12話 天然ギャルは思わず二度見した。
午後六時二十二分。
予定の一時間を十分ほどオーバーして、我が家の大掃除は終わりを告げた。
大掃除と言っても、大晦日よろしく雑巾がけまで行ったわけではない。家具などに積もった埃を払い、掃除機をかけ、散らばる洗濯物とゴミをまとめただけのことだ。
まあ。たったそれだけのことを僕はしてこなかったのだけれど。
と。洗面所にいた赤霧さんが、Yシャツの腕まくりを元に戻しながら台所に戻ってきた。
「洗濯機はいま回してるっス。洗濯が終わったら夜のうちにベランダに干しちゃうといいっスよ。予報だと明日も晴れるらしいんで、朝干す手間が省けるっス」
「効率的なのか横着なのか……赤霧さんも案外、大雑把な性格なのでは――あ、いえ、なんでもないです。なんでもないですから、にらまないで!」
「まったく……てか、どうしてここまで放置してたんスか? それこそ、大雑把にも程がある惨状だったっスよ」
「端的に言うと、アニメを見るためですね」
「アニメを?」
「掃除をしている時間があったら、30分アニメを一本は見れますので」
「……ほんと、アニメのことになるとポンコツになるっスね、ミッチーは」
「なにか言いました?」
「アニメのことになるとポンコツになるねって言ったんスよ!」
「ダイレクトすぎるッ! あえて聞き逃しただけで、しっかり聴こえてましたよ! そこの返答はアニメの定番にならって『なんでもないです』ってシラを切ってくださいよ!」
「ポンコツ猫!」
「悪口いくない!」
なんて言い合いながら、僕はゴミ袋の山をまとめたのち、赤霧さんと一緒に台所からリビングに足を向ける。
そこには、生まれ変わった14畳のリビング空間が広がっていた。
開き切った窓から夕闇の風が入り、レースカーテンを優雅に揺らす。
脱ぎ捨てられた衣類とカロリーメイキングの空箱で、今朝まで足の踏み場もない状況だったのに。LED照明に反射するフローリングがまぶしい。
こんなに広かったのか、僕の家。
「ミッチー。感想は?」
「これは……気持ちがいいですね。さわやかな気分です」
「でしょー? 汚くしてるとハウスダストとか色々でちゃうんスから、定期的な掃除は大事なんスって。ほれほれ、ミッチー」
「はい?」
「掃除を手伝った私に、なにか言うことはー?」
つんつん、と片肘で僕をつつき、赤霧さんがニヤニヤとした表情で見つめてくる。
なるほど。たしかに大事なことを言い忘れていた。
僕は彼女を向かいに据え、そっと頭をさげた。
「ありがとうございます、赤霧さん。掃除の大切さを知れました」
「ふひひ。うむ、それはなによりじゃー。これからは小まめに掃除するんじゃよ」
「了解です、将軍様」
「素直でよろしい――てか、まとめた諸々のゴミ捨ては、ミッチーに任せていいっスよね?」
「もちろん。そこまで赤霧さんにお任せはできません」
赤霧さん曰く。僕の家は物が少なく、掃除も見た目ほど大変ではなかった、とのことだった。
たしかに、僕はアニメ関連グッズ以外への物欲が乏しい。
大事にしているのは、このリビングにある60インチテレビとBD再生機器、5・1CHサラウンドのオーディオと、大棚に並べられたアニメBDコレクションぐらいだ。
これさえあれば、ほかにはなにもいらない。
「そうそう。言い忘れてたっスけど、そこに並んでるミッチーの大事なBDは埃を払っただけで、触ったりとかはしてないっスからね? 確認してもらったらわかると思うっスけど」
「あはは、そんな心配してませんよ。というか、赤霧さんならいくらでも触っていいですよ。友達なんですから」
「そ、そうっスか? それは……あの、どもっス」
気恥ずかしそうに頬をかく赤霧さん。
大掃除の疲れからか。その頬はすこし赤みを帯びている。
「大丈夫ですか? 赤霧さん。顔が赤いようですけど。すこし休みますか?」
「へ、平気っス。なんともないっスから――て、てか、素朴な疑問なんスけど」
「なんです?」
リビングを見回しながら、話題をそらすようにして赤霧さんは問うた。
「ミッチー、どこで寝てるんスか? タオルケットはあったっスけど、ベッドとか敷き布団がなかったっスよね? ほかの洋室にも、それらしきものはなかったし」
「ああ。アレの上で寝てます」
そう言って、僕はリビングの窓際に転がる『ある物体』を指差した。
実家の黒田旅館に住んでいたときから、欲しくてたまらなかった一品だ。
それですべてを悟ったが、しかし、信じたくないのだろう。
その物体を二度見したのち、赤霧さんは引きつった笑みと共にこちらを振り返った。
「……アレって?」
「一時期流行した『人をダメにしつづけるソファ』ですね。ビーズがとても気持ちいいんですよ。アニメ鑑賞のときにも大いに役立ってくれています」
「あ、アレの上で寝てるんスか? 引っ越してきてから二ヶ月間、ずっと……?」
「はい。僕は身体が小さいので、ソファの上で丸まるとすっぽりハマって眠れるんですよ――見ててくださいね」
ソファをリビング中央に引っ張って来て、試しに丸まって寝てみる。
うん。やっぱり最高の寝心地だ。
このまま目をつむればすぐにでも眠れる。
「どうですか? 赤霧さん。ものすごいジャストフィットしているでしょう? いつもこの上にタオルケットをかけて寝ているんです。これならアニメを見たまま眠れるんじゃないかと、実家にいたときから目をつけていたんですよね」
「……あの、ミッチー」
「どうしました?」
「それ、完璧に猫さんの寝方なんスけど……あるいは、お母さんのお腹の中で漂う赤ちゃん」
「え」
「フィットしてるかどうかはともかく、そんな寝方してたらいずれ身体壊しちゃうっスよ?」
「え、でも……え?」
「……おばあちゃんに渡された来客用の布団一組、使ってないのがあるんで持ってくるっスよ。私たち、友達っスからね……」
弱々しく微笑み、おもむろに玄関に向かい始める赤霧さん。
それは哀れみというより、諦めにも似た切ない笑顔だった。
……そんなにおかしかったのかな、僕の寝方。
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