04話 天然ギャルがスカートをめくり上げた。

 朝のHR前。赤霧さんに手を引かれながら、ヒンヤリとした廊下を突き進み、足早に階段を昇っていく。

 たどり着いた先は、屋上に繋がる扉前。

 カイトと出会う一ヶ月前、いつも僕がぼっちメシをっていた安息地だった。

 屋上に出る扉は固く施錠されているため、見回りの用務員さん以外、教師も生徒もほぼ寄り付かない最高の場所なのである。


「うん。ここなら誰も来ないっスかね」


「な、なんでこんな場所に」


「さっきも言ったでしょ? 見せておきたいものがあるんスって――でも、ちょっと待って」


 区切って、赤霧さんは豊満な胸元に手を添えると、静かに深呼吸をし始めた。

 まるで、緊張を和らげようとしているかのようだ。


「赤霧さん?」


「よし、落ち着いてきた。もう大丈夫。いつでもいけるっスよ」


「? いける?」


「――とりゃあっ!!」


 勢いのある掛け声と共に、赤霧さんは両手でスカートの前面をガバッ、とめくり上げた。


 めくり上げた。


 めくり上げた?


 めくり上げたッ!?


「どぅえええええッ!? ちょ、な、ななな、なにゆえッ!?」


 咄嗟に両腕で目元を隠した僕は、反射的に背後の壁まであとずさった。

 しかし。赤霧さんの声は遠のかない。

 どころか、一歩一歩こちらに近づいてくる。

 衣擦れ音が聴こえないから、おそらくスカートはめくったままなのだろう。

 恥辱に堪えるような震え声で、赤霧さんは言う。


「ち、ちゃんと見て……今日のためにがんばったんスから」


「が、がんばった? パンツを見せるための訓練を、ということですか?」


「そんな世界一無駄な努力しないっスよ! 私をなんだと思ってるんスか!」

 

 同級生に下着を見せる変態だと思ってます。

 とまでは、さすがに言えないので、胸中にとどめておく。


「もう! 恥ずかしいから早く目を開けてほしいんスけど!」


「恥ずかしいならやらなければいいのでは!?」


「ほんと、変な意図は一切ないんスよ! 私はただ、『パンツの柄』を確認してほしいだけなんスってば!」


「パンツの柄?」


「そうっスよ……これ、探すの大変だったんスからね」


 僕に見せたいパンツの柄? 探すのが大変?

 好奇心に圧し負けて、両腕のガードをわずかに下ろし、閉じていたまぶたをそっと開く。


「――なッ、!?」


 直後。

 それを目にした僕はガードを解き、赤霧さんの股間前に屈みこんだ。

 両手で柔らかな太ももをむにゅっ、と鷲掴みにし、僕は眼前のパンツをじっくり観察する。


 この学校には、同級生に下着を見せるどころか、同級生のパンツを鼻先二十センチでガン見する相当ヤバい変態がいるらしい。


 僕である。


 太ももを掴んだ瞬間、赤霧さんが「ん」とすこし呻いたようだけれど、我を忘れているこのときの僕には、まったく聴こえていなかった。


「ヒロインを模した特徴的な色合いと、無駄に凝った刺繍……間違いない、これは『僕パン』第八巻に付いてくる限定特典パンツじゃないですかッ!!」


『僕パン』とは、前述したラノベ、『僕がパンツになっても彼女は喜んでくれるだろうか?』の略語である。

 ひどいタイトルだけれど、頭を空っぽにして楽し(略


「聖地があるH県の某アニメショップで20枚しか販売されなかった伝説の特典下着……ど、どうして赤霧さんがこれを?」

 

 下から見上げるようにして問うと、赤霧さんは恥ずかしそうに視線をそらしながら答えた。


「き、昨日ネットの『メルカリカリ』で見つけて買ったんスよ。ミッチーが読んでたラノベのタイトルだけは覚えてたっスから……ほんと、探すの大変だったんスからね」


「ああ、昨日『記憶力がいい』と言っていたのは、そういう……」


 僕の読んでいたラノベのタイトルをしっかり覚えていたわけか。

 思い返すと昨日、タイトルしかわからなかった、みたいなことを口にしていたっけ。


「でもこれ、かなり高額だったのでは? 生地を見る限り、保存状態もいいみたいですし」


「まあ、そこそこしたっスかね……あの、それよりも、っスね」


「はい?」


「確認できたのなら、そろそろ離れてくれると嬉しいんスけど」


「え――――う、おわぁッ!?」

 

 ようやく我に返った僕は、太ももから手を離し、弾かれるようにして壁際まで後退した。


「す、すみません! 限定品を目にした興奮で、つい!」


「ふ、ふひひ、このくらいなんともないっス。とにかく、これで条件はクリアっスよね?」


「じ、条件?」


 めくったスカートを直して、赤霧さんは頬を真っ赤に染めたまま口を開く。


「こんなオタクさん垂涎すいぜんの限定品を持ってるんスから、私のこともミッチーと同じオタクさんって認めてくれるっスよね?」


「……あ」

 

