トカゲ

 貿易都市ゴーレンから北に約百キロ、開けた森の中をカオスとシュナイダーは地面を踏みしめ歩いていた。

 鬱蒼と草木が生い茂った森を想定していたカオスは少し拍子抜けだ。手入れがされているとまでは言い難いが、人が通れる道が幾つもあるため草木が歩行の妨げになることはなかった。

 カオスが特訓で訪れていた魔大陸の森とは違い、木漏れ日が地面に差し込み適度な明るさもある。

 周囲に意識を向けると魔物や動物らしき気配は感じられるが、敵意はないのか襲われることもなかった。

 なんとも平和な森だ。


「周囲に魔物らしき気配はあるが襲ってくる様子がないな」

「男には興味がないのでしょう」


 肩を竦めるシュナイダーを見てカオスは顔をしかめた。


「――性欲のはけ口か、余り想像はしたくないな」

「魔物は強い種を残すために、最も強い雄が雌を独占しますからね。雌にありつけない雄は、他の種族の雌で欲求を満たそうとする。俺が帝国にいた時も、村の女性が攫われることが頻繁にありましたよ。特に姿が人間に近いゴブリンなんかは、人間の女性を好んで襲いますからね」

「それで希に生まれてくるのが、魔物と人間の血を引いた亜人か。望まれずに生まれてくるとは悲しいものだ」

「確かにそうですが、俺はそれ以上にカサンドラ様のような魔族がいることが信じられません。魔族より強い魔物なんて笑い話にもなりませんよ」

「全ての魔族が昔から強かった訳ではないからな。私の父が生まれた頃は、殆どの魔族が人間と変わらず弱かったと聞いている。その中で生まれたのが、カサンドラの種族、混血ブラッドの先祖らしい。もちろん今では魔物に襲われることはないが、混血ブラッドは他の種族と交わることを極端に嫌っている。未だに魔物の血が色濃く残っているのはそのためだ」

「なるほど、同じ種族を伴侶にしているから肌の色が未だに魔物に近いんですか――」


 頷くシュナイダーを横目にカオスは足を止めた。


「ここからは雰囲気が違うな」


 視線の先あるのは行く手を阻むように生い茂った草木だ。

 上空を見上げても差し込む木漏れ日は僅かしかない、先ほどまでとは群生する木の密度が明らかに違う。


「今までは森の表層ですからね。言わば人間も出入りできる森の入口です。ですが、この先は森の深層、人間が普段足を踏み入れない場所です。お言葉ですが本当に行かれるのですか?」

「ここまで来て今更なにを言っている?」

「でしたら森に来た時のように、魔法で姿を消して空を飛んだら如何です? この森の中を歩くのは時間が掛かりますよ」

「森にいる魔物を確認したい。このまま歩いて――いや、走って移動する。上空から見た限りではこの森はかなり広い。急がなければ帰りが遅くなってしまう」

「本気ですか?」


 シュナイダーはさも嫌そうに顔をしかめた。

 魔大陸で格段に強くなったとは言え、カオスの速度に付いていける者は魔族の中でも極わずかだ。

 シュナイダーが付いていけないのは勿論のこと、もし深い森の中で逸れぐれでもしたら、合流するのは容易ではない。

 カオスもそれを見越しているのだろう。分かっていると言わんばかりに苦笑する。


「シュナイダーもゴーレンの街に来てからは体を動かしていないだろ? 少しは体を動かした方がいい。――そんなに嫌そうな顔をするな、走る速度は加減する」

「――ほんとに頼みますよ」

「では行くぞ。迷子になりたくなければ置いて行かれるなよ」


 藪を飛び越え木の枝に飛び移るカオスを見て、シュナイダーも覚悟を決めるしかなかった。同じように枝に飛び移ると、二人は枝や地面を蹴りながら、尋常ならざる速度で移動を始めた。

 景色が高速で流れる中で、カオスは背中にシュナイダーの気配を感じながら、つかず離れず一定の距離を保てるように速度を微妙に調整していた。

 更に周囲を警戒しながら、森に生息する魔物、動物の確認も怠らない。

 カオスの眼球は絶え間なく魔物を捉え、一時間ほど走ったところで視線は前を向いた。


(やはり森の奥に行くほど強い魔物がいるな。恐らく森の最深部はあそこか――)


 視線の先にある開けた岩場を見てカオスは警戒を強める。

 違和感に気が付いたのはシュナイダーも同じだ。速度を緩めたカオスの隣に並び、二人は互いに目配せをすると岩場の前で足を止めた。


「強い気配を感じるな。差し詰めこの森の主と言ったところか」


 疲れ切っていたシュナイダーは、肩で大きく息をしながらカオスの意見に同意する。


「でしょうね。魔物であれ人間であれ、危険な場所では必ず気配を隠そうと防衛本能が働きます。ですが、この先にいる魔物は気配を隠そうともしていません。他の魔物に襲われない絶対の自信があるのでしょう。森の頂点に君臨する魔物で間違いないと思います」

「どんな奴がいるのか楽しみだな」


 颯爽と歩き出すカオスの背中を見て、シュナイダーは休む暇もないのかと愚痴をこぼす。


「俺はもう五十半ばですよ? 少しくらい休ませてくださいよ」

「休みたいなら休んでいろ」


 シュナイダーとて休めるものなら休みたいが、自分の置かれた立場を考えれば、カオスを残して休むわけにはいかなかった。

 何より休んでいたことがメイドにバレた時のことを思うと、いまは重い体を引きずっても、カオスの後を追う方が賢明であった。


「――本当に今日はついてないなぁ」


 重い足取りで後を追うシュナイダーであったが、その足は一分と経たずに直ぐに止まった。


「なぁシュナイダー、あれは何をやっているのだ?」


 カオスが足を止めて見ていたのは、一体の巨大な魔物だ。

 人間の数倍はあろうかと言う巨大なトカゲが、近くの岩場につかまり天に向かって大きく口を開いていた。


「――空を飛んでいる鳥を食べようとしているのでしょうか?」


 上空には巨大なトカゲをあざ笑うように、数羽の鳥が旋回を繰り返している。

 しかし、カオスの姿を見ても、トカゲの眼球が僅かに動くだけで、襲ってくる気配は微塵も感じられない。


「餌が欲しいなら私たちを襲うはずだが、もしかして――」


 カオスは固い岩場の地面に手を翳した。


「[水球ウォーターボール]」


 手から放たれた水の塊は轟音と共に岩を抉り地中に穴を空けた。出来上がったのは、なみなみと水が張られた深さのある水溜まりだ。

 次の瞬間には巨大なトカゲの目玉がギョロリと動き、二人を見ても微動だにしなかった巨体が水溜まりに食らいついた。

 水の中に頭を突っ込み、ゴクゴク喉を鳴らしながら美味しそうに水を飲み始める。


「喉が渇いていたんですね。それにしても、まさか雨が降るのを口を開けて待っていたとは……。図体の割に頭はかなり弱いようですね」

「――まぁ頭はさておき、私たちに危害を加えるつもりはないようだな。初めて見る魔物で種族は分からないが、シュナイダーはこの魔物が何と呼ばれているのか聞いたことはないか?」


 巨大な魔物は如何にも固そうな赤い鱗に覆われている。 

 シュナイダーは専門家ほど魔物に詳しいわけではないが、それでも国を防衛する将軍として有名な魔物は一通り知っていた。


「赤い鱗にトカゲにも似た巨大な図体、炎の悪魔として名高いレッドドラゴンに間違いありません。数百年に一度しか出現しないとされる希少種ですよ」

「ドラゴン?」


 カオスは訝し気に目の前の魔物を見る。


「いや、確か城にあった文献ではドラゴンは空を飛べると記載されていた。それに全てのドラゴンは魔族の支配下にあると、昔ハデスに聞いたことがある。言葉も話せるため無言と言うのも可笑しい」

「まじですか……」


 新事実を聞かされシュナイダーは溜息を漏らした。

 ドラゴンと言えば、世界の創生に関わったとさせる神の如き存在だ。もちろん伝説や御伽噺で伝わるだけで、実際に信じる者は少ないが、それでも力のある魔物であることに変わりはない。

