40話 幼馴染は攻められるのが弱かった。

 夕陽が山間に沈み始めた、午後六時。

 財布を手に出てきたルリカと合流すると、僕たちはマンション近くのスーパーに向かった。

 道中。赤霧さんはルリカに様々な質問を投げかけていた。同時に、ルリカもまた赤霧さんに多くの質問をし返していた。

 先ほどの修羅場を思い返すと、ライバルの情報を探ろうとしているようにも見える。だが、僕の目には単純に、女の子同士で仲良くなろうとしているようにも見えた。

 戦いは戦い、プライベートはプライベートと、綺麗に住み分けているのかもしれない。

 なんであれ、微笑ましい限りである。


「へえ、じゃあルリっちは小説家さんなんスねー。もしかして左利きだったりするっスか?」


「右利きだけど……え、小説家は左利きが多いって統計があるの?」


「別にないっスよ? 私が、小説家さんはなんか左利きっぽいなー、って思っただけっス」


「……赤霧、周りのひとに変わってるって言われない? 天然とか」


「すごっ、なんでわかるんスか?」


「わからない人間はいないと思うけど……」


「そういうルリっちは、なんか怖い印象を持たれてそうっスね。白衣を着たらマッドサイエンティストって呼ばれてそう」


「意味がわからないけど、言わんとしてることはなんとなくわかる……まあ、実際怖いとは思われてたよ。怖いというか、不気味というか」


「きっと表情があんま変わんないからっスよ。無感情な顔が機械みたいに見えちゃってるんスって。身長が高い上に髪も長くてくせっ毛だから、なんか雪男のイエティみたいに見えるし」


「あれ、ボクいま喧嘩売られてる?」


「ほら、試しにニコーって笑ってみて? さっきミッチーと再会したときに見せた、あの可愛い笑顔っスよ。さん、はい!」


「ニコー」


「……いや、それ口元を曲げてるだけっス」


「ニコー」


「……今度は目を細めてるだけ」


「サンコー」


「増えたッ!? いや、そんなしょうもないボケはいいんスよ! なんで笑えないんスかー!」


「こんな荒んだ社会で笑えるわけない」


「風刺を利かせてきた!? さすがは小説家だー!」

 

 と、まあ。

 そんな天然と変人の取り留めもない会話をBGMにして歩くこと、およそ十分。

 目の前に、いつもの見慣れたスーパーが見えてきた。

 慣れた手つきで僕が買い物カゴを持ち、先行する赤霧さんの後に連いていく。

 すると。僕の隣に並んだルリカが、買い物カゴに視線を落として。


「ミツカゲが荷物持ちなんだ」


「はい。いつも赤霧さんが食事提供をしてくれているので、このぐらいはしませんと」


「なるほど、その食事提供を含めたのが親友条約か……食事っていうメリットを受ける代わりに、キスっていうデメリットを飲んでるの?」


「デメリットって……」


「だって、恥ずかしがり屋のミツカゲが、キスを許容するはずない。赤霧に騙されたか、罠に嵌められたかして、強引にキスする仲にされちゃったんじゃないの?」


「…………」

 

 さすがはミステリー小説家。推察力は伊達じゃない。

 しかし。


「ちがいますよ、ルリカ。別に僕は騙されたわけでも、罠に嵌められたわけでもない。赤霧さんに非はないんです。ただ、僕が自分自身で選んで、いまの関係に落ち着いているだけです」


「……それはつまり、ミツカゲは赤霧とならキスしていいと思ってる、ってこと?」


「ま、まあ……巡り巡って、そういうことになりますかね」


「ふーん。そんなに赤霧のことが好きなんだ」


「それは……」

 

 なぜだろう。

 そこまでを口にして、どうしてか僕は言葉を続けることができなくなった。

 

 七夕祭りの日。深夜のプール。

 僕は赤霧さんに、好きですよ、と伝えた。

 嘘なんかじゃない、偽りでもない。正真正銘、心からの本音だ。

 だが。他人にその好意を打ち明けるのは――なぜだかはばかられた。

 他人に、赤霧さんが好きだとバラしたくなかった。

 キスする仲であるとバレている以上、少なくともルリカには、秘密にするようなものではないはずなのだけれど。


「なんと言いますか……いまは、うまく言えません」


「……ふーん。まあ、ボクには関係ないけどね。恋人じゃないのなら、それでいいよ。ボクは、ミツカゲの身体が目的なだけだし」


「ルリカ。その発言は語弊しかな……いや、語弊じゃなくて事実でしたね。信じたくないですけど」


「でも、なんというか」


「? なんというか?」


「赤霧、かわいそう」

 

