50話 天然ギャルに「彼氏なんスけど」って言われた。

 前回までのあらすじ。

 色欲魔神、ルリカの陰謀により開催されたツイスターゲームを辛くも突破した僕は、どういう訳か、赤霧ナコに『ふたりきりでカラオケに行こう』と誘われた!

 断ったらなにをされるかわからない。断ろうものなら、今後の食事提供がすべて、お坊さんが食べるような味気ない精進料理にされてしまうかもしれない。クソッ、なんて残虐な! 僕は身体は小さいし食も細いけれど、高校一年生という食べ盛りの育ち盛りなんだ! 精進料理よりはもっと食べたい!

 そんな危機感に駆られた僕は、誘拐犯に人質を取られた父親かのごとく従順にうなずき、赤霧さんの誘いを了承したのだった!

 あらすじ終わり!

 

 とまあ――そんなこんなで。

 明くる翌日。陽射しが強まる午後一時。


「ふたりでお願いするっス。はい、禁煙席で」

 

 僕と赤霧さんは、折筆駅の近くにあるカラオケ屋さんにやってきていた。

 キンキンに冷房がかかった店内はすこし寒いくらいだった。

 カラオケルームが並ぶ通路から、ズンズン、という重低音と共に、カラオケ客たちの歌声がくぐもって聴こえてくる。

 あっちに見えるのは……本棚? 受付の近くにはドリンクコーナーのような場所も併設している。一杯いくらとかで販売しているものだろうか?

 

 そうして物珍しそうに辺りを見回している僕の下に、受付を終えた赤霧さんがマイクの入ったカゴを持ってこちらに歩いてきた。


「ミッチー、お待たせっス」


「いえ、全然。受付任せてしまって申し訳ありません」


「ノープロブレムっスよー。てか、どうしたんスか? キョロキョロしちゃって」


「いや、僕カラオケ屋さんに来るの初めてでして……地元には一軒もなかったんですよね」


「マジっスか。またもやミッチーの『はじめて』ゲット!」


「こんな『はじめて』もらってもうれしくないでしょ……」


「ふひひ。私がうれしければ、それは全部うれしいことなんスよ」

 

 当たり前のようなことで、けれど、実は哲学的なことを言いながら、赤霧さんはカラオケルームに足を向けた。僕も遅れて後を追う。


「てか、ミッチー。ココはカラオケ屋さんじゃなくて、正確には漫喫まんきつって言うんスよー。漫喫は、漫画喫茶の略っス」


「漫喫……ああ、だからあっちに本棚があったんですね。あそこに漫画が陳列している、と」


「そうっスそうっス。漫画だけじゃなくて、奥にはPCだったりビリヤード台だったりもあるんスよ。暇つぶしには最適な場所っスね。ミオっちともよく来るんスよー」


「へー。なんか陽キャっぽい場所です」


「ふひひ。『漫画』喫茶なんスから、むしろオタクさんの聖地っぽい場所っスけどね」


「まあ、言われてみればたしかに」


「ココっスね」

 

 程なくして。僕たちが指定した304番の個室に到着した。

 六畳ほどの手狭な空間の中に小さなテーブルとソファ、30インチほどのテレビとカラオケ機材が置かれている。

 照明は薄暗い。入り口付近のスイッチをイジると、昔でいうところのディスコのようにミラーボールを回すことができた。


「わあ、赤霧さん見て見て! これお立ち台ってやつですよね!? 僕、はじめて見ました!」


「お立ち台ではないっスね……てか、この現代でその言葉を聞くとは思わなかったっス」


「ああ、スピーカーだ! ここから音が出るんですよねッ!? 赤霧さん、唄って唄って!」


「はしゃいでるっスねえ……いや、かわいいからいいっスけど」

 

 ソファに座りながら、赤霧さんがリモート式の機械に曲名を打ち込むと、テレビにその曲名と謎の映像が映し出された。


「赤霧さん。なんですか? この映像」


「歌詞や曲調にまったく合っていない、意味不明なPVっス!」

 

 言った直後。スピーカーから大音量が発せられ、曲がスタート。

 赤霧さんはマイクを手に取り、ソファに足を乗せると、ノリノリで唄い始めた。

 日常では味わうことのない音圧に、思わず圧倒される僕。家のオーディオ機器では出せない爆音だ。けれど、だからこそ思いっきり唄うにはちょうどいい!

 テレビには意味不明なPVが流れると共に、歌詞も一緒に流れてきていた。なんてやさしい仕様だ。今日のために歌詞を暗記してきたのに、徒労に終わってしまった。


「――ふぅ、一曲目終わりー! あじゃじゃっしたー!」


「ひゅー! 赤霧さんカッコいいー! しびれるー!」


「でしょでしょー? もっと褒めてくれていいんスよー!」


「赤霧さんかわいいー!」


「え……いや、あの、うん、あ、ありがとうっス……」


「……あれ?」

 

 途端に頬を染めて、そっと静かに腰を下ろす赤霧さん。

 さっき僕のこともかわいいとか言っていたから、そのノリで言ってみただけなのだけれど。

 なんだか気恥ずかしい空気になったところで、僕はふと気になることを訊ねてみた。


「そ、そういえば、ここってなにか飲み物とかは出ないんですか?」


「あ、ああ。飲み物はフリードリンクにしといたんで、なんでも飲み放題っスよ」


「飲み放題ッ!?」


「ジュースはもちろん、コーヒーやお味噌汁、おまけにアイスなんかもあるっスね」


「ああ、さっき受付の近くにあったのがソレか……す、すごいところだ、漫画喫茶」


「なんなら一緒に取りに行くっスか? 飲み物なしで唄ってたら、喉渇いちゃうし」


「いや、僕が赤霧さんの分も取ってきますよ。人前で唄うのは初めてなので、ちょっと心の準備がほしいんです」


「そんな緊張することないのにー。まあ、それじゃあよろしくお願いするっス。私はお茶系のならなんでもOKっスからー」


「了解です。すぐ戻りますね」

 

 ソファから立ち上がり、赤霧さんを残して個室の外に出る。

 学生の入りが多いであろう夏休み期間中だが、今日はお昼時ということもあってか、客は思っていたよりも少ないように感じた。

 そのおかげで、ドリンクコーナーにも誰も並んでいない。

 こんなに種類豊富かつ飲み放題なら、長蛇の列ができていてもおかしくないのに。


「赤霧さんはお茶で……僕はなににしようかなー」

 

 年甲斐もなくワクワクしながら、たくさんのドリンクラベルを見て回る。

 そうして決めあぐねていた、そのときだった。


「――ねえねえ、なにしてんの? きみ」

 

 突然。

 見知らぬ大人の女性ふたりに、声をかけられた。

 茶髪の女性と、黒髪の女性だった。年齢は二十代前半ほど……いや、もしかしたら大学生の可能性もありうる。そう悩んでしまうほどに若く、けれど、僕と同年代ではないであろう大人の風格を漂わせていた。


「なに飲むか悩んでんの? あーしらが決めてあげよっか?」


「ちょっとやめなよー」

 

 茶髪の発言に対し、黒髪が笑いながらツッコミを入れる。

 初対面の、大人の女性。

 僕は、どう対応していいかわからず、空の紙コップを握り締めたまま立ち尽くしていた。

 ここでスマートに言葉が出てこないから、僕は陰キャなのだ。


「つか、あーしらカラオケ来てんだけど、きみは? 暇だったら、あーしらと一緒にカラオケしない?」


「いいねいいねー」


「い、いや……あの、僕は」


「ん? つかこの子、間近で見るとヤバくね? ほら、見てみ?」

 

 そう言って、茶髪がこちらに歩み寄り、無遠慮に僕のボサボサの前髪をかきあげてきた。

 怯えた僕の瞳が露呈する。それを見て、黒髪が「うわ」と驚きの声をもらした。


「やば、マジかわいい……」


「だっしょー? さっきカラオケの通路歩いてんの見て、ビビビッときたんよねー。声かけて正解だったわ」


「あ、あの、僕は、一緒に来ているひとが、いますので……」

 

 うつむきがちに声を震わせながら訴えるも、茶髪は「あー、大丈夫っしょー」と取り付く島もなく片手を振った。


「あーしらと遊んだほうが絶対楽しいってー。それにたぶん、?」


「ちょっと、そこまでヤるー?」


「いや、だってこの子ヤバいっしょ? いま喰わなきゃ絶対損するってー」


「まあ……それは、そうだけどさー」

 

 ふたりの雰囲気が、わずかにピンク色のソレに変異する。

 色欲魔神、ルリカとの攻防で何度も味わってきた、あの空気だ。

 僕は無言で頭をさげ、ひとまずその場を後にしようと、逃げるように踵を返した。

 しかし。逃すかとばかりに、茶髪が僕の手首をガシッ、と掴んできた。

 空の紙コップが、音もなく床に落ちる。


「なーんで逃げんのさ? あーしらと遊ぼ?」


「うんうん、遊ぼうよー」


「い、いや、あの、僕は――」


「――なにしてんスか?」

 

 と。

 背後から聴き慣れた声が届いたかと思うと、茶髪の手がバシン! と強くはたき落とされた。

 振り返ると、そこにいたのは赤髪のギャル。

 無表情を保ちながらも、瞳に明らかな怒気を滲ませている、赤霧ナコだった。

 手の甲を叩かれた茶髪が、痛みに眉根をひそめながら赤霧さんをキッ、と睨む。


ぅ……ちょっ、いきなりなにッ!? あーしの手、めっちゃ赤くなってんですけど!?」


「この子、私の彼氏なんスけど」


「は、はぁ?」

 

 毅然とした赤霧さんの発言に、茶髪は思わずたじろいだ。


「彼氏って……弟の間違いっしょ? こんな小さいのに、あんたとなんて」


「なんと言われようと、私の彼氏っスから。それをあなたに証明する必要はないっス――そうっスよね? ミッチー」

 