 ギャルの真の意図に気付くも、時すでに遅し。

 赤霧さんはゆっくりと歩を進め、僕の顔横にドン、と両手を伸ばした。

 世に聞く、壁ドン、というやつである。

 まさか、やられる側になるとは。


 困惑する僕に、体勢そのままに赤霧さんがズイっ、と顔を近づけてきた。

 長いまつげ。通った鼻筋。柔らかそうな唇。シミひとつない肌。

 どこに視線を逃がしても、不敵に笑う赤霧ナコの造形美が映り込む。


「同じオタクさんだったら友達にもなれるんスよね。私、記憶力はいいほうなんスよ?」


「そ、それは……」


「……私と友達になるの、そんなにイヤ?」

 

 小悪魔的な上目遣いが、僕の心臓を強く揺さぶる。

 動揺した僕を見て、またも赤霧さんは「ふひひ、なんてね」と意地悪く笑った。

 完全に彼女の手のひらの上である。


 ただ――正論を言わせてもらうと。

 彼女はラノベの限定品をひとつ持っているだけだ。これだけではオタクを名乗ることはできない。こんな付け焼刃の趣味嗜好で、僕と話が合うとも思えない。


 けれど。

 安くはない金額を投資したその情熱は、気質は、僕らオタクに通ずるものがある。

 その熱意だけは、きちんと認めるべきだろう。


 そう感じた僕は、赤霧さんの問いかけに。


「わ、わかりました」


 と、頷いたのだった。


「赤霧さんとの『友達条約』を、ここに締結いたしましょう」


「友達になるだけなのにビックリするぐらい堅苦しいんスけど……え、ほんとに? ほんとに友達になってくれるんスか? 嘘とかじゃなく?」


「男に二言はありません」


「ふひひ。やった!」

 

 ここまでして友達になろうとする理由はともかく、彼女の中で、僕を頷かせることが一種の目標になっていたのだろう。

 満足げな笑みをこぼし、ぴょんぴょん、と小さく飛び跳ねる赤霧さん。


 壁ドンを解除された僕は、壁に背を預けたままズルズル、とその場に尻餅をついた。


(我が校の有名人が友達に……)

 

 不安しかない。

 

 でもまあ。オタクの僕と友達になりたいと言っているのだから、変に装ったり身構える必要はないわけだ。僕はいままで通り、好きなように趣味に没頭するだけでいい。

 そこに関しては、カイトのように気楽な友達と言えるかもしれない。


 オタク向けの限定品を躊躇いなく購入する辺り、オタク趣味に理解はありそうだけれど、本当の意味でのオタクになれるかは未知数だ。僕との交友の中で感化されてくれればベストなのだけれど。ある種、僕のプレゼン能力も試される案件だ。


 なんであれ。

 赤霧ナコが友達になっても、僕のオタクライフが変わることはない、というわけだ。

 ……変わらないはずだ。きっと。


「私とミッチーは友達!」


「ええ、そうですね。友達です」


「ミッチー!」


「はい。なんですか、赤霧さん」


「ふひひ! 苗字呼びなのが気になるっスけど、まあOKっス。なんたって友達っスから!」


「それもよくわからない理論ですけど……」


 僕はおもむろに腰を上げ、ズボンの埃を払いながら言った。


「ところで、赤霧さん。友人として最初の指摘をさせてもらっても?」


「指摘? よくわからないっスけど、どうぞどうぞ!」


「パンツの柄を見せるだけなら、別に履いてくる必要はなかったのでは?」


「――あ」


 ピタッ、と赤霧さんの喜びダンスが停止する。

 直後。赤霧さんの顔が一瞬にしてボッ、と真っ赤に燃え上がった。

 さすがの天然ギャル様でも、この失態は恥ずかしかったらしい。


「ふ、ふひひ……それは、あの、まあ……そういう考え方もあるっスよね、ふひひ……」


「普通はそういう考えにしか至らないと思うのですが……」

 

 パンツだから履かなくちゃいけない、という一種の強迫観念は理解できるけれども。


「も、もう! 細かいっスねえ、ミッチーは……あ! そろそろHRが始まるっスよ! は、早く戻らないと!」


 無理やり話を切り上げて、フラフラ、と階段を降り始める赤霧さん。

 その足取りは、まるで今朝の眠気マックス時の僕のようだ。


 ともあれ。

 住む世界のちがうアンバランスな僕たちは、こうして友達になったのだった。

 パンツを見せたり、壁ドンしたり。

 友達にしては、彼女の距離感がすこし近い気もするけれど。






    第一章 完

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