32話 天然ギャルはFカップだった。

 僕と赤霧さんが水着購入のために向かった先は、折筆駅の近くにある総合デパートだった。

 上は六階から下は地下二階、衣類から食品まで、ありとあらゆる商品が陳列されており、週末ともなると大量の買い物客で混雑することになる。

 土曜日である本日も、例に漏れず大勢の客がデパート内を往来していた。

 ただ。正直このデパートは若者向けというよりは主婦向けのキライがあるので、訪れている客層も中年辺りの子連れが多く、並べられている商品もどこか古臭いと感じてしまうものが多かった。服は可愛さよりも利便性を重視しているものが多く、靴もどこのメーカーかもわからない3000円クラスのものが大半だ。


「赤霧さん。ほんとにこのデパートで買っちゃうんですか?」


「ん、どういう意味?」


「もっと都心近くに行けば、若者向けの水着が売ってる店もあるんじゃないのかなって。僕は、このデパートでも全然いいんですけど」


「あー、なるほど――まあ、別に気にしないっスよー。昔は、私も可愛いのじゃなきゃ嫌だ、ブランドものじゃなきゃ嫌だって考えてた時期があったっスけど……結局はソレを着こなせるだけのスタイルを維持してるかどうかが一番大事なんスよね。めっちゃ可愛くて高い水着を持ってても、スタイルがぶよんぶよんのおデブさんだったら台無しっスから」


「まあ、それはたしかに」


「だから、私にはデパートの水着で充分なんスよ。うんうん」


「それはつまり、赤霧さんのいまのスタイルは、可愛い水着に相応しくないスタイルになってしまっている、ということなのでは……」


「やめて、言わないで! この一ヶ月で体重が二キロ増えただなんて、口が裂けても言えないっス!」


「すでに言ってます――あ、ここですかね?」

 

 なんて話しながら歩いていると、僕たちは目的地、4Fの水着売り場に到着した。

 店内フロアには誰もいない。レジにも店員がいない。

 時刻はちょうど昼の十二時を回った辺りだから、お昼ごはん休憩でも取っているのだろうか。

 まあ。レジに店員呼び出し用ベルが置いてあるから、会計のときにあれを押せばいいだろう。

 さておき。


「ミッチーはどんな水着買うんスかー?」


「んー、そうですね……」

 

 男性用水着売り場に行き十秒ほど迷った末、僕はSサイズのハーフパンツ水着を手に取った。


「これにしましょうかね。ちょっとブカブカですけど、黒でカッコいい」


「決断はやッ! も、もうちょっと悩もうよ、ミッチー」


「え、早いですか? 僕、服とか買うときはいつもこのぐらいの早さなんですけど……」


「……なるほど、だからミッチーの家には地味目のもっさりした服しかないんスね」


「もっさりて」


「でもまあ、水着はそれでもいいんじゃないっスか? 値段の割にはカッコいいですし」


「ふふん、そうでしょうそうでしょう」


「じゃあ、次は私の番だー」

 

 そう言って、スキップ交じりに女性用水着売り場に向かう赤霧さん。

 その背中を、僕は数メートル離れた場所から見守っていた。


「? ミッチー、なんか遠くない?」


「そこは男子禁制の聖域なので。僕はこの辺りで見守っています」


「守護霊!? なにアホなこと言ってんスか! ここに一緒に来たのは、ミッチーに私の水着を決めてもらうためでもあったんスよ!」


「またもや初耳だあッ!! だから、なんでそんな大事なことを先に言わないんですか!」


「言ったらミッチー、絶対に来るの渋るじゃないっスか!」


「それは……渋りますねッ!」


「ほらー! だからこんな騙し討ちみたいな感じで連れてくるしかなかったんスよ! もう、いいから早くこっち来て!」


「というか。そもそも僕が赤霧さんの水着を決める必然性が……ああ、わかりました! わかりましたから引っ張らないで!」


「ふひひ、ほら早く! わあ、そこ転ばないでね!」

 

