第二章 あくまで友達です。

05話 天然ギャルに面白いアニメを薦めた。

 僕こと黒田ミツカゲはオタクである。

 正確には、アニメオタクである。


 アニメをこよなく愛する僕は、1クール三ヶ月の期間に最低30本以上のアニメを欠かさず視聴してきた。

 中学一年の春から三年間、毎クールずっとだ。

 暇があれば昔のアニメにも手を出し、アニメの変遷へんせんないし歴史を学んでいった。

 

 それほどまでにアニメというものに惹かれたのは――二次元の世界に魅了されたのは、自分になにもなかったからだった。

 空っぽだったのだ。

 生まれてから毎クール、ずっと、ずっと。


 だから。その空洞に入り込んできたアニメという文化に、いとも簡単に魅了された。

 渇いた砂漠に水を垂らすかのごとく、アニメは僕の血肉に染み込んでいった。

 実家の黒田旅館くろだりょかんを出ようと決意したのも、そうしたアニメの存在がきっかけと言っていい。


 そんな、病的なアニメオタクである僕だから、ことアニメという分野において答えられない質問はないだろうと自負していた。


 彼女から、こんな質問をされるまでは。






「一番面白いアニメはなんスか?」


「……え?」

 

 赤霧ナコとの友達条約を締結した、数時間後。

 四時間目。数学の授業中に、隣席の赤髪ギャルが小声でそう問いかけてきた。


 僕は一度、黒板に板書しているロリヤンキーこと無雨むさめキリエ先生(34歳)を見やったのち、同じく小声で返した。


「い、一番面白いアニメとは?」

 

 先ほど、三時間目の休み時間の雑談で僕がアニメオタクであることを話したから、それに関連した質問なのだろうけれど。


「そのまんまの意味っスよ。これまで見てきたアニメの中で、ミッチーが一番面白いと思ったアニメはなんスか?」


「……グッ!」


 机に両肘をつき、思わず頭を抱える。


 人生最大の難問がきたッ!!


 ネット上で度々目にはしていた。アニメ好きを公言すると、セットで『面白いアニメは?』と訊ねられる、と。

 馬鹿げた質問だ、都市伝説だろう、と僕は鼻で笑っていた。

 アニメオタクが、そんな人生の命題に答えられるわけがない。

 その問題に答えられるのは、人生を賭してアニメを愛し続けた者のみ……つまり、死の直前までアニメに身をやつした者だけなのだから。


 実在した!

 都市伝説は実在したのだッ!!


「ミッチー?」


「すこし、待ってください……」


「? うん、待つっス」


 頭を抱えながら、脳内で過去視聴したアニメのタイトルを並べていく。

 その数、およそ500タイトル。

 古いものは25年前、新しいものは数日前のアニメになる。


 この中から一番を選ぶ?


 不可能だ。多いからじゃない。すべてがオンリーワンで、ナンバーワンだからだ。

 しかし。赤霧さんは『一番』を求めている。

 これらのアニメの中で、優劣をつけなければならない、ということだ。


 円盤の売り上げ枚数で一番を決める?

 馬鹿げている。作品の面白さは、決して売り上げ枚数に比例するわけではない。


 円盤枚数でなければ、純粋な面白さでの順位か?

 それこそ決めるのは不可能だ。コメディアニメの面白さとシリアスアニメの面白さは異なる。別ジャンルが混在する以上、同じ土俵にあげて競い合わせることはできない。


 どうする? どうやって一番を決める?



「おし、それじゃあここの問題を……窓のほうをジっと見てる、よそ見野郎な赤霧ナコ。答えてみろ」


「え? ああ……えっと、X=2、Y=4っスかね?」


「せ、正解だ……クソ、相変わらず赤霧は見た目によらず優秀だな。なんか悔しいわ」


「あざっス。てか、ロリヤンキーちゃんに見た目云々は言われたくないっスよー」


「口答えすんな。つーかロリヤンキー言うな。次からはよそ見せず、ちゃんと先生の授業を聞いておくこと。わかったな?」


「はーい」

 


 オタク同胞である灰村カイトに助言を求めるか?

 いや、この質問は僕に焦点が定められている。僕ひとりで答えなければ意味がない。

 僕がこれまで見てきた中で、一番面白いと思ったアニメ。面白いアニメ。面白いアニメ!


 わからない。わからない。わからない。

 こんなの、答えられるわけがないッ!!


