11話 天然ギャルが僕の家の大掃除を始めた。
同じマンションの、それも隣に住んでいる。
赤霧ナコからその事実を聞かされても、僕は半信半疑だった。
そんな偶然あるわけない、ラノベじゃないんだから、と。
けれど。
マンション『パレット』のエントランスに入り、赤霧さんが住居者しか持っていないはずのカードキーを取り出したところで、その疑念は確信に変わった。
「……お、おそろいっスね」
「……そ、そうですね」
当たり前のことを確認し合いながら、ふたり無言でエレベーターに乗り、僕たちの家がある五階を目指す。
隣に赤霧さんがいるだけで、見慣れたエレベーターの個室がまるで異次元のように見えた。
「それにしても、まさか隣同士だとは思わなかったっスね……」
「そうですね……」
完全に予想外だった。
エントランスの郵便受けや表札で『赤霧』の苗字は目にしていたはずなのだが……まさか、クラスメイトの赤霧ナコだとは思いもしなかった。
クラスメイトと同じ苗字の家があったからと言って、そこにそのクラスメイトが住んでいる、だなんて普通は思わないだろう。
ああ、同じ苗字だな、と思うくらいだ。
赤霧さんも、僕の『黒田』という苗字を目にして同じことを思っていたはずだ。そうでなければ、ここまで驚きはしない。
引っ越したときに隣近所へ挨拶をしていれば事前に気付けたのだろうけれど、僕も赤霧さんも引越しの挨拶はあえてしていなかった。近隣住民に『未成年のひとり暮らし』という事実を悟らせないための、防犯上の理由からだ。
これまで一度もマンションで出会わなかったのは、登校時間や帰宅時間が絶妙にズレていたからだろう。事実、今朝の登校も赤霧さんは僕より二十分近く遅れている。帰りもよく寄り道するという話だから、アニメ見たさに直帰する僕とは遭遇するはずもない。
まあそれでも、いずれはばったりエンカウントしていたのだろうけれど。
「…………」
「…………」
重苦しい沈黙が流れる。
一緒に帰っているときから、僕たちの間にはこうした気まずい空気が度々流れていた。
気まずいというか、ぎこちないというか。
きっと赤霧さんも、僕と隣同士だったことに驚いている最中なのだと思う。
「ま、まあ! こんなこともあるっスよね!」
突然。吹っ切れたようにして、赤霧さんがハイテンションに口火を切った。
「席も隣同士で、家も隣同士! おまけに引っ越してきた時期もほぼ同じ! すごい確率っスけど、ありえない話じゃないっス! あまり気にしないようにしていきましょ! ねッ!?」
「そ、そうですね……うん、隣だからと言って、なにが変わるわけでもありませんしね。事実、席が隣でもなにも変わってないわけですし」
「そうそう、別に隣でも問題ないんスよ! 不可侵条約も継続決定! なにより、私たちただの『友達』なんスから!」
「ええ、ただの『友達』ですからね。なにも問題ないです!」
「そうっスそうっス!」
隣同士であることが発覚したからと言って、別に同棲を始めるわけでもないのだ。
変に意識しすぎていたかもしれない。
……まあ、友達であることを強調している辺り、逆に意識しているように見えなくもないが、そこはあえてスルーしておこう。うん。
そうして無理やり話をまとめた直後。ポン、とエレベーターが五階に到着した。
自動ドアが開くと同時、柔らかな茜日が網膜を焦がした。
夕陽がもう沈みかけている。時刻は午後五時すぎといったところだろうか。
コンクリート造りの寒々しい廊下を進んでいき、まずは僕の自宅である『503号室』前にたどり着いた。
「ところで赤霧さん。BDはどうします? この場で渡しちゃいますか?」
「え? ああ、そういえばそうだったっスね」
お隣だったという衝撃の事実で、本来の目的を忘れていたな? 赤霧さん。
まあ。実を言うと、僕も家の前に来るまで忘れかけていたけれど。
「隣同士ならバッグに詰める必要もないっスもんね。じゃあ、ありがたく受け取ろうかな?」
「了解です――あ、というか、そうか」
「?」と首をかしげる赤霧さんに、僕はすこし興奮気味に伝える。
「それこそ隣同士なら、貸す作品をひとつに限定する必要もないんですよね? バッグに詰めるまでもなく、手運びで隣に持っていけるわけですし」
「まあ、それはそうっスけど……」
「では、すこし待っていてください! 赤霧さんのために用意していたタイトルがあと二作品ほどありますので、いま取ってきちゃいます! どちらも『ロードアビス』に負けず劣らずの名作ですので、必ず楽しめるはずですよ!」
「に、二作品も? ということは、全部で三作品見なきゃいけないってことっスか……?」
「大丈夫です、一週間も経たないうちに見終わっているはずですから! それじゃあ、急いで取って来ますね!」
名作を三作も視聴できるというのに、なぜか困惑顔の赤霧さんを横目に、学ランから自宅の鍵を取り出して玄関を開ける。
目の前で閉じるのも失礼だと思い、扉を限界まで開いた状態でキープし、靴を脱ぎ始める。
そのときだった。
「……冗談っスよね?」
背後から小さく、そんなつぶやきが聴こえた。
振り向くと、赤霧さんが世界の終焉を前にしたかのような愕然とした表情で、僕の家の中を見つめていた。
「な、なんで玄関先に衣類が散らばってるんスか……おまけに『カロリーメイキング』の空箱まで……あ、ああ! もしかして泥棒っスか? この惨状は泥棒に荒らされたんスよねッ!? お願いだからそう言って、ミッチー!!」
「いえ、家の中は朝出たときとまったく変わりありませんが?」
「…………」
「むしろ、僕にしては片付いているほうなんですけどね。パッと見渡したときに五箇所も足の踏み場が見えますし。うん、なかなかに綺麗なほうだと思います」
「――見てられないっス」
怒気をはらんだ震え声と共に、ドン! と赤霧さんが玄関先に足を踏み入れてきた。
どうやら、彼女の逆鱗に触れてしまったようだった。
「隣の家が
「い、いまからですか? でも、もう夕方――」
「ふたりでやれば一時間でいけるっス! 住み始めて二ヶ月なら、2LDKの部屋全部をゴミ部屋にすることはできないはずっスから!」
たしかに、生活拠点はリビングなので、二つの洋室は一切使用していない状態だけれど。
「は、ははーん? さては赤霧さん、綺麗好きですね? 僕の妹も同じなのでわかります。僕は大雑把な性格なので相性は良いほ――」
「うるせー! いいから、さっさとゴミ袋の用意するっスよ!」
「い、イエッサー!!」
赤霧さんの剣幕に圧され、台所にS県指定のゴミ袋を取りに行く。
そうして。
突然始まった大掃除に、ふたりして没頭していくのだった。
隣同士であることに戸惑うあの気まずい空気は、夕陽と一緒に沈んで消えていた。
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