31話 天然ギャルに買い物に誘われた。

 七月になった。

 ジメジメした梅雨が明けると同時に、夏本番の暑さが僕たちを襲った。

 そんな、暑さで思考力が低下する時期にテストをやらなければいけないというのだから、僕たち学生はもはや修行僧なのではないかとすら思えてくる。

 赤点ギリギリの生徒であれば、その苦しみはより強まることだろう。


(僕の学力は平均だから、その苦行はなんとか回避できそうだけど……)

 

 カイトも同じく平均、紺野さんも補習を受けるほどではないという話だし、赤霧さんにいたっては学年トップを狙える成績優秀者だ。

 七月七日の七夕祭り当日に誰かが欠ける、といったことには、どうやらならなそうである。

 

 ちなみに。

 紺野さんとの連絡先はすでに交換済みだ。

 七夕祭りのときのために、赤霧さん、紺野さん、カイト、そして僕の四人のグループチャットも作成してある。

 誕生日を迎えたあの日。僕は赤霧さんの傍にいないということになっているので、RINE交換後、僕のほうから紺野さんに『七夕祭りにカイトも誘っていいですか?』と白々しく伝える羽目になった。

 そのとき。おそらくは打ち間違えたのだろう。紺野さんの『別にかまわねえよ』という返信のあとに送られた、大喜びしている猫のスタンプ連打は、いまでも忘れられない。すぐに送信取消で消去されたあと、『いまのはちがう、忘れろ』と瞬時に送られてきたのも忘れられない。忘れられないので、しっかり覚えておきますね。紺野さん。

 

 閑話休題。


(まあ、その七夕祭りに行けるかどうかも、僕がここで力尽きなければの話だ……)

 

 通学路はまるで熱したフライパン。揺らめく蜃気楼しんきろうが体内の水分を奪っていく。

 今日は、期末テスト最終日。

 ここを乗り切れば、あとは夏休みまですぐである。


「お、ナイスタイミング」

 

 殺人的な朝の陽射しを浴びつつ命からがら登校すると、昇降口で偶然通りかかった無雨先生に声をかけられた。


「おはようございます、ロリヤンキー先生」


「おはよう、黒田。今日のテストは全部0点でいいんだな?」


「冗談ですゴメンなさいおはようございます無雨キリエ先生」


「ったく……って、そんなのはどうでもいいんだ」

 

 どうでもいいのに0点にされかけたのか、僕は。


「ちょうど黒田に訊きたいことがあってさ」


「進路面談のことですか? それとも、先週出した進路調査書のこととか?」


「まあ、それ関連のことではあるんだけど…………いや、待てよ?」

 

 と。不意に。

 なにか思い出したかのように言葉を止めると、無雨先生は思案顔でこちらを見やったのち、「うーん」と悩ましげに両腕を束ねた。


「そうか……ここで黒田に訊いちまうと、回りまわって個人情報の漏洩になっちまうのか。この鈍感野郎がソレに気付くことはないにせよ、ここは黙秘しといたほうが……」


「? あの、無雨先生……?」


「すまん、黒田。やっぱ訊きたいことなかったわ。んじゃあな!」

 

 テストがんばれー、とひらひら片手を振って踵を返す無雨先生。

 要領を得ない無雨先生との会話に、僕は「?」と疑問符を浮かべることしかできなかった。

 

 



 明けて翌日。

 取り立てて記述するような出来事もないまま期末テストがなんとか終了し、僕は自宅で土曜日の休日を満喫していた。


「ああ、ついに今夜かー……長かったなあ」

 

 ソファに丸まって寝転びながら、スマホの時計を見つめる。

 七月六日。午前十時すぎ。

 そう。そうなのである。

 ついに今夜、午後十一時半から、待望の『僕がパンツになっても彼女は喜んでくれるだろうか?』がスタートするのである!


「キャラデザも脚本もよし。話題沸騰とまではいかなくとも、アニメ史に残る名作になることは間違いない……ああ、ほんと楽しみだなあ!」

 

 あまりの待ちきれなさにソファを抱きかかえ、ゴロゴロとリビングを転がりまわる。

 そのとき。ピンポン、と家のインターホンが鳴らされた。

 家モードから切り替えて玄関に出てみると、そこにいたのは赤霧さんだった。

 心なしか。その服装はいつもよりお洒落さんになっている。どこかに出かけるのだろうか?


