13話 天然ギャルと隣人条約を結んだ。

 五分もしないうちに、赤霧さんは布団一組を持って来てくれた。

 運搬を手伝うべきかとも思ったが、僕の矮躯では逆に邪魔になりかねないし、なにより女性の家にあがるのは気が引けてしまった。

 赤霧さんもその辺の葛藤を察してくれたのだろう。「気にしなくていいっスよー」と持って来た布団とシーツをリビングに運んでくれた。

 まあ正直。使ってないとは言え、女性の布団を借りることのほうが気が引けてしまうけれど。

 

 ともあれ。

 ここまでしてもらった厚意をいまさら無下むげにするわけにもいかず、「では、失礼して」と敷布団にシーツを被せていく。

 物心ついた頃から旅館の手伝いをさせられてきたので、この程度はお手の物だ。


木綿もめんの敷布団ですか、マットレスが多いこのご時勢に珍しいですね。実家でも、僕の部屋の布団は木綿でしたよ」


「そうなんスか……てかミッチー、すごい手馴れてるっスね。なんか旅館の人みたいっス」


「まさに実家が旅館なんですよ。黒田旅館という老舗しにせの旅館で、幼稚園児のときから配膳や寝床の支度、お客様の案内などをしていました。僕のこの敬語も、お客様を相手にしていたことで染みついた、言うなれば悪癖です」


「へえ、そうだったんスねー」


「そうなんです――よし、できた」

 

 最後にシーツのシワを整えて、寝床の完成。

 触った感触はかなりよかったが、実際に寝るとどうなのか?

「失礼します」と断りを入れて、試しに布団に横になってみた。


「どうっスかー? 寝心地は。二週間前くらいに一度天日干ししたんで、変な匂いとかはしないはずっスけど」


「……これは『人をダメにしつづける布団』ですね。包まれるようなやわらかさです。シーツもすべすべで、枕も程よい固さです」


「よかったー。気に入ってもらえたようでなによりっス」


「あと、なんかいい匂いがします。変な匂いなんてとんでもない。なんというか安心する匂いですよ」


「そ、そうっスか……まあ、その、そこはあまり気にしないでもらっていいっスか? なんか恥ずいんで」


「? いい匂いなのに恥ずかしいんですか?」


「恥ずかしいんです! ほら、寝るにはまだ早いっスよ。出た出た!」


「おわっ」

 

 掛け布団を剥がされてしまったので、仕方なく布団から起き上がる。

『人をダメにしつづけるソファ』も寝やすかったのだけれど、そうか、あの安眠は偽りのものだったんだな。

 ソファの上で目をつむるとすぐに眠れていたのは、単純に僕の肉体が疲れていたからだろう。きっと無理な寝方をしつづけたせいで、疲労が蓄積されていたのだ。


「赤霧さん。僕は明日、寝坊してしまうかもしれないです。寝すぎて」


「ふひひ。そこまで寝心地のいいもんでもないっスよ、普通の布団っスから――、あ」

 

 と。

 そこまで口にしたところで、赤霧さんのお腹からぐぅ、とかわいらしい音が鳴った。

 テレビ前に置かれたデジタル時計を見ると、時刻はすでに午後六時五十分。

 夕陽も完全に沈み切って、外は真っ暗になっている。

 夕飯の時間がせまってきていた。


「ふひひ。お腹鳴っちゃった」


「ですね。よければ一緒に夕飯、食べませんか? 掃除と布団のお礼に僕が奢りますよ」


「ほんとっスか? ふひひ、なんか申し訳ないっスね。じゃあ、お言葉に甘えちゃおっかな」

 

 変に気遣って遠慮されるより、こうして素直に甘えられたほうが気持ちがいい。

「了解です」苦笑しつつ応えると、僕は台所に向かい、新しいダンボールを開封。

 

 カロリーメイキング二箱を持って、リビングに戻ってきた。


「どうぞ、赤霧さん。チョコ味でよかったですかね?」


「……はい?」

 

 手渡すと、なぜか赤霧さんは唖然とした表情で固まってしまった。

 チーズ味のほうがよかったのだろうか?


「……えっと、ミッチー?」


「なんでしょう?」


「もしかして、とは思うんスけど……このカロリーメイキングが、今日の晩ご飯?」


「そうですが、なにか? あ、足りなかったですかね? それならもう一箱持ってきますよ」


「まさか……いや、ちょ、嘘、あの、待って」

 

 理解不能とばかりに額に手を添えながら、困惑顔で赤霧さんは続ける。


「さっきまで、部屋中にカロリーメイキングの空箱が大量に撒き散らされていたっス……台所にはなぜかカロリーメイキングをまとめ買いしたダンボールが置いてあって、シンクの中はまったく水汚れがなかったっス……」


「? そうですね。僕、料理とかできないので。越してきてから、台所は一度も使ったことがないんです」

 

 実家の旅館の手伝いでも、炊事場の仕事だけは任せてもらえなかった。

 普通に皿洗いをしているだけで、なぜかお皿が勝手に割れていくのだ。

 料理を作ろうものなら、鍋やフライパンがなぜか真っ黒コゲになるし。

 それを見かねた旅館の料理長である父が、お前はもう炊事場に入らなくていい、と悲しげな表情で告げてきたのだった。

 小学三年生の春。料理センスが皆無であることを察した瞬間である。

 

 閑話休題。


「調味料や食器、それに調理器具なんかの日用品は、妹にせっつかれて買ったものがあるので、一丁前にそろってるんですけどね」


「……ミッチー。ひとつ質問っス」


「はい」

 

 ゴクリ、と生唾を飲み込み、赤霧さんは緊迫した表情でこう訊ねてきた。


「この二ヶ月間、なにを食べて生きてきたのか、教えてもらってもいいっスか……?」


「このカロリーメイキング『のみ』を食べて生きてきました」


「いやああああああああーーーッッッ!!」

 

 絹を裂くような絶叫と共に、僕の手にあるカロリーメイキングを取り上げ、リビングの端に放り投げる赤霧さん。

 ああ、僕の貴重な夕飯がッ!


