人間の侵略⑨

 シュナイダーの意識が徐々に戻り始めた。

 衝撃で吹き飛ばされたことは微かに覚えている。鎧は所々ひしゃげて体中に痛みが走るが、それより気になるのは逃げた部下たちの安否だ。

 眩しい陽の光に目を細めながら、シュナイダーはゆっくりと顔を上げて周囲を見渡し愕然とした。

 緑で生い茂る南とは対照的に、兵士が逃げた北の方角は地面が剥き出しで見る影もないからだ。カサンドラが放った一撃で地面は抉られ、剥き出しになった茶色い土が何処までも北に広がっていた。

 遠くに見えていた兵士の後ろ姿も消えてなくなり、シュナイダーの虚ろな瞳からは涙がこぼれ落ちた。


「馬鹿な……、あれほど大勢の兵士がいたんだぞ。なぜ姿が見えない。みんな死んだというのか?」


 弓の名手であるシュナイダーの視力は他者を凌駕する。そのシュナイダーがどんなに目を凝らしても動く人影を見つけられずにいた。


 全滅――。


 最悪の二文字が真っ先に浮かぶ。

 シュナイダーは地面に這いながら全身を震わせ戦慄いた。

 怒り、悲しみ、怨み、苦しみ、そして何も出来なかった悔しさ。様々な感情が渦巻きシュナイダーは地面に拳を叩きつけた。


「俺のせいだ。俺の判断が間違っていた。直ぐに撤退していればこんなことにはならなかったはずだ……」


 悔やんでも悔やみきれない。

 預かった命は八万という膨大な数だ。遠くから徐々に近づいて来る足音にシュナイダーは涙を拭い顔を上げた。

 目の前で立ち止まったのはカサンドラだ。優越感に浸っているのか口角を上げてシュナイダーを見下ろしていた。


「殺気は押さえてある。普通に話すくらいは出来るはずだ。少しは私の苦しみが分かったか?」


 地面に這いつくばっていたシュナイダーは、歯を食いしばると痛みを堪えながら立ち上がり、顔を上げてカサンドラを睨みつけた。

 言いたいことは山ほどある。だが何よりも最初に確かめなければならないことがあった。


「お前は一体何者なんだ。やはり魔王なのか?」

「貴様は馬鹿なのか? 私は最初に言ったはずだぞ。この地を治める王だとな」

「ではやはりお前が魔王――」


 同じ問いにカサンドラが苛立ちを見せた。


「何度も言わせるな! 私は魔王様よりこの地を預かる王の一人に過ぎん。私如きが魔王だと? 笑わせるな!」

「……王の一人だと?」


 帝国の文献にはなかった話だ。

 シュナイダーが困惑していると背後か問いに答える者がいた。


「魔族には六つの種族がある。カサンドラはその一つを束ねる王でしかない。ちなみに魔王は私だぞ」


 シュナイダーが振り向くとそこには小さな子供がいた。口をへの字に曲げてさも不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。

 シュナイダーは岩のように固まり上手く言葉が出てこない。柔らかそうな肌に小さな指、何度見直しても普通の子供にしか見えないからだ。


「何の冗談だ?」


 絞り出した言葉にカサンドラが歯を剥き出して怒りを顕わにする。


「人間如きが! カオス様を見下ろすとは何事だ! 平伏し崇めろ!」 


 瞬時に背後に回ったカサンドラはシュナイダーの足を払い地面に倒すと、そのまま背中を踏みつけ動きを封じた。

 鎧がギシリと悲鳴を上げてシュナイダーの胸が圧迫される。立ち上がろうにもビクともせず、まるで巨大な岩が背中に乗ってるかに思えた。

 息も切れ切れに苦痛で顔を歪めるシュナイダーを見て、カオスは首を傾げた。


「で、こいつは誰だ? 他の兵士とは違うようだが……」

「軍を率いていた指揮官と思われます。それよりもお怪我はございませんか?」

「怪我? ああ、そう言えば矢が飛んできたな。私に体術を教えたのはカサンドラ、お前だぞ? あんなもので怪我をするはずがないではないか、何を言ってるんだ」


 先ほどまでとは打って変わりカサンドラは笑みを見せる。


「それは何よりです。この男は今すぐ始末しますので少々お待ちください」


 久しぶりにカオスを見て嬉しいのだろう。嬉々として拳を振り上げるカサンドラをカオスが止めた。


「いや待て! この男には聞きたいことがある」

「聞きたいことですか……」

「人間のことを知りたい。人間のことは人間に聞くのが一番だからな」


 カサンドラが渋々シュナイダーから足を退けると、シュナイダーはよろめきながら立ち上がりカオスに視線を移した。

 二人のやり取りでどちらが目上の存在かは一目瞭然だ。

 相手は子供、殺せるか? そんな思いが一瞬過ぎるも、鋭い視線を向けるカサンドラを見てシュナイダーは諦めた。

 手も足も出なかった相手が直ぐ傍にいるのに殺せるはずがない。いまシュナイダーが成すべきことは帝国への被害を最小限に食い止めることだ。相手が話を聞きたい――話し合いを求めたこともシュナイダーにとって好都合と言えた。


