様は私にも厳しい特訓を要望したわ。それこそ魔力が尽きて気絶するまで――。カオス様が望まれたことを、私はとやかく言うつもりはないわ」


 二人の話を聞いたアニエスも、それなりに無茶な特訓をカオスにさせている。

 言うことは何もない。 

 ヒルデモートは再び窓の外に目を向け、アニエスは音色を聞くように雨音に耳を澄ませた。

 しばらくして、カサンドラは何かを思い出したように徐に口を開く。


「なぁアニエス、今更だがカオス様を爺に任せて大丈夫なのか? もしカオス様がいなければ、あの爺が魔王になっていたはずだ。カオス様に危害を加えることはないだろうな?」


 アニエスは「本当に今更ね」と呆れ返る。


「それは問題ないわ。ハデス様がその気なら、私たちごと殺してるはずよ。本気のハデス様を止められる魔族はいないもの」

「そうか――」


 アニエスが言うのだから間違いはないだろ。そうカサンドラは納得する。

 情報や機微に敏いアニエスの言葉は信頼に足るものだ。闇森要請ダークエルフの目と耳は他種族を凌駕し、集める情報量も多い。

 アニエスは頭の回転も速いため、自分が思いつくことをアニエスが考えないはずがないからだ。

 会話をぼんやり聞いていたヒルデモートは、外を眺めてぼそりと呟いた。


「問題があるとするなら私たちの娘ね。カオス様の成長が早すぎる。せめてカオス様の足元に立てるくらいには強くなってもらわないと――」


 ヒルデモートの言葉に、アニエスとカサンドラの二人は視線を合わせた。

 アニエスやカサンドラの娘は決して弱くはない。ヒルデモートの娘もそうだ。むしろ魔大陸では強者の部類に入る。

 しかし、それにも増してカオスの成長には目を見張るものがあった。

 先代魔王サタンの血を引くとは言え、僅か三歳で既に自分たちの娘と同等か、もしくはその上の高みにいる。

 カサンドラは視線を落とし、腕を組みなおして何かを思案するように呟き始めた。


「帰ったら娘を鍛え直さないとな。そろそろ魔装を教えるか――」


 アニエスも思うことがあるのか、目の前で指を組み、一点を見つめて顔を伏せている。

 ヒルデモートはそんな二人を横目で見ながら表情を緩めた。いつまでも悲しんではいられない。妹の忘れ形見、愛する魔王のためにやるべきことはまだあるのだ、と。


「私も帰ったら娘の再教育ね」


 雲の隙間から薄っすらと光が差し込む。

 止まない雨はない、いつかはこの悲しみも晴れる日は来るのだから――。



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