29話 天然ギャルが不良にからまれた。

 ほかの生徒が見ていないか警戒しつつ校門を出て、僕たちは夕暮れの中を走った。

 時刻は午後四時半。彩色高校から折筆駅おりふでえきまでは十分もかからない。

 先ほどスマホで調べた洋菓子店が閉まるまでは、充分に余裕があるはずだ。

 しかし。


「う、嘘っスよね……?」

 

 目当ての店に到着した僕たちを出迎えたのは、無機質なシャッターだった。

 シャッターの中央には『本日臨時休業』とビラが貼られている。


「そ、そんなあ……がんばって走ってきたのに……」


「まあ、仕方ないですよ」

 

 落ち込む赤霧さんを横目に、僕はYシャツの襟元を扇ぎながら、乱れた呼吸を整える。

 うつむく赤霧さんの額にも、大きな汗粒が浮かんでいた。


「僕は、祝ってくれる気持ちだけでもうれしいので、ここはおとなしく帰りましょう?」


「……いや、ケーキが売ってる場所はまだあるっスよ」


「え?」


「コンビニっスよ! コンビニ! ホールケーキは無理っスけど、コンビニにも一応ケーキが売ってるはずっス! 小っちゃいショートケーキとか!」


「まあ、たしかに売ってますけど……」


「よし、善は急げっス! あそこのコンビニに走れメロスっスよ!!」


「あ、ちょっと!」

 

 言うが早いか、コンビニ向けて一目散に走り出す赤霧さん。

 いままで、自分の誕生日のためにここまで奔走してくれる友達がいただろうか?

 僕の記憶がたしかなら、ひとりもいやしなかった。

 けれど。僕は待たされるだけのセリヌンティウスではない。

 無意識に上がってしまっていた口角を隠しつつ、僕は友人メロスの背中を追いかけた。

 



 

 コンビニ到着後。

 適当にお菓子を見繕って買い物カゴに放り込むと、僕たちは目当てのケーキを物色に入った。


「そういえば、ミッチーは甘いものって大丈夫なひとっスか? 男のひとって甘いもの苦手なひと多いって聞くんで」


「たしかに聞きますね。でも、大丈夫ですよ。全然食べられます」

 

 一ヶ月前の主食であるカロリーメイキングも、どちらかと言えば甘めの食品だったからな。

 甘党というほどではないけれど、ケーキぐらいならなんとか。


「よかった。じゃあ、この苺のショートケーキとチョコケーキ、モンブランとチーズケーキを買っていくっスねー。あ、こっちのミルフィーユもおいしそう!」


「……えっと、大丈夫ではあるんですけど、さすがにその量は」


「え? あ、ああ! そ、そうっスよね、さすがに多いっスよね! うん……そうっスよね、じゃあ、苺のショートケーキだけにするっスね……」

 

 しゅん、と物悲しい顔でケーキを戻していく赤霧さん。

 まるで拾った野良猫を元の場所に返しにいく子どものようだ。


「……まあでも、色んな味も試してみたいので、いまのラインナップでいいですよ」


「ッ……ミッチー!」

 

 笑顔がまぶしいな、おい!


「ただし、赤霧さんも一緒に食べてくださいよ? 僕ひとりでは食べきれませんから」


「うん、モチのロンっスよー! むしろ私、これぐらいの量はいつもひとりで――あ」


「……聞かなかったことにしますね?」


「……助かるっス」

 

 赤霧さんが恥ずかしそうにケーキをカゴに入れたあと、僕は平静を装いつつレジへ。

 ……これだけ食べていれば、そりゃあこんなワガママボディにもなるわけだ。

 と。レジに並んでいる最中。連れ立つ赤霧さんがお財布を取り出そうとしたので、僕はそれを片手で制した。


「ここは僕が払いますよ」


「大丈夫っスよ。私が企画したイベントなんスから、私が払うっス――それに」


「それに?」


「奢られるのを当たり前みたいに思ってる女、私嫌いなんスよ。だから、そうはなりたくないなって」


「……まあ、素晴らしい心がけだとは思いますが」

 

 それでも、僕は赤霧さんの財布を押しやり、買い物カゴを独占する。


「ここは、やっぱり僕に払わせてください」


「いや、だからっスね……」


「別に僕だって無償で奢るわけじゃありませんよ。赤霧さんの言う通り、奢られることに甘えている女性は僕も好きではありませんから――だから、これは食事提供に関する食費の先払いだと思ってください。もちろん、これだけでは足りませんので、残りの食費は後日お支払いしますが」


「……食事提供の、食費」


「食費は折半にしたいって、赤霧さん言ってましたよね?」

 

 そう問いかけると、赤霧さんは「うぐ」と言葉を詰まらせ、財布を学生鞄に仕舞ってくれた。


「……じゃあ、ここはお願いするっス」


「はい、お任せあれ。レジに二列で並ぶのもほかのお客さんに迷惑ですし、赤霧さんは先に外で待っていてください」


「了解っス。ゴメンね、ミッチー」

 

 ありがとう、と言い残して、赤霧さんは先に店外へと足を向けたのだった。

 普段はふにゃふにゃ天然発言が多いのに、食事や金銭といった生活に関わることになると、途端にしっかりし出すんだよな、赤霧さんって。


(おばあちゃん子っていうのが関係してるのかな?)