「じゃあ、次の問題を……隣の席の黒田。答えてみろ」


「……わかりません」


 脳内に並べられたアニメタイトルの数々を眺めながら、僕は愕然と口を開いた。

 両肘はついたまま、某人類補完計画の総責任者のような硬い面持ちで、僕は続ける。

 話している相手が無雨先生にげ代わっていることに、このときの僕は気付いていない。


「僕は、この問題に答えることはできません……!」


「え……い、いやいや。これは数字を当てはめるだけだから、かなりサービス問題だと思うぜ。ほら、見てみろ黒田。ココと、ココの数字を比べて答えるだけで――」


「数字で決められる問題ではないんですよッ!!」


「数字で決められる問題なんだけど!? 黒田はなんの問題に直面してんだ!?」


「僕の人生における命題ですが!?」


「重えッ!! 先生が言うのもなんだけど、これは単なる数学の問題だぞ! 目を覚ませ!」


 無雨先生の突っ込みに、ドッ、と教室が笑いに包まれた。

「やばっ!」「コントかよ!」「あんな面白かったんだ、黒田くんって!」教室の端々から、そんな声が飛び交う。


「……はっ!」

 

 しまった。

 熱が入りすぎて、先生相手に熱弁してしまっていた。

 

 我に返った僕は、声のトーンを下げて黒板の問題に答えると、そっと肩を縮こませた。

 クソ、恥ずかしくて顔が熱い。穴があったら入りたい気分だ。

 でも、実際に穴に入ったらもっと恥ずかしそうだから、もう普通に家に帰ってソファの上で丸まって眠りたい。


 そんなことを考えていると、隣からトントン、と肩を叩かれた。


「ふひひ。人気者っスね、ミッチー」


 忍び笑いをもらしながら、赤霧さんが僕に向かってグッ、と親指を立ててくる。

 嫌味を言う気もなくなるほど、それは清々しい笑顔だった。


「てか、もしかして、私のさっきの質問で悩ませちゃってる感じっスかね?」


「……まあ、すこしだけ」


「あー、ゴメンなさいっス。そんなに悩まなくても、ミッチーが選んでくれたアニメならなんでも見るつもりだったんスけど」


「へ?」

 

 思わず変な声が出てしまった。


「ぼ、僕が選んだアニメを見るんですか?」


「? うん。そのつもりで質問したんスよ。ミッチーほどではないにしろ、すこしは私もアニメのこと勉強したいなと思って。順序が逆になっちゃったっスけど、やっぱ友達の趣味は分かち合いたいっスから――あれ、私なんか勘違いさせちゃってたっスかね?」


「いえ……なるほど、そうでしたか。なるほど……」

 

 オタク的な探究心に基づいた質問ではなく、単純にアニメ初心者としての質問だったのか。

 合理的というか、まあ、普通はそういう考えに至るのか。

 カイト以外の人間とのコミュニケーションが少なすぎて、会話の流れが掴めなかった。

 

 であれば、話は簡単だ。

 僕の好みも交えつつ、質問してきた赤霧さんのことを考えて『一番』を決めるだけである。


「すこし、むずかしく考えすぎてました。参考までに、赤霧さんのアニメ歴を教えてもらってもいいですか?」


「んー」

 

 器用にシャープペンをくるくる回しながら、赤霧さんは口を開く。


「全然見てきてないっスね。日曜夕方にやってるような国民的アニメぐらいじゃないっスかね、ちゃんと見た覚えがあるのって。あとは『ゾブリ』の映画とか?」


「なるほど。では、アニメ初心者でも楽しめる作品を見繕って、明日にでもBDブルーレイディスクを持ってきますね」


「え……いやあ、それはなんか申し訳ないっスよ。タイトルだけ教えてもらえば、『ツタダ』とかで借りて見るっスよ」


「それは絶対ダメです」


「ち、力強い否定っス……」


「というのも、アニメBDは販売品とレンタル品で、特典映像やオーディオコメンタリーなどの内容に違いが生じるんですよ。なので、そのアニメを100%楽しむためには正規の販売品を見るしかないんです」


「へえー」

 

 アニメ本編のみを追うのであればネット配信やレンタル品でもかまわないが、ネット配信は視聴期間が限られており、レンタル品は画面の解像度をわざと落としているものがある。

 アニメ本来の面白さを味わいたいのであれば、販売品を購入するのがベターだろう。


「そうだったんスね。知らなかったっス……それじゃあ、申し訳ないっスけど、お願いしてもいいっスか?」


「もちろん。期待しておいてください」


「ふひひ、ありがとう。やさしいんスね。ミッチー」


 照れ笑いのような、薄い微笑みを浮かべる赤霧さん。

 思わず見入ってしまいそうな笑顔に対し、僕は「いえいえ」とゲスい笑みで応える。


「これで赤霧さんが本格的にアニメにハマってくれればオタク仲間も増やせますし、ひいてはアニメ業界への貢献にも繋がります。僕としては一石二鳥……いいえ、むしろ、BDを借りてくれてありがとうございます、といった感じですよ。アニメのためなら、僕はどんな労力をもいとわないですからね」


「……あー、そういう魂胆だったんスね。あー、やさしいんスねー、ミッチーは」


「あれ? なんか言葉に感情がこもってないですね。どうしました?」


「べっつにー?」


 素っ気なく応えて、赤霧さんはぷい、と顔をそらしてしまう。

 けれど、自分で白々しいと思ったのか、途中で堪えきれずに「ふひひ」と小さく笑い出した。

 そんな彼女の仕草に僕も苦笑しつつ、脳内で初心者向けアニメの吟味に入る。


 友達のためにアニメを選ぶ。

 いままで経験したことのない、なんだか不思議な感覚だけれど……うん。

 案外、悪くないものだ。

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