 ポツリ、とつぶやいて、ルリカは僕の下を離れると、前を歩く赤霧さんの隣に駆け寄った。

 かわいそう。

 その言葉が脳内に木霊して、僕はしばらく、その場に立ち尽くしていた。

 



 

 すこしだけモヤッとした気持ちを気合で払拭し、気持ちを切り替えて赤霧さんとルリカに合流すると、僕たちは本格的に夕飯の買出しを開始した。

 レモンにレタス、鶏のもも肉に小麦粉……買い物カゴに放られていくそれら食材を見、僕は今夜の献立に気付く。


「からあげですか?」


「正解っス。おー、ミッチーも食材で判断できるようになってきたっスねー」


「ふふん。赤霧さんとは、もう何度も買い物に来てますからね。このくらい当然ですよ」


「調子に乗ってるっスねー。それじゃあ、明日からご飯はミッチーに作ってもらおうかな?」


「うッ……急に目まいが……! あ、あれ? 今日のこの食材は……なに?」


「記憶を失ってまで作りたくないんスか……」

 

 正確には、赤霧さんの料理が食べたいだけなのだけれど。

 そんなことを言ったら僕が恥ずかしさで悶死してしまうので、あえて黙っておくことにする。


「まあ、別にいいっスけどねー。料理作るの好きだし。なにより、こうやってジワジワとミッチーの胃袋を掴んで私抜きでは生きられない身体にするっていうのも、それはそれでいい攻撃だと思うし……ふひひ」


「赤霧さん、あくどい笑みが漏れてます――って、あれ?」

 

 ふと。ルリカが連いて来ていないことに気付いた。

 辺りを見回すと、すこし手前のお惣菜コーナーで、色とりどりのオニギリを眺めている黒紫髪を発見した。背も高いから目立つな、ルリカ。

 悪代官赤霧から離れ、僕はルリカの下に駆け寄った。


「ルリカ。どうしました?」


「見て、ミツカゲ。このお赤飯のオニギリ、なんか人間の脳みそみたい。いや、この大きさだと猿の脳みそ?」


「平和なスーパーでなに物騒な妄想してるんですか……ほら、いいから行きますよ」

 

 言って、僕は迷子を案内する係員よろしく、ルリカの右手を握った。

 瞬間。


「ふゃッ!?」

 

 ルリカはビクッ、と肩を大きく震わせ、右手をすぐさま引っ込めた。

 その表情は、起伏に乏しいルリカには珍しく、ひどく驚いたソレになっている。

 ……僕に触られたくなかったのかな?

 いやでも、ルリカは幼馴染で、昔から家族ぐるみの付き合いもあるし。なにより、キスまでしてきた挙句、セフレになりたいなんて言い出すぐらいなんだから、この程度で拒絶することなんて……。


「み、ミツカゲから触るのはダメ。触るのは、ボクからじゃないと」


「? えっと、それはどういう……」


「もー、ふたりしてなにしてるんスかー?」

 

 と。待ちくたびれたのであろう赤霧さんが、お惣菜コーナーまで戻ってきた。


「なに、オニギリ買いたいんスか? このぐらいだったら私が作るっスけど……」


「いや、僕がルリカの手を握ったら、急に驚かれちゃいまして。なんか、僕から触るのはダメで、ルリカから触るのはいいとかなんとか」


「なッ……ミツカゲ、赤霧には言っちゃダメ!」


「……ほほう?」

 

 ルリカが慌てて制止するも、時すでに遅し。

 僕の密告からなにかを察した様子の赤霧さんは、悪戯を企むガキ大将のようにキラーンと瞳を輝かせると、「こっち来て」と僕たちを人通りの少ない調味料コーナーに誘った。


「赤霧さん、どうしてこんなところに? 調味料は家に大体そろってたはずですけど……」


「ミッチー。ルリっちに買い物カゴ、渡してもらっていいっスか? ルリっちも、買い物カゴちょっと持ってほしいっス」

 

 思わず「?」と首をかしげ、互いを見合う僕とルリカ。

 訝しみつつも、僕はルリカに買い物カゴを手渡した。


「これでいいですか? 赤霧さん」


「OKっス。じゃあ、ミッチー。ちょっと失礼するっスよー」


「? 失礼って……おわッ!」

 