「なんてことするんですか赤霧さん! 食べ物を粗末にしないでください!」


「ミッチーは自分の身体を粗末にしないでください! なんスかその乱れきった食生活ッ!」


「み、乱れきったって……」


「ああ、そっかなるほど。ミッチーのおでこにニキビができてたのもその不摂生が原因だったんスね……ほんと、今日までよく病気にならずに済んだっスね!」


「そ、そこまで言いますか!? ニキビはともかく病気になんてなるわけないでしょう! ほら、カロリーメイキングの裏面を見てください!」

 

 放られたカロリーメイキングを拾いあげ、箱の裏面を赤霧さんに見せつける。


「『身体に必要なビタミン・ミネラル・たんぱく質・脂質・糖質が、バランスよく配合されています』って書かれています! つまり、これさえ食べていれば普通の食事はしなくていいんですよ! それに、おいしいですし! なにより、アニメを見ながら食べられます!」

 

 箱買いしたのも、そもそもカロリーメイキングを主食に選んだのも、すべてはアニメのため。

 料理の手間を短縮し、アニメの視聴時間を伸ばすためだったのだ。

 まあ。先述した通り僕は料理ができないので、短縮せざるを得ない、というのが正解だが。

 

 しかし。

 僕のそんな思惑を跳ね除けるかのごとく、赤霧さんは語気を荒げて反論する。


「無知な子供っスかミッチーは! それはあくまで栄養補助の食品なんスって! おいしかろうがなんだろうが、主食にはなりえないんスよ!」


「栄養補助? な、なにを馬鹿な……」


「その裏面にも書いてあるはずっスよ? 『忙しいときの食事代わりにどうぞ』って。それはつまり、ちゃんとした食事は別に摂ってくださいね、って意味にほかならないんスよ!」


「……そんな、まさか」

 

 チラッ、と裏面の記述をたしかめてみる。

 最初の文言しか見ていなかったが、たしかに栄養補助の役割にしか適していない、といった記述が見られる。

 ……カロリーメイキングは、主食ではない?

 旧知の友に裏切られたかのような絶望感を覚えながら、僕は静かに口を開く。


「こんなにおいしいのに、主食にはなりえない……?」


「そうっス。おいしいけど、カロリーメイキングは主食ではないんスよ」


「――――」


「ぶっちゃけ、ただのおやつっス」


「…………あ、あはは。薄々、勘付いてはいたんです」

 

 自嘲気味につぶやき、僕はゆっくり立ち上がると、リビングの窓から夕闇の街並みを眺めた。

 冷えた夜風が、おでこのニキビをなでる。


「カロリーメイキングはおいしいし、アニメを見ながら食べられる最高の食品だけど……でも、なんかお菓子みたいな味だな、って」


「ミッチー……」


「僕は田舎者です。旅館のまかない料理や、料理長である父の料理しか食べたことがなかった。だから、都会に住んでいる人たちはみんな、こういったジャンクな味の食品を主食としているのかなって。すこし憧れてもいたんです……ほら、『10秒チャージ』とかなんとかってCMも見たことありましたし」


「アレも、栄養補助食品っス……」


「ですよね……だから、そう、わかってたんです。わかっていたんですけど……!」

 

 ドサッ、とその場に両膝をつき、僕は悲壮感あふれる声音で言った。

 胸中にこみ上げるのは、ただただ後悔のみ。


「残り三ヶ月分のカロリーメイキング、どうやって処理しよう……!」


「おやつとして処理していくしかないっスね」


「あ、ですよね」

 

 茶番をここで切り上げて、赤霧さんのマジレスに応える僕。

 そうか。栄養を補助してくれるわけだから、おやつなんかの間食には最適なんだよな。

 そこまで後悔することでもなかった。


「でも本当、そうなると明日からの主食はどうしましょう……僕、料理はできませんし」


「……ハア。まったく、仕方ないっスねー」

 

 うなだれる僕が、あまりにも情けなく見えたのだろう。

 赤霧さんが僕の左隣に立ち、こう提案してきてくれた。


「ミッチーさえよければ、これから私が料理作っていってあげるっスけど?」


「……え?」


「あ、あくまで隣人の友達としてっスよ? 友達として! 不摂生で孤独死されても寝覚めが悪いってだけで、別に深い意味とかはないっスから! そこだけは勘違いしないように!」


「わ、わかっています! ぜひお願いしたいですッ!」

 

 思わぬ提言に、僕は飢えた獣のように飛びつく。

 いまの僕には、まさに願ったり叶ったりの提案だった。


「ふひひ。了解っス」

 

 目をギラつかせる僕を見て苦笑したのち、赤霧さんはