人間の侵略④

 十分に声が聞こえる距離で足を止めた魔族に対し、シュナイダーはやはり交渉かと兵士を掻き分け前に出る。

 相手の要望は軍を撤退させること、そう思われていたが魔族の口からは予想外の言葉が叫ばれた。


「我が名はカサンドラ! この地を守護する王である! 貴様ら脆弱な人間に時間をやろう。さっさと後ろの部隊を呼んだらどうだ!」


 シュナイダーとボルコフは顔を見合わせ眉間に皺を寄せた。

 本来なら相手が名乗った以上こちらも名乗るのが礼儀だが、これは騙し討ちもありの戦である。

 貴族の一騎打ちとは訳が違う。

 わざわざ指揮官や国名を明かす馬鹿はいない。ましてや相手は人間の世情に疎い魔族だ。後になって他の国が攻めたと言い逃れも――罪のなすり付けも出来る。

 それより気になるのはと言い放った相手の言葉だ。

 もし発言が嘘でなければ魔王であることは間違いないだろう。その強さは文献で知っているが、果たして王が一人で敵の前に現れるだろうか? 寧ろ国を治める王であれば護衛を引き連れて然るべきだ。

 仮に相手が本物の魔王だとしてもだ、その発言には明らかに裏があると思われた。

 直ぐに思いつくのは帝国が後続の部隊を呼び寄せた後、その背後に敵の増援――伏兵が回り込むことだ。

 退路を断ち逃げ場を失ったところを強襲するのは常套じょうとう手段の一つでもある。

 視界が開けた草原とは言え、敵が潜める場所がないとは言い切れない。初めて訪れるこの地を知る者は帝国の中にいないのだから――。

 ボルコフはシュナイダーに近づき小声で耳打ちをする。


「恐らく罠です。後続の部隊を呼んだら退路を断たれる恐れがあります」

「分かっている。お前は後続の部隊と合流して敵と接触したことを知らせろ。後続の指揮はお前に任せる。退路を確保しながら敵の襲撃に備えてくれ」

「分かりました。将軍はどうされるおつもりですか?」

「このまま戦わず逃げ帰ったとあれば陛下はお許しにならないだろう。幸い相手は一人だ。もし本当に魔王であればこの機を逃す手はない」

「――お気を付けて。文献では魔王の一撃は国を亡ぼすと記されています」


 シュナイダーはニヤッと余裕の笑みを見せた。


「心配はいらん。文献なんてものはいつも大げさに書かれるものだ。それにお前は他人の心配をする余裕があるのか? 敵の大部隊が後ろに潜んでいるかもしれないんだぞ。お前は自分のやるべきことに集中しろ」

「――そうですね。ご武運を」

「俺はやばくなったら逃げ出すさ。お前も死ぬなよ」


 ボルコフは力強く頷き馬を走らせた。

 遠ざかるボルコフを見送り、シュナイダーは「さて」とカサンドラに視線を移す。

 自ら王と言うだけあり、腕を組み佇む姿は威風堂々としたものだ。身に着けているのは見るからに丈夫なマント、そして胸と腰元を隠す僅かばかりの布だけだ。

 隆起した筋肉が離れていてもはっきりと分かる。武器はなく丸腰であることから素手で戦うことが予想できた。

 亜人は一般的に魔法が使えないとされている。もしそれが魔王に当てはまるなら魔法は使えなとみるべきだ。

 シュナイダーはカサンドラの動向を覗い覚悟を決めた。


「第二陣は弓を構えろ!」


 号令に従い後方の弓隊が狙いを定めて弓を引くのを見て、さも不機嫌そうにカサンドラは瞳を細めた。 


「私は後続の部隊を呼べと言ったはずだぞ!」


 怒りの混じった声が更に緊張感を高める。

 未だその場で足を止めるカサンドラに対し、シュナイダーの号令が兵士に飛ぶ。


「放て!」


 一斉に雨の矢が降り注いだ。

 訓練の行き届いた弓兵の放つ矢は、その多くがカサンドラを的確に捉える。


「はぁ、これだから人間は……」


 放物線を描いて飛んでくる矢を見て、カサンドラは避けることすら煩わしく感じていた。

 見るからに速度は遅く威力も弱い。それが戦いを好むカサンドラの怒りを更に助長させる。

 矢は広範囲に降り注いでいるため、誰の目から見ても回避は不可能に見えた。だからこそ、帝国の兵士は矢が命中することを不思議と思わない。

 矢の雨がカサンドラの体に幾重にも当たり、勝利を確信した帝国の兵士からは当然のように歓声が沸き起こる。

 しかし、それは束の間だった。

 カサンドラの強靭な肉体の前に矢は弾かれ、無傷であることに兵士の間にどよめきが走ったからだ。

 組んでいた腕を解き悠然と歩き出すカサンドラを見て、シュナイダーは兵士に檄を飛ばす。


「何をぼさっと見ている! 矢を絶やすな!」


 再び矢の雨が降り注ぐが結果は同じだ。

 次第に兵士の顔に恐怖の色が混ざる。前線の歩兵は楯を身構え、後方の弓兵は必死に矢を番えた。それでもカサンドラの歩みが止まることはない。


「普通の矢では致命傷は疎か手傷を負わせることも困難か――予想以上の強さだ。魔王というのも強ち嘘ではないのかもしれないな……」


 シュナイダーは自分が背負っていた弓を左手に持ち、矢筒から右手で矢を三本抜き取った。弓には弦が張られておらず、そのままでは矢を射ることが出来ない。

 だが――。


「食らえ化け物め! 魔装〈三連剛弓速射〉!」





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