 それが魔族の支配下にあるばかりか、話も出来るとは、シュナイダーは呆れるばかりだ。


「ドラゴンと言えば、魔物を統べる王とも言われているのに、まさか魔族の支配下にあるとは――もはや何でもありですか?」

「私に聞くな。ハデスから聞いた話で私だってドラゴンに会ったことがないのだ」

「まぁ、カオス様なら何でもありで可笑しくはないのですが……。これがドラゴンでないとしたら一体何なんです?」

「――恐らくは、ドラゴンが他の種族と交わって出来た、ドラゴンの亜種だろうな。城で見た文献には、この世界にはドラゴンの亜種が多数いると記されていた」

「ドラゴンの亜種ですか……」


 今まで培われた人間の知識とは何だったのか。

 シュナイダーは人間の知識が如何に浅はかなものかを思い知らされていた。

 魔王と呼んでいたカサンドラのことも然りだ。

 人間は知らないことが多すぎる。


「それで、こいつの素材は高値で取引されているのか?」

「ドラゴンの素材は牙も爪も鱗も全て高値で取引されています。もっとも、今まで我々がドラゴンと呼んでいた魔物は、真のドラゴンではないようですが――」

「そんなに落ち込むな。本当のドラゴンに会ったことがなければ、ドラゴンと疑っても仕方あるまい。それより爪を一つだけ貰って帰るとしよう」


 シュナイダーは聞き間違いかと耳を疑う。


「あの、爪を一つだけですか? 殺して素材を全て回収しないので?」

「下手に殺しては森の生態系が崩れる。それに爪や牙を全て斬り落としては、こいつが獲物を取れなくて餓死する恐れがあるからな。爪を一つ失う程度であれば、今後の生活に支障をきたすこともあるまい。それに爪なら、時間の経過で元通りに伸びるはずだ」

「確かに爪の一つでもかなりの金額になりますが――」


 当初の予定と違うことにシュナイダーは戸惑いを見せるが、カオスにとっては予定通りに事は運んでいた。


「金もそうだが、私の真の目的は冒険者のランクを上げることにある。レッドドラゴンと呼ばれている稀少な魔物であれば、冒険者ギルドに爪を持ち帰り、討伐したと報告することでランクは数段上がるはずだ」


 自身満々に話すカオスの計画はこうだ。

 強い魔物の素材を手に入れ、それを冒険者ギルドに持ち帰り、討伐をしたと報告をする。もし、それが高ランクの冒険者でしか倒せない魔物であれば、冒険者ギルドも二人のランクを改めざるを得ないというわけだ。

 しかし、カオスの計画にシュナイダーが水を差す。


「お言葉ですがカオス様、そんなことをしてもランクは上がりませんよ」

「……なぜだ?」

「素材を持って行かれても討伐した証拠にはなりません。何処かで購入した物かもしれませんし、拾った物かもしれません。過去には、金に物を言わせて稀少な素材を買い集め、討伐したと虚偽の報告をした冒険者もいたようです。今では不正を防ぐため、素材を持ち込んでも討伐をしたことにはならないんですよ」


 カオスは早く教えろと言わんばかりに、ジト目でシュナイダーを見つめ続けた。


「そんな目で俺を見ないでくださいよ。ちゃんと目的を言わないカオス様にも、責任はあるんですからね」

「――結局は私の早とちりで終わるのか」

「そんなにランクを上げたいなら、ジーク様に頼んでは如何です? ジーク様の商会なら、名指しで護衛の依頼は受け放題、襲ってくる盗賊の一人でも返り討ちに出来たら、冒険者ギルドもランクを考え直すと思いますよ」


 カオスは瞳を見開いた。


「シュナイダー、お前は賢いな」

「普段のカオス様なら真っ先に思いつきそうなもんですが、妙に抜けているところがあると言いますか――」


 カオスはまるで馬鹿だと言われている気がしたが、それは強ち間違っていない。付け焼刃の知識など所詮はこんなものだ。

 カオスにじっと見られて流石に言い過ぎたと感じたのか、シュナイダーが慌てて話を戻した。


「――それより、あのトカゲの爪を持って帰るんですよね? 逃げない内に早く回収した方がよろしいのでは?」


 シュナイダーが水を夢中で飲んでいるトカゲに視線を向けると、カオスも同じく視線を移した。


「――呼び名がトカゲでは余りに可哀そうだな。取り合えずこいつの種族はサラマンダーにしておこう。それと爪は諦める、ランクが上がらないのでは意味がない。素材は高く売れるかも知れないが、敵意が無い者を、金のために傷つけるのは気が引ける」


 水を飲み終えたサラマンダーが、ざぶんと水溜まりから顔を上げた。


「きゅう、きゅう、きゅう――」


 ありがとうと言いたいのだろうか? サラマンダーは鳴き声を上げながらしきりにカオスに頭を下げた。

 遠くを見上げれば、帰りの時間を知らせる様に空が徐々が茜色に染まり始ている。

 夕日を浴びて、サラマンダーの鱗が更に鮮やかな赤に輝いているのを見て、カオスはシュナイダーの下に歩み寄る。


「帰るぞシュナイダー」


 最後にカオスはサラマンダーに振り返り笑みを見せた。


「お前も達者でな」


 転移魔法で忽然と姿を消した二人に、サラマンダーは訳が分からず首を傾げた。その後も名残惜しそうにカオスのいた場所を朝までずっと見続けていた。




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