09話 天然ギャルはホラーが苦手だった。

『ロードアビス・反骨のタイタン』。

 

 これこそが、僕が赤霧ナコのために選出したアニメ入門作品、その記念すべき第一作目だ。

 全50話。十年前に一期、八年前に二期が放送された超名作である。

 キャラクターデザインもかわいらしく、スタイリッシュで、男女ともに見やすいものとなっている。初心者の赤霧さんでも難なく受け入れることができるだろう。


 この作品は、とにかく物語の推進力がすごい。一話を見たが最後、次の話を見ずにはいられなくなり、気付けば朝陽を拝んでいるほどの危険な作品だ。

 赤霧さんの寝不足が心配である。


(おそらく一晩で一期は踏破するだろうな……ふっ、僕も罪作りな男だ)


 なんてことを考えながら、僕は学校に登校を果たした。

 BDボックスの入った学生鞄を机にげて、チラリ、と隣の席を見やる。

 まだ赤霧さんは来ていなかった。

 いつも朝のHR五分前ぐらいに来るから、あと十分ほどか。


「……というか、どうしよう」


 ふと、僕は思い至る。

 BDを持って来たのはいいけど、どうやって渡そう?

 正確には、どうやって持ち帰らせよう?


 全50話のBDボックスは伊達じゃない。シャープペンを貸すような気軽さで「はいコレ」と渡せるような体積をしていない。両腕で抱えてやっとの大きさだ。

 事実、僕の学生鞄の中には現在、『ロードアビス』のBD以外はなにも入っていない。

 筆記用具やノート類はもちろん、いつもの昼食である『カロリーメイキング(チョコ味)』すらも入っていない。

 もはや、この学生鞄がBDボックスなのか、BDボックスが学生鞄なのかわからないほどだ。

 今日はもう、このBDを渡すためだけに登校したと言っても過言ではない。

 ……今日のお昼ご飯、どうしよう。


 さておき。

 それほどまでに、このBDボックスは『かさばる』のだ。

 これまで隣で観察してきた記憶を鑑みるに、赤霧さんの学生鞄の中には化粧ポーチや弁当箱が入っていた。とてもBDボックスが入る容量は残されていないだろう。

 

 ビニール袋かなにかを見つけて、それに入れるか?

 いや、そのように雑に扱われたくないし、扱いたくない。

 このBDボックスは限定物なので、結構値段も高かったのだ。


 それに、ビニール袋に入れたらボックスの絵柄が透けることになる。そんなオタク丸出しのアイテムを赤霧さんが持っていたら、ギャル友達や陽キャ仲間に「ナコ、お前オタクだったのかよ!」などと嘲笑われてしまう。心に深いダメージを負うことになるだろう。

 赤霧さんにとって、アニメが嫌な思い出のひとつになってしまう。

 オタク趣味を分かち合いたいとは言ってくれてたけれど、だからと言って無理に傷つく必要もないのだ。


 そんな傷、赤霧さんにはつけたくない。


「仕方ない。家からバッグかなにか持参してきて、また別日に渡すしかないか……二度手間になっちゃったな」


「なにが手間なんスかー?」


「ごぉるふっ!?」


 急に声をかけられ、英国紳士のスポーツ名を叫んでしまう僕。なんかデジャヴ。

 見ると、いつの間にか赤霧ナコが登校してきていた。


「ふひひ。そんな驚かなくても」


「す、すみません。ちょっと考え事をしていて」


「ほほう、朝から考える人っスか。門番は大変っスねー」


「門番? ……ああ、なるほど」

 

 僕が考え事をしている様を、『地獄の門』の上にある『考える人』の石像にかけたのか。

 わかりづら!

 というか、赤霧さんはギャルなのに博識だ。語彙も豊富で、会話の端々にそれが垣間見る。無雨先生にも、見た目によらず優秀だと褒められていたし。

 一日二日で得られるような教養の高さではない。

 

 こう見えて、幼少期から勉強をがんばってきたタイプなのだろうか?


「てか、昨日も思ったっスけど、ミッチーってビックリしやすいタイプなんスね。ホラー映画とかダメな人だ」


「そ、そんなことないですよ。アニメの中にはホラーものもありますからね。声をかけられた程度でビックリしていたらキリがないですよ。あははは」


 だから、ホラーもののアニメは半目で視聴するようにしている。

 ビックリすると心臓が……ほら、あれだからね?


「さっきミッチー、まさに声をかけられた程度でビックリしてたはずなんスけど……まあいいっスよ、そういうことにしといてあげるっス」


「なんかに落ちない言い方ですけど……そういう赤霧さんは、どうなんですか?」


「どうって?」


「ホラー映画とか。怖くないタイプなんですか?」


「…………」

 

 訊ねると、赤霧さんは無言で席に座ったのち、スッ、と僕から目をそらした。

 この反応は……。


「赤霧さん、こっちを見てください」


「やだ」


「端的な拒絶だ……」


「……ホラーっていう英単語は、『恐怖』って意味なんスよ」


「? はい」


「だから、ホラー映画を怖いと思うのは防衛本能の現れのひとつであって、当然の感情なんスよ……むしろ、怖がらない人は人間としてどうかと思うっス……それに、ほら、ビックリすると心臓があれしちゃうっスから」


「……要するに、赤霧さんもホラー映画は苦手、と」


「…………」

 

 目をそらしたまま、コクリ、と静かにうなずく赤霧さん。

 ……まあ、うん。

 正直に打ち明けると僕も大の苦手なので、責めるようなことはしないし、できないけれど。

 

 と。意外な共通点を発見したところで、僕は話題を変える意味もかねて、あらためて赤霧さんに話しかけた。


「というか、忘れていました」


「ん?」


「遅れましたけど、おはようございます。赤霧さん」


「――ふひひ」

 

 思わずといった風に吹き出して、赤霧さんはようやくこちらに向き直ってくれた。


「おはよー、ミッチー。今日もいい天気っスねー」


「はい。今日も快晴です」

 

 赤霧さんの明るい笑顔快晴を目にしたのち、僕はふと、机横の学生鞄に視線を落とした。

 朝のHRまで残り五分。教室には八割ほどクラスメイトが集まっている状況だ。

 先生が来るまでの間に、無理やり渡してみようか?

 いや、チラッと横目で見る限り、赤霧さんのカバンは結構パンパンだ。BDボックスが入る余裕は確実にない。

 やはり、別日に渡すしかなさそうだ。


「どうしたんスか? 私のほうチラチラ見ちゃって」


「いえ。なんでもないですよ、なんでも」


「? そうっスか……ふぅん」


 怪訝そうな顔の赤霧さんから視線をそらし、僕は窓外の景色を眺める。

 

 僕が『ロードアビス』を持って来た、などと伝えてしまったら、赤霧さんはきっと楽しみで楽しみで気が狂ってしまうことだろう。

 早く見たい! 早く見たい!! と、デパートで駄々をこねる子供のように教室中をのた打ちまわるはずだ。

 カイトならそうなるはずだ。

 僕だってそうなる。

 ここは、持って来たことは黙っておいてあげるのが、やさしさというものだろう。

 それこそ、友達として。


(命拾いしましたね、赤霧さん……)


 したり顔でつぶやき、僕はふっ、とシニカルな笑みをこぼしたのだった。

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