 

 僕のおばあちゃんに関する思い出というと、旅館の手伝いをしているときにこっそり作ってもらったオニギリが印象強い。


(おいしかったなあ……あれ)

 

 なんて、昔の思い出を回想しながら会計を済ませ、自動ドアをくぐる。

 そこでは、ちゃんと赤霧さんが待ってくれていた。

 ただし。

 見知らぬ不良の男性ふたりにからまれている形で、だけれど。


「ねえねえお姉ちゃーん、そのスカート彩高さいこうのやつっしょ? おれらそこ出身なんよー。この出会い最高にディスティニーじゃねッ!? 顔もマジマブいし、これもうお持ち帰りするっきゃないっしょー!」


「いやホンマやでー、運命としか思えんでー。せやからカラオケでも行かんー?」


「…………」

 

 見るからにチャラい不良たちに詰め寄られるも、赤霧さんは無表情で無視し続けている。

 経験則からか。こういった輩相手には沈黙を貫くのが一番だと理解しているようだ。

 いや、というか。そんな僕の考察はどうでもよくて!


「あ、あの!」

 

 震えた声で呼びかけると、僕は急いで赤霧さんの前に立ち、不良を眼前に据えた。

 背後ですこし驚くような息遣いが聴こえた。僕が助けに入るのが意外だったのかもしれない。

 その最中にも、不良たちはガンを飛ばすように僕の顔を覗きこんでくる。


「おぉ? きみどこの誰っちー? いまそこのお姉ちゃんに用があって、きみには用ねえんだけどもだっけーどー?」


「きみ、その姉ちゃんのなんなん?」


「こ、このひとは……」

 

 チラ、と背後を見やり、僕は意を決して。


「ぼ、僕の彼女ですけどッ!?」

 

 膝を震わせながらそう叫ぶと、後ろの赤霧さんが「ふぁッ!?」と驚きの声をあげた。

 いや、そこで驚いちゃったら不良撃退作戦が台無しだあ!

 不良がさらに詰め寄り、怪訝な眼差しで僕をにらみつけてくる。恋人同士かどうか、疑っているかのような視線だ。

 こうなったら、もう強引に突っ切るしかない!


「ま、待たせてゴメンね。行くよ、『ナコ』!」

 

 ぎこちなくも下の名前で呼び、赤霧さんの手を恋人繋ぎで握ると、僕は早足でコンビニ前を後にした。

 名前呼びに恋人繋ぎ。

 ここまですれば、僕たちは恋人同士に見えることだろう。

 きっと!

 それでも、世の中には恋人の有無にかかわらずナンパを強行する輩もいると云う。

 追いかけて来やしないだろうか? と心配していると、背後から。


「あれ、マジ初々しいカップルじゃね? おれっち、中学の頃の初恋を思い出しちまったっち……あの頃のおれっちが、いまのおれっちを見たら、どう思うかな……」


「……今日はふたりで飲み明かそで、ホンマー」

 

 そんな哀愁漂う会話が聞こえ、僕たちとは反対方向に去っていったようだった。

 僕は赤霧さんの手を引いたまま、目の前の曲がり角を右折し、大通りを離れる。

 そうして。

 数分歩いた先の住宅街で、僕はようやく緊張の糸を緩めた。


「こ、怖かったー……だ、大丈夫でしたか? 赤霧さん」

 

 こんな情けない一面を見てしまっては、さぞかし失望していることだろう。

 そう思っていたのだが、赤霧さんはなぜか、片手で自分の顔を覆っていた。

 いや、覆っているというより、隠している?


「あ、あの、赤霧さん?」


「……急にはズルいっスよ」

 

 消え入りそうな声でつぶやいて、赤霧さんはさらにうつむいてしまった。

 そうか。平然としているように見えたけれど、急に不良にからまれたのでビックリしているのかもしれないな。

 夕陽が沈む黄昏時。僕は赤霧さんの手をしっかりと握り、帰宅の途についた。

 体温が低いはずの赤霧さんの手が、このときばかりは熱かった。

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