「こんにちは、ミッチー」


「こんにちは。これからお出かけですか?」


「あれ、わかるっスか?」


「なんか、恰好が気合入っているなって感じがしたので」


「ふひひ、なんスかそれー。でも、まあ当たりっス。今日はミッチーと買い物に行こうかな、と思って」

 

 手提げバッグを腰後ろに回し、照れ笑いを浮かべる赤霧さん。

 今日はお出かけということで、ほんのすこし化粧をしているみたいだ。いつもよりも当社比二倍で綺麗に見える。

 って、なにを見惚れてるんだ僕は!


「買い物、ですか」


「うん。先にRINEで訊いておこうかと思ったんスけど、面倒なんで直接こうして来ちゃいました……えっと、ダメだったっスかね?」


「いえ、大丈夫ですよ」

 

 玄関先の財布をポケットに入れつつ、僕は靴を履き始める。


「どうせ夜までは暇だったので。せっかくですし、お供させてもらいます」


「やったー! ありがとう、ミッチー!」


「いえいえ。それで、なにを買いに行くんですか?」

 

 外に出たのち、自宅の鍵を閉めながら問うと、赤霧さんは呆気らかんとこう告げた。


「水着っス」


「……ほう」


「正確には、ビキニっス」


「……ふむ」


「ほら、うちの高校って水泳の授業ないじゃないっスか? だから、ミオっちと一緒に夏休みに海に行こう、って話になってて。その水着を買いに行きたいんスよ」


「なるほど……それ、僕が連いて行って大丈夫ですか?」


「なんで?」


「いや、水着を買うのなら、男の僕がいないほうがいいんじゃないかなー、と思いまして」


「? ミッチーの水着も買うんスよ?」


「はい?」


「その夏休みの海企画、ミッチーと灰村くんも加わってるんスから」


「初耳ラッシュで脳がパンクしちゃうよぉ!!」

 

 というか、カイトぉ!!

 またいつの間にか巻き込まれてるよ、きみぃ!


「勝手に加えられていたことはこの際いいとして、なんでもっと早く教えてくれなかったんですか! そんな重要なイベント!」


「だって、期末テストでみんな忙しそうだったっスから……じゃあ、今日の買い物はひとりで行くっスよ……ゴメンね? ミッチー……」


「え、あ、いや……」

 

 急にテンションを落として、とぼとぼ、とエレベーターに向かって歩き始める赤霧さん。

 しまった。強く言いすぎただろうか?

 僕はすぐさま赤霧さんに隣り合い、慌てて口を開く。


「や、やっぱ僕も海行きたいなー! 陰キャだけど、日の光を浴びないと腐っちゃうしな! そうなると、水着も買わなきゃだよなー!」


「…………」


「なので、その……い、一緒に行きましょう? 買い物」


「――ふひひ」

 

 ポン、とエレベーターが到着した瞬間。

 思わずといった風に吹き出したかと思うと、赤霧さんは僕の右腕を掴み、エレベーター個室内に引っ張りながらこう言った。


「はい、ミッチーの負け!」

 

 その、楽しそうな笑顔を横目に、僕は全身の力が抜ける感覚と共に息をついた。

 脱力というやつである。


「……もう、勘弁してください。ほんとに焦りました」


「ふひひ、ゴメンね? ちょっとイタズラしたくなっちゃった」


「まあ、落ち込んでないようなら、それでいいですけど」

 

 赤霧さんのからかい癖は、いまに始まったことでもないし。

 ホッと胸をなでおろし、さて水着はどんなのを買おうか、と脳内で思案していると。


「ところでさ、ミッチー」

 

 赤霧さんが、エレベーターの階層表示を見つめながら訊ねてきた。


「これって、デートって呼んでもいいんスかね?」


「え」


「ふたりっきりでお買い物っスよ? 普通は、デートって呼んだりするんじゃないんスか?」


「……あ、あくまでお買い物ですよ。ほら、スーパーにはじめて買い物に行ったときだって、ふたりっきりだったわけですし。別にふたりだからと言ってデートというわけでは……」

 

 目を合わせられずに、うつむきがちに応えると、赤霧さんは数秒沈黙したのち「ふひひ」と小さく笑った。


「なーんだ、残念」

 

 言うと同時に、ポン、とエレベーターがエントランスに到着する。

 赤霧さんの寂しそうな声が、道路で揺らめく蜃気楼のように脳に残り続けた。

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