人間の侵略⑤

 魔力が弓を伝わり弦が薄っすらと浮かび上がる。

 シュナイダーが矢を番えて離した瞬間、圧縮された魔力で作られた弦は通常では有り得ない速度で元の位置に戻っていた。同時にシュナイダーの右手が次の矢を番えて高速で前後する。

 目にも止まらぬ速さで放たれた矢は合計三本。 

 魔力の膜で覆われた矢は、風の抵抗を無効化しながら真っ直ぐカサンドラを捉えていた。

 魔力を纏うことで強化された矢は鉛のように重く強度も増している。普通の人間であれば掠っただけでも肉が抉り取られる一撃だ。

 矢は一直線に連なり、カサンドラの手前で意思があるかのように変化する。

 狙ったのは額、喉、心臓の三か所。

 明らかに他とは異なる矢の襲撃にカサンドラの口元がニタリと歪む。その表情の微妙な変化に気が付いたのはシュナイダーだけだ。

 多くの兵士たちは固唾を飲んで見守り、気の早い者は拳を握り静かにガッツポーズを決めている。シュナイダーの矢の威力を知っているからこそ、兵士たちは微塵も勝ちを疑わない。

 桁違いの速度で放たれた矢は寸分違わずカサンドラに命中し、弾ける様な破裂音が三つ重なって轟いた。

 天高く飛び散る矢の破片が威力の大きさを雄弁に物語る。

 衝撃で土煙が舞い上がりカサンドラの姿が見えなくなると、兵士からは歓喜の声が漏れだしていた。

 しかし、シュナイダーだけは手放しで喜べない。

 もちろん自分のスキルには自信がある。だが、矢が当たる直前に見せたカサンドラの不敵な笑みが瞳に焼き付いて離れなかった。

 もしや、と最悪の状況が脳裏を過ぎり、それは程なくして現実となる。

 風で土煙が流され薄っすらと人影が見えると、シュナイダーはギリッと歯軋りをして弓を持つ手に力を込めた。


「これでも無傷だと……」


 土煙が晴れると、そこには平然と佇むカサンドラの姿があった。矢が命中した箇所を見ても掠り傷一つ負っていない。

 シュナイダーの三連剛弓速射は自他共に認める必殺の一撃だ。侵攻軍の中では最高の威力を誇り、これで魔王を倒せなければ今のシュナイダーに打つ手はない。

 最も威力の高い攻撃が効かない相手に、それ以下の攻撃をどれだけ仕掛けたところで結果は変わらないだろう。

 有り得ない出来事に兵士たちは静まり返り表情が一変していた。自分たちが何を相手にしているのか、このとき初めて身をもって理解する。

 目の前にいるのは人の力では抗えない存在――魔王なのだと。


「まさか魔装を使える奴がいるとはな。貴様は最後に殺してやる。楽しみは最後に取っておかないとな」


 カサンドラの言葉は、まるで新しい玩具おもちゃを手に入れた子供と同じだ。

 兵士の間からは悲鳴にも似た声が上がり、前線の数人が自ずと後退る。

 幾ら訓練された兵士と言えども、勝てる見込みのない相手を前にしては虫けらの様に殺されるのが落ちだ。

 多くの兵士が恐怖で顔を引き攣らせる中で、それでもシュナイダーは冷静に弓を構えた。


「なるほど、肌に攻撃は通らないか……。ならここならどうだ!」


 シュナイダーは狙いを定めて弓を引き絞り、一本の矢を強く放つ。

 当然のように矢は魔力で覆われているが、今度は僅か一本だけ。矢が当たったところで結果は見えている。

 普通であれば相手に恐怖心を持たせる意味で、防御も回避もせず矢をそのまま受けると思われた。

 何をしても無駄だと分かれば、それだけ兵士の間に不安が募る。

 戦場では戦いを有利に進めるため、心理的に相手を追い込むのは一般的に知られた手法だ。

 仮に魔王が圧倒的な力で心理的な作戦を必要としていなくても、一人で乗り込んでくる豪胆な性格を鑑みれば、己の強さは誇示したいと思うはずである。

 案の定カサンドラは自分の心臓を目掛けて飛んでくる矢に「ふん」と鼻で笑い微動だにしない。

 絶対的強者である自信と余裕、カサンドラが動かないのはシュナイダーの想定内。だからこそ、そこに勝機があるとシュナイダーは踏んでいた。

 真に狙ったのは心臓ではなく左目。

 魔王であろうと外見は亜人と変わらない。亜人であれば例え魔王であっても瞳は鍛えようがない弱点だ。

 皮膚の硬い魔物は幾らでもいる。

 シュナイダーの経験上、どんなに皮膚への攻撃が通らない相手でも、瞳を貫いて死に至らしめることは十分に可能であった。

 思惑通り矢はカサンドラの直前で角度を変え、再び破裂音が鳴り土煙が舞い上がる。

 シュナイダーにも手応えはあった。遠目からの確認ではあるが、矢が当たる直前までカサンドラは微動だにしていない。

 防御も回避も間に合うはずがなかった。


「やったか!」


 命中精度に重きを置いた針の穴を通す精密射撃。

 しかも最初に放った三連剛弓速射の微妙な変化とは訳が違う。矢は心臓の手前、下から抉るような角度で左目を狙っている。

 シュナイダーだけではない。誰もが反応出来るはずがないと思われた、が――。

 土煙が晴れるのを見てシュナイダーの表情が曇る。

 カサンドラは顔の前で右手の人差し指を突き立て、余裕の笑みを浮かべていた。左目は当然のように無傷、矢が当たる直前に指の腹で受け止めたのは明白であった。


「目を狙ったのは正解だ。私も目は鍛えようがないからな。それにしてもいい腕をしている。人間の軍隊など弱い奴らの集まりだと思っていたが、今回は少しだけ遊ぶ価値がありそうだ――」



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