「先ずは名前を聞こう」


 カオスの問いにシュナイダーは逡巡する。

 嘘をつくことは簡単だがシュナイダー自身は嘘が得意ではなかった。全てを嘘で固めては必ずぼろが出ることを誰よりも自分自身がよくしっていた。

 死体を調べれば帝国のことも遅かれ早かれ知られることになる。真実の中に嘘を隠す、全ては自分一人が罪を被るため。

 帝国がこれ以上の犠牲を出さないために――。


「どうした。早く答えないか」


 促されてシュナイダーは重い口を開いた。


「シュナイダー・リンドブルグ。ラングレナ帝国の将軍をしている」

「将軍か……、軍を率いているのだから将軍なのは頷けるな。まぁ役職はこの際どうでもいい。私が聞きたいのはお前たち人間が魔族をどう思っているかだ」

「何を今更、魔族は魔物を操り人間に害を及ぼす敵だ。それ以外に何があると言うんだ」


 カオスは顔を顰めると小首を傾げた。

 確かにベヒモスのように従っている魔物はいるが、人間を襲わせているとは聞いたことがなかった。


「カサンドラ、今の話は本当か? 魔物を使って人間を襲っているのか?」

「まさか、人間など襲う価値すらございません。それに魔族に従うのは魔大陸の魔物だけです。北の大陸ノースガイアの魔物など知ったことではございません」

「……だそうだ。人間の住む大陸は私たちの管轄外だ。魔物を管理出来ないお前たちに責任がある。それを都合よく魔族のせいにするな」

「馬鹿な! 確かに文献では――」


 反論するシュナイダーをカオスは冷静に諭す。


「その文献とやらも人間が都合よく書いたものだろ? 自分たちの力の至らなさを他人せいにしているだけだ。魔物が人間を襲うのは魔族のせいだと? 馬鹿げた妄想だ。今回のことに関してもお前たち人間は余りに身勝手だ。私の治める魔大陸に侵略して魔族を殺そうとした。お前がやっていることは盗賊と変わらない」

「違う! 我々には大義があった!」

「何が違う? 盗賊は他人の家に押し入り住民を殺して金品を奪う。力で他人の領土を奪おうとするお前たちと何も変わらんではないか」

「我々は帝国の繁栄を願って戦っている! 帝国の民を飢えさせないために!」

「その為なら他の国は――魔族は滅びてもいいと? 結局は自分たちのことしか考えていない。それこそ考え方は身勝手な盗賊と同じだな――くだらん」

「俺はそうは思わない。帝国が全ての国を支配すれば、きっと争いのない平和な世界が訪れる。だからこそ俺は自分の裁量で軍を動かしたのだ。帝国の領土を広め何れは大陸を統治するために!」

「自分の裁量で軍を動かしただと? つまりお前の独断と言うわけか……」


 シュナイダーの発言は夢物語だ。前世の記憶があるからこそカオスは無理だと分かっていた。


(全ての国を支配すれば平和な世界が訪れる? 馬鹿げている。それにはどれだけ多くの血を伴うことか……。更には出来る保証はどこにもない。血が流れるだけで後世の学者に批判されるのが落ちだ。もし仮に出来たとしても王が変わるたびに情勢は揺れ動くはずだ。内乱により国が分裂することも考えなくてはならない。早い話しが争いが無くなることはないということだ。しかも、こいつは自分の独断で軍を動かすとか馬鹿なのか? 話にならんな……)


 カオスは深い溜息をついた。


「はぁ……、もういい。お前を殺して全て終わりにしよう」


 カオスが手を突き出し魔法を唱えるより先に、いつの間に傍にいたのかジークハルトが口を開いた。


「少々お待ちくださいカオス様。あのシュナイダーという男は嘘をついております」

「――どんな嘘だ?」

「帝国の軍が動いたのはシュナイダーの独断ではございません。帝国の評議会の下で正式に決定したことです。恐らくは帝国本土に害が及ばぬよう、一人で罪を被ろうとしたのでしょう」

「ほう……」


 カオスの視線が細くなる。


(どこだ、どこから誘導された? くそ! 会話が思い出せん! 普通この状況下で自分を犠牲に国を助けるか? やれと言われても簡単に出来ることじゃないぞ。これだから人間は……)


 事細かく会話など覚えていない。

 してやられた事に不満はあるが、カオスがシュナイダーを見る目は今までと違っていた。



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