10話 天然ギャルと同じ住所だった。

 時間は流れて、野球部の掛け声が響く放課後。

 ふたりきりの教室で、僕は赤霧ナコに詰め寄られていた。

 

 どうしてこうなった。


「で?」

 

 机に片肘をつき、隣席からこちらをにらみつけてくる赤霧さん。

 その表情は薄い微笑だが、目が笑っていなかった。


「で、と言いますと……?」


「朝からずっと、私のほうをチラチラ見ては、したり顔でドヤってたじゃないスか。ちゃんと見てたんスからね?」

 

 細心の注意を払ってドヤっていたのに、バレていただとッ!?

 どれだけ僕の動向をチェックしていたんだ、赤霧さん……!


「私になにか、言いたいことでもあるんじゃないんスか?」


「い、いえ……別になにもないですけど?」


「嘘が下手くそっスね。目が泳ぎまくってるっスよ。やっぱり、ミッチーは猫さんなんスよ。自分の欲に嘘をつけないんスって」


 天然特有のわけのわからない理論だが、欲に嘘をつけないのは事実だ。


「と、とにかく、僕にはなにも言いたいことなんてありません! おかしな言いがかりはよしてください!」


「……絶対に言わないつもりっスか?」


「そ、そもそも言うべきことがありませんから」

 

 そっぽを向いて、白々しく口笛を吹いてみせる。

 そんな僕の態度に、赤霧さんは「ハァ……」と呆れたようにため息をついた。


「そうっスか……なら仕方ないっスね。アレについては私にも非があるんで、あまりこの手は使いたくなかったんスけど。そこまで強情になるのなら、やむを得ないっスね」


「? な、なんですか?」


「日誌の感想に『ミッチーに太もも触られた』って書くっス。今日の日直、私なんで」


「実はですね?」


 このあと、めちゃくちゃ洗いざらい話した。

 

 この卑怯者め!

 

 だがまあ、語弊や誤解はあるけれど、太ももを触ったことは事実だ。

 無雨先生に知られでもすれば、あの甲高いロリボイスで一時間近い説教を喰らうことになってしまう。

 ……ある意味、ご褒美なのでは?


 ともあれ。そんな危機感に煽られつつ、赤霧さんに事の経緯を説明していく。

 と言っても、そう複雑な話でもない。

 一分程度ですべてを話し終えると、赤霧さんは「なるほど」と口を開いた。


「そういう理由でドヤってたんスね……てか、私が教室をのた打ちまわること前提で話を進めるのやめてもらっていいっスか?」


「なッ……! 『ロードアビス』を前にしてのた打ちまわらない人間がこの世に存在するんですか!? あんなに面白いのに!?」


「いや、ミッチーが選んでくれた作品なんだから、そりゃあきっと面白い作品なんでしょうけど、私はまだ見てないっスもん。よく考えてほしいっス。楽しみでのた打ちまわることができるのは、事前情報を与えられてる人間か、その作品を見たことがある人間だけでしょ?」


「……ああ」


 冷静に考えてみればそうだった。

 面白い、という確定情報が頭にあったせいで、変な思い込みをしてしまっていた。


「たしかに、赤霧さんの言う通りです……なるほど。発想の転換ですね」


「順当な結論っスよ。ほんと、アニメのことになると猪突猛進というか、周りが見えなくなるというか。急にポンコツになるんスね、ミッチーは」


「クッ……否定したいけど否定できない!」

 

 以前、カイトにも似たようなことを言われた気がする。


「まあ、オタクさんがひとつのものに熱中しちゃう気質なのは、最初からわかってたことっスけどね――ほんと、ありがたいっス」


「? ありがたい、とは?」


「なにはともあれ、っス」


 僕の疑問もよそに切り替えて、赤霧さんは前のめりに続けた。


「そういうことだったら話は簡単じゃないっスか。いまここで渡すことができないんだったら、私がミッチーの家まで連いて行って、代わりのバッグに入れたBDをその場で受け取ればいいんスよ。そうすれば、ミッチーの二度手間はなくなるっス」


「……僕の家に来るんですか? 赤霧さんが?」


 僕も一応男なので、僕の家に来る=異性の家に行く、ということになってしまうのだけれど。

 と。僕のそんな危惧を鋭く察したのだろう。赤霧さんが「あ、いやいや!」とどこか慌てた様子で弁解し始めた。


「家に行くとは言っても、もちろん中にはあがらないっスよ? バッグに詰めてる間は、家の外で待ってるっス! そこは、さすがの私でも不可侵条約っスよ! うんうん」


「不可侵条約の使い方が斬新すぎて混乱しかけましたけど……そうですか」

 

 区切って、僕は学生鞄を机の上に置いた。


「たしかに、それなら僕の二度手間はなくなりますね」


「でしょでしょ?」


「ですが、そうなると僕の家に寄る分、今度は赤霧さんの手間が増えてしまうのでは?」


「ミッチーの手間に比べたら、そのぐらいどうってことないっスよ。ミオっちとよく帰りに寄り道とかしてるっスからね――ちなみに、ミッチーの家って折筆おりふで市内っスか?」


「もちろん。そうじゃないと、この彩色高校に通うのは辛いですからね……えっと、ちょっと待ってください」


 学ランの内ポケットからスマホを取り出し、自宅の住所を確認する。

 引越しや注文配達などのときに使うだろうと、スマホにメモしてあるのだ。

 この土地が慣れ親しんだ地元であれば、こんなことをする必要もないのだけれど。


「あった、コレですね」

 

 住所が記載されたテキストを開き、赤霧さんにスマホ画面を見せる。


「実家は他県なんですけど、いまは郊外にあるこの『パレット』という名前のマンションに、ひとりで暮らしています。実は、今年の三月に越してきたばかりでし、て……?」


 と。

 そこまで話して、僕は思わず言葉を止めた。

 僕のスマホを見る赤霧さんの目が、異様な驚きに見開かれていたからだ。


「あの、赤霧さん……?」


「――同じっス」


 僕の住所を見つめながら、信じられないといった表情で赤霧さんはつぶやく。


「マンションの名前も住所も郵便番号も、私の住んでるマンションと全部同じっス」


「……へ?」


「ちなみに。私の家、ミッチーの『503号室』の隣の、『504号室』っス……」


「…………へ?」


「さらに言うと、私も三月からそのマンションでひとり暮らししてるんスよね……」


「……それは、冗談とかではなく?」


「冗談とかではなく」


「…………」


「…………」


 無言で見つめ合う僕たちの間に、カキーン、と野球部バットの快音が滑り込む。

 いや、カキーンじゃないが。

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