従者③

 青空の下をカオスはとことこ小さな歩幅で歩いていた。泥濘ぬかるんだ草原と濡れた草露の匂いが、昨日の別れを思い起こさせる。

 いつもの特訓場所に向かう最中だが、何処で話を聞きつけたのか、アグニスの周りをメイドが取り囲み厳戒態勢を敷いていた。

 万が一の時にアグニスを取り押さえるためとは言え、これではメイドがアグニスを護衛しているようにしか見えない。

 少し離れた場所からジークハルトがアグニスの動向を警戒し、最後尾をカオスとハデスが一緒に歩いていた。


「なぁ爺、私が狙われているのは分かるが、どうして今になって護衛が必要なんだ? 今までそんな者はいなかったではないか」


 カオスは隣を歩くハデスを見上げて怪訝そうに口を尖らせた。ハデスはそんなカオスが面白いのか僅かに笑みを見せる。


「昨日まで護衛はいたではありませんか」

「ん? いたか――」


 昨日までいて今はいない人物。

 カオスの脳裏にヒルデモート、アニエス、カサンドラの顔が浮かび上がる。


「――そうか、ヒルデやアニエス、カサンドラか。私はずっと守られていたのだな」

「はい。仰る通りでございます」


 カオスは懐かしそうに三人の乳母を思い出す。

 別れてからまだ一日だというのに、もう何年も合っていないかに思えた。それだけ自分にとって乳母の存在は大きのだと、カオスは改めて実感する。


「既にもう懐かしく感じるな――」


 感傷に浸るカオスを見て微笑むハデスであったが、少し間を置いて真剣な顔つきになる。


「カオス様、アグニスのことですが……」


 アグニスと聞いてカオスは身構えた。 

 話の選択肢は幾つか予想出来るが、どれもカオスの望むことではないからだ。


(面倒だな……。護衛の取りやめか、それとも厳罰か。もしくはその両方か。爺の言い出しそうなことは、そんなところだろうなぁ――)

 

「先に言っておくが護衛の取りやめはないぞ?」

「いえ、そうではございません。カオス様にお礼を申し上げたいのです」

「お礼?」


 不意を突かれた発言にカオスの頭の上に疑問符が浮かぶ。


(爺にお礼を言われるようなことはしてないぞ。新手の嫌がらせか? まさかお礼と称して、お礼参りでもするつりじゃないだろうな! やられはせん! やられはせんぞ!)


 カオスは歩きながらステップを踏み、シャドーボクシングをするように拳を突き出した。それを見たハデスは戸惑うばかりだ。


「――あの、カオス様? いったい何をなさっているのでしょうか」

「特訓前の準備運動だ、気にするな。それよりアグニスがどうかしたのか?」

「はい。この度は孫の――アグニスの命を助けていただきありがとうございます。幾ら孫とは言え、私はアグニスを厳罰に処するつもりでおりました。それこそ死罪になっても可笑しくないと――」


 カオスの歩みがピタリと止まる。

 口をぽかんと開けてハデスを見上げた。


「はぁ?」


(孫? 孫って何だ……、アグニスが爺の孫?)


「ちょっと待て! アグニスは爺の孫なのか?」

「左様でございます。仰いませんでしたか?」


(仰ってませんね。爺はついにボケたか――)


 だが、こうなると話はややこしいことになる。

 カオスは俯き考え込み、ハデスの家系図を頭の中で整理した。


「つまりあれか? 爺の息子は私に死んで欲しいが、そのまた息子は私を守ると誓ったわけだ」

「左様でございます」

「……えっと、今更だがアグニスは信用できるんだよな?」

「アグニスは芯の通った男です。カオス様をお守りすると誓った以上、命に代えても必ずや守り抜くでしょう」

「いや、そうなんだが……。アグニスの父は私の命を狙っているんだろ?」

「ご懸念はごもっともでございます。ですが、我ら悪魔デーモンは家族としての繋がりは希薄なのです。子育てが終われば親子が一緒に暮らすこともございません。何より我らは自らの意思を尊重します。例え血のつながる親子であっても、その意思を曲げることは容易ではございません。特にアグニスは意思の強い男、必ずやカオス様のお役に立てるはずです」


 カオスはこれまでのことを思い出す。

 思えば最初にアグニスを連れてきたのはハデスだ。

 ハデスが自分の信頼できない魔族を連れてくることは考えにくい。初対面で些細な問題はあったが、その後アグニスは絶対の忠誠を誓っている。


(問題はないか……)


「――まぁ、最初にアグニスを連れてきたのは爺だしな。私は爺のことを信じているし、アグニスの言葉は嘘を言っているように思えなかった」

「ご理解いただけたようで何よりでございます。では参りましょうか――」


 カオスとハデスは再び歩き出す。

 皆が待っている特訓場所へと――。



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