 赤霧さんに腕を掴まれ、強引に女性用エリアに連行されてしまう。

 男性とはちがい、バストの問題もあるからだろう。女性用の水着は、驚くほど種類が豊富だ。デパートの商品は古臭いと感じる、と前述したけれど、ここにあるラインナップだけでも充分見劣りしないのではないかと思えるほどだった。

 まあ。それはパッと見た感想であって、実際は恥ずかしくて直視できていないのだけれど。


「ふんふーん、どれがいいかなー? ミッチーは何色が好きっスかー?」


「色、ですか……」

 

 視線を天井にそらしながら、僕はわずかに思案して。


「オレンジ、とかいいんじゃないですかね?」


「お、暖色系っスね。なんか、ミッチーにしては意外な色が出てきたっスねー」


「赤霧さんの綺麗な赤い髪に合うかな、と思って」


「え」


「? 僕が赤霧さんの水着を決めるんですよね? たしか」


「そ、そうっスそうっス! その通りっスよミッチー!」

 

 なぜか赤面しながら、オレンジのビキニを探し始める赤霧さん。

 外の暑さでやられたのだろうか? いや、店内はクーラーガンガンに効いてるし。

 なんて訝しんでいると、カシャカシャ! とすごい速度で水着を物色しながら、赤霧さんが「と、というか!」と話題を変えてきた。


「せっかく水着を新調するなら、川とかプールにも行きたいっスよね。一回使っただけでハイ終わりってのは、ちょっともったいないですし」


「ですね。でも、近くに遊泳可能な川とかありましたっけ?」


「それがないんスよー。前にミオっちと調べたんスけどね。川に行くとしたら他県に行くしかないっス。プールだったら、ミオっちの母校の中学校があるんでいいんスけど」


「いや、それは入っちゃダメなプールでしょう、絶対……」


「でも、ミオっちの先輩たちは時々、夜中にその中学校に忍び込んでプールを堪能してるらしいっスよ? 一度、ミオっちとの寄り道の帰りにそのプールを覗きに行ったんスけど、校舎の裏が山になってて、すごい静かだったんスよねー。プールで遊ぶときもそうっスけど、ひとりで考え事したいときとかにもよさそうな場所だったっス」


「へえ、それは素敵ですね……でも、忍び込むのはダメです。先輩がやっているから自分もやっていいだなんて理屈は通りません」


「ぶー。一緒にイケない青春を送ろうぜー、ミッチー?」


「ダメです。健全な青春を送ってください――というか、決め終わりましたか?」

 

 そう問うと、赤霧さんは間の抜けた声で「ふえ? あ、ああ」と答えたのち、目の前にあるオレンジ色のビキニを手に取った。

 赤霧さんも大概、決めるの早くないか?

 

 まったくの余談だが。

 チラリ、と視界の端に映ったタグを見ると――胸のサイズは、Fカップだった。

 繰り返す。

 胸のサイズは、Fである。

 なるほど。Fですか。

 ……なるほど。


「じゃあ、試着したら帰るっスかねー」


「そ、そうですね! キツかったりしたら大変ですしね!」


「? どうしたんスか? ミッチー」


「い、いえ、なにも? それでは、僕は先にこの水着の会計を済ませてきちゃいますね? そのあとは、売り場の外で待ってますので!」

 

 口早に言って、僕はレジに走り、店員呼び出しのベルを押した。

 あのまま赤霧さんの傍にいれば、試着室の前で水着のお披露目ショー開始→なにかしらのアクシデントが発生して僕も試着室の中へ→くんずほぐれつの怪獣大決戦、というラブコメの王道展開になってしまう!


(事前に予期して回避する。それがオタクの常套テクニック……!)

 

 会計を済ませたのち、売り場前のベンチでひとりほくそ笑んでいると、遅れて赤霧さんがやってきた。

 ……ん?

 なんだか、妙に胸元が上下に揺れているような……。


「おまたせっス、ミッチー。それじゃあ、行くっスかねー」


「え、ええ……行きましょうか」


「いやー、お昼時なんでお腹空いたっスねー。地下に『メック』があったはずなんで、そこでお昼ごはんでも――」


「――お、お客さーん!」

 

 と。突然。

 水着売り場の女性店員が、慌てた様子でこちらに駆け寄ってきた。

 その手には、白い布地のなにかが握られている。

 店員さんは赤霧さんの前で立ち止まると、手に持ったなにかを差し出しながら、小声でこう言った。


「コレ、試着室に置いてありました」


「へ? ――――ッ、んなぁッ!?」

 

 店員さんから受け取ったなにか――レースがあしらわれたブラジャーを目にし、自身の胸元を両手で鷲掴む赤霧さん。

 いや、もっと清楚な確認の仕方があるだろうに。

 というか。先ほどの胸の揺れ方は、やはりそういうことだったのか。

 解放されてうれしかったんだろう、Fも。


「み、みみ、ミッチー……ちょっと、そこで待ってて!」

 

 涙目になりながら、慌てて試着室に走る赤霧さん。

 残された僕はひとり、自身を落ち着かせるように大きく深呼吸をしたのだった。

 



 

 デパートの地下で昼食を摂り終えたのち。僕たちは早々に帰宅の途についた。

 どこかに寄り道してもよかったのだが、そうなると今夜の夕飯が遅れてしまう。

 なんて、ひどく庶民的な帰宅理由に、僕と赤霧さんはふたりして笑ってしまった。

 タッパーがなくなったいま、毎日の夕飯は僕の家で一緒に食べるようにしていた。朝ごはんは、その夕飯の残り物を各自家で食べるような形。

 はじめは、赤霧さんと毎日家の中で顔を合わせる日々に戸惑ったものだ。


(慣れてきた、ってことなのかな?)

 

 それがいいことなのか悪いことなのかは、いまの僕にはわからないけれど。


「今日は久々のサバの味噌煮っスよー」


「おお、久しぶりですね。記念すべき食事提供一回目の献立だ」


「あのときはまだ隣人条約も結んでないんで、正確には0回目っスけどね――、っと」

 

 マンション帰宅後。

 エレベーターで五階に上がり、蒸し暑い外廊下を歩いている最中。

 不意に、赤霧さんのバッグの中からスマホの着信音が鳴り始めた。


「電話だ。ゴメン、ミッチー」


「いえ、大丈夫です。先に家に戻ってますね」


「うん。電話が終わったらすぐ行くっス」

 

 そんな会話を交わして、僕は503号室に入り、テレビを見ながら待機する。


「あ、来た」

 

 十分後。ピンポン、というインターホンに誘われて、僕は玄関の戸を開けた。

 そこに立っていたのは、ひどく暗い表情をした赤霧さんだった。

 その瞳は虚ろで、目の前の僕が見えているのかすらわからない。


「えっと、赤霧さん……?」


「……お邪魔するっスね」

 

 消え入りそうな声でつぶやき、フラフラとした足取りで中に入ってくる赤霧さん。

 見るからに覇気がない。

 いや、生気がないといったほうが正しい。

 今朝、出かける前の赤霧さんとは、まるで別人だ。


(さっきの電話が原因か……?)

 

 その後。

 沈鬱とした空気のまま夕飯を摂り、一言二言だけ言葉を交わすと、赤霧さんは亡霊のように家を出て行ってしまった。


「あ、赤霧さん!」


「……なに?」


「あの……お、おやすみさない」


「……うん、おやすみ」

 

 笑顔もなく、自分の家に帰っていく赤霧さん。

 なにか声をかけるべきなのか。かけるとしたら、どんな言葉をかけるべきなのか。プライベートな電話のことを訊き出してもいいのか。

 このときの僕には、答えがわからなかった。

 

 やがて。

 午後十一時半を迎え、待望の『僕パン』のアニメが始まった。


「……赤霧さん」

 

 内容は、まったく頭に入ってこなかった。

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