 唐突に話しかけられて驚きつつも、僕は迷わずに、ブンブン、とうなずいて返す。

 すると。赤霧さんはすこしだけ微笑んだのち、またも表情を固めて茶髪に向き直った。


「これ以上彼氏に手出そうとするなら、店員さん呼ぶっスけど?」


「……ッ、あーウザッ! もう行こ!」

 

 諦めてくれたのか。不満そうな顔でドリンクコーナーを離れる茶髪。それに続くようにして、黒髪も僕たちの前から姿を消した。

 ふたりの姿が見えなくなったところで、僕は大きな吐息をひとつ。

 張り詰めた緊張の糸を緩めて、赤霧さんに感謝を――


「ぎゅっ」

 

 ――言おうとして、背後から強く抱き締められた。

 まるで、大切なぬいぐるみを守る女の子のような抱擁だった。

 というか。ぬいぐるみ扱いされることが多いな、僕!


「あの、赤霧さん……?」


「飲み物はあとでいいっスから、このまま部屋に戻るっスよ」


「え、あ、はい」

 

 どこか不機嫌そうな赤霧さんの声音に押され、抱きつかれたまま二人羽織のように個室へ。

 後頭部に胸が当たるし、身長差があるので歩行すらぎこちない。まさに歩き辛いことこの上なかったが、反発したらさらに不機嫌になりそうだったので、やめた。

 

 個室の扉を閉めて、これでひとまずは安心。

 が。まだ赤霧さんは離してくれず、僕を抱きかかえたまま無言でソファに座ってしまったのだった。


「えっと……先ほどはありがとうございました、赤霧さん。僕、どうしたらいいかわかんなくなっちゃって。情けない話、軽くパニック状態に――」


「――もん」


「はい?」

 

 声が小さすぎて聞き取れなかった。

 問い直すと、赤霧さんは抱き締める力を強めながら、僕のうなじに顔をうずめて。



「ミッチーは私のなんスから、誰にもあげないもん」

 


 と、拗ねた子どものようにつぶやいた。

 うなじに触れている赤霧さんのおでこが熱い。

 きっと、その顔も赤く染まっているのだろう。

 だから、恥ずかしがるのならそういうことを言わなければいいのに……。


「て、てか、ミッチーは無防備すぎなんスよ! なに勝手にナンパされてんスか! あのまま私が来なかったらどうするつもりだったんスか!」

 

 抱き締めはそのままに、唐突に責め立ててくる赤霧さん。

 抱擁を解除しないのは、真っ赤な顔を見られたくないからか。

 ……まあ、僕もさっきの赤霧さんの台詞のせいで顔が熱いので、好都合だけれど。

 

 顔が熱いというか、なんだろう、身体全体が熱い気がする。


「ど、どうするもなにも、普通に断ってましたよ。赤霧さんと一緒にカラオケに来てるんですから」


「ハッ、どうだか! 私には、いいように丸め込まれて、そのままお持ち帰りされちゃってる未来しか見えないっスよ!」


「クッ、信用されていない……じゃあ、いまから僕の熱い魂を叫ぶことで、失った信用を取り戻しましょう!」


「おー、唄え唄えー!」

 

 熱い魂を叫ぶことが信用回復に繋がるのかどうかはさておき。

 ふたりで妙なテンションになりながらも、僕はマイクを握ってアニメ曲を入力。

 人生初のカラオケを、ここでようやくスタートさせたのだった。

 



 

 その後。

 三時間たっぷり唄いつくした僕と赤霧さんは、寄り道もせず帰宅の途に着いた。

 赤霧さんは余裕綽々といった様子だったが、僕の喉はすでにガラガラになっていた。唄うというより、大声を出すような発声をしたせいで、喉が傷ついてしまったのかもしれない。

 心なしか、身体の火照りが強まっているような気がした。

 

 マンション五階。廊下の先を歩く赤霧さんが、夕陽を浴びながらこちらを振り返った。


「それじゃあ、ミッチー。今日は楽しかったっス!」


「ええ、僕もです」


「あとで夕飯、一緒に食べるっスよね? ルリっちもそうだし、いまはミッちゃんもいることだから、今日は豪勢にしないと」


「普通でいいですよ。いつもの赤霧さんのご飯が、僕は一番好きです」


「そ、そうっスか……ふひひ、じゃあいつも通りにするー」

 

 にへら、とふやけた笑みをこぼしたのち、「じゃあまたあとで!」と赤霧さんは自宅の扉を開けた。

 僕も鍵を取り出し、504号室の扉を開ける。


「あ、兄さま。おかえりなさ――、ッ!?」

 

 開けて、そのまま玄関先に倒れ込んだ。

 

 ミツミの甲高い声が聴こえる。

 けれど、なにを言っているのかはわからない。

 額に手を当てられた。ひんやりと冷たい。ミツミの心は暖かい証拠だな。

 

 いや、ちがう。

 これは、僕の身体が熱すぎるのか。

 

 そんなことに遅ればせながら気付いた瞬間、僕の意識はプツリと途絶えた。

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