 急に赤霧さんが背後に回ったかと思うと、僕の両手首を握ってきた。

 これぞまさしく二人羽織のような形だろう――そのまま赤霧さんは僕の両手を移動させ、目の前のルリカのやわらかな両頬にピトッ、と触れさせた。

 その直後である。


「あ……うぅ、あわわわ……!?」

 

 触れた両手の平が熱を帯び始めると同時、ルリカの表情が一瞬で真っ赤に燃え上がった。

 無感情なんてとんでもない。機械のように見えるだなんて以ての外。

 その顔は紛うことなく、照れて恥ずかしがっている感情豊かな女の子そのものだった。

 身動みじろぎ、離れようとするルリカ。しかし、赤霧さんが僕の両手を操作して、ルリカの頬から離れようとしてくれない。

 僕の手を振り払おうにも、ルリカの両手は買い物カゴで塞がっている。カゴの中にはすでに結構な量の食材が入っているため、放り捨てることもできない。

 ……赤霧さん、こういうことに関してはつくづく策士だな。


「ふひひ、やっぱ思った通り! ルリっち、攻められるのが大の苦手なんスね!」


「攻められるのが?」

 

 僕の問いに「そうっス!」と赤霧さんは楽しそうに応える。


「ミッチー、ルリっちとのキスは『してた』というより『されてた』って言ってたでしょ? あれを聞いて私、ルリっちは攻めっ気の強いひとなのかなーと思ってたんスよ。セフレになりたいって宣言を聞いてからも、その印象は変わんなかったんスけど――さっきのミッチーの話を聞いて全部逆転したっス」


「逆転、というと?」


「ルリっちは、ミッチーに積極的になられると弱いんスよ! 自発的に、能動的に攻められるのが極端に弱いんス! だから、ルリっちはあえて自分のほうから攻めてたんスよ。ミッチーを受動的に……受身にすることで、自分に攻めさせないようにしてたんス!」


「うぅぅ……」

 

 図星と言わんばかりに、ルリカの両眼が潤み始める。

 たしかに。小学生の頃、キスをしてくるのはいつもルリカのほうで、僕は彼女に触れることすら許されなかった。ルリカが僕の顔を固定して、チュッ、と唇をつけるだけ。その間、僕は両手を宙ぶらりんにしていて、なにかに触れることもなかった。

『してた』というより、だから『されていた』なのだ。

 なるほど。僕に触れられたくないというのは、ある意味で正解だったのか。


「でも、どちらからにしても、触れることには変わりないのでは?」


「かーッ! ミッチーはこれだから……自分から触ったか、相手から触ってくれたか。そのささいなちがいが、乙女にとっては大きなちがいなんスよ! 女の子ってのは、好きな男の子に触れられたら途端に弱くなっちゃうもんなんスって」


「そ、そういうものなんですか? ルリカ」

 

 訊ねると、ルリカは涙目でコクリ、とうなずいた。

 170センチの高身長が小さく映るほど、それはひどく弱々しい首肯だった。

 なんだかイジメをしているような気分になってしまい、僕は赤霧さんの操作を解いてルリカから離れた。

 と。悪戯は終了とばかりに、赤霧さんがルリカの持つ買い物カゴを手に取った。


「ゴメンなさいっス、ルリっち。ちょっと悪戯がすぎたっスかね?」


「ゴメンなさい、ルリカ。もう僕からは触れませんから」

 

 僕も重ねて謝罪すると、ルリカは目元を拭い、ジトッと半目でこちらをめつけてきた。


「……いい」


「はい?」


「時々なら、ミツカゲからでもいい……」

 

 小さくそう言い残して、逃げるように調味料コーナーを出て行くルリカ。

 ……弱くなってしまうのに、僕から触れていいのだろうか?

 いや、触れたいと思っているわけではないけれど。

 そう胸中で思案していると、隣り合う赤霧さんがトントン、と肩を叩いてきた。


「ミッチー。私はいつでも触っていいっスよ?」


「…………」


「常時ウェルカムっスよ……って、なんで無言で行っちゃうんスかー!」

 

 赤霧さんを置き去りにして、僕は買出しの続きを再開する。

 赤霧さんこそ受動的になってくれたらいいのに、と、僕は心の中で強く願った。

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