人間の侵略⑩

「シュナイダー嘘は無駄だ。帝国のことは調べがついている」


 シュナイダーは執事服の男を横目で確認するとカオスに視線を戻した。先ほどの話は当然シュナイダーの耳にも入っているため反論の余地はない。


「どうやらそのようだな」


 カサンドラが「そろそろ殺しますか?」と笑顔で尋ねてくるが、カオスはその言葉を首を横に振って拒んだ。

 自分の考えが纏まるまでシュナイダーを見据えては視線を外し、程なくして出した結論は意外なものだ。


「自己犠牲の精神か……。シュナイダー、私の部下になる気はないか? お前が私の下にいる間は帝国に危害を加えないと約束しよう。お前にとっても悪い条件ではないはずだ」


 予想の斜め上の答えにシュナイダーのみならず、この場にいる誰もが目を丸くしていた。


「つまり人質ということか?」

「残念だがお前に人質としての価値はない。私が単純にお前を気に入ったのだ」


 シュナイダーは言葉の意味が分からずにいた。

 人質として価値がないのは理解できる。その気になれば魔族が帝国を亡ぼすのは容易いことだ。

 シュナイダーを悩ませたのはその後の言葉にある。会ったばかりの相手に気に入られる覚えもなければ戦力としても期待ができない。何らかの交渉に使うのかと考えもしたが、そんな回りくどいことをせずとも力で全てを奪うことも出来る。

 シュナイダーが逆の立場なら部下に入れるとは絶対に言わなかった。戦力に劣る人間を配下に加えても不和が生じるだけだからだ。


「――俺を部下にしてどうするつもりだ?」

「そう身構えるな。部下と言ってもお前に何かを強要するつもりはない。そうだな、強いて強要するなら人間のことを教えて欲しい。魔族の目から見た人間ではなく、お前の目から見た人間のことをだ」

「何故そんなことを必要とする?」

「私は人間のことをまだ分かっていない。他の魔族から聞いた話や、文献で読んだ情報だけでは少なからず偏りがでるからだ。お前が魔族のことを誤って認識しているのと同じだ。私は正しく人間のことを学びたい」

「……断ったらどうなる?」


 カオスは真顔になり北の方角に目を向けた。


「お前に選択の余地がないことは知っているはずだ」 


 シュナイダーは釣られて北の方角に視線を移して顔をしかめた。

 抉られた地面は帝国などいつもで亡ぼせると暗示している。言葉の通り選択権は初めから与えられていない。

 帝国の未来を願うなら尚のことだ。


「――分かった。約束は守ってもらう、帝国には手を出すなよ」

「魔王の名に懸けて約束する」


 シュナイダーは泥だらけの顔で微かに笑みを浮かべると、そのまま膝から崩れ落ちた。今までの疲労も然ることながら、体に受けた傷が予想以上に尾を引いていた。

 安堵したことで気が緩み、蓄積されたダメージがシュナイダーの意識を刈り取っていたのだ。

 カオスはシュナイダーに手を翳すと回復魔法を唱えた。


「命に別状はないようだな。このまま寝かせておくか――」


 カサンドラは立ち膝で気を失うシュナイダーを煙たそうに眺めると、カオスの前でしゃがみ込み努めて優しく話しかけた。


「カオス様、人間を傍に置くことは好ましくありませんよ。こんな人間はさっさと殺してしまいましょう。賢いカオス様なら分かりますよね?」


 ぎゅっと抱きしめてくるカサンドラをカオスの手が跳ね除けた。


「カサンドラ、私はこの男を気に入ったのだ。命の瀬戸際で確固たる信念を持てる人間が果たしてどれだけいるだろうか? 私はこの男から人間のことを学び、同時にこの男にも魔族のことを知ってもらいたい。その上でこの世界をどう管理すべきか検討したいのだ」


 カサンドラは泣きたくなる。

 カオスの返答も然ることながら、もっと悲しいのは初めて抱擁を拒まれたことだ。

 話を聞いていたジークハルトの表情も明るくなかった。

 ジークハルト自身もカサンドラの意見に賛成であるが、魔王に意を唱えるなど烏滸おこがましい話だ。

 全ての魔族は魔王に従うために存在している。助言は出来ても反論など出来ようはずがない。


「カサンドラ様の心中お察しいたします。ですが全ての決定権はカオス様にございます。魔族にとって魔王の言葉は絶対です。それは混血ブラッドの王たるカサンドラ様も例外ではございません」


 当然のことだ。


「――分かっている」


 カサンドラは顔を伏せて力なく答えた。

 カオスは自分の意見が通ったことで満足げに頷くと、自らカサンドラの胸に飛び込む。


「すまんなカサンドラ。私の我が儘を許して欲しい」

「――仕方ありませんね。今回だけですよ」


 カオスは微笑むカサンドラを見て安心すると北の大地に目を向けた。


「それにしても凄まじい威力だな。もしかしてさっきのが魔装か?」

「知っているのですか?」


 カサンドラは首を傾げた。

 自分は勿論だが、ヒルデモートやアニエスも魔装のことは話していないはずだ。過保護なハデスが教えるとは考えにくいし、メイドが勝手に教えるはずがない。

 視線を逸らしてジークハルト、その後方にいるアグニスを見るが二人とも首を横に振っていた。

 カサンドラがカオスに視線を戻すと簡単な答えが返ってくる。


「城の書庫で読んだことがある。それに私の特訓のことでヒルデがお前と口論したとき、自然と口に出していたからな」

「そう言えばそんなこともあったような――」

「どうして私に教えなかったのだ。こんなに凄い威力なら教えてくれてもよいではないか」


 カオスは抉れた地面を見て口を尖らせた。

 そんなカオスの様子もカサンドラにとっては可愛くて仕方ない。目線を合わせると実の子に言い聞かせるようにカオスの頭を優しく撫でた。


「魔装は制御を誤ると大変危険です。自分の身を滅ぼしかねません。皆で話し合った結果、カオス様のお体が成長してから教えることになったのです」

「危険なのか? 見た感じだと魔力を魔法に変換せず、そのまま操っていた様に見えたが……」

「魔力を体から直接出すだけでも長年の鍛錬を必要とします。制御を誤り魔力を出し続けると命に関わりますよ。カオス様に魔装を教えるのはもう少し後になってからです」


 カサンドラはよしよしと子供をあやす様にカオスの頭を撫で続けた。

 しかしカオスはそんなことなどお構いなしに、ただ自分の手をじっと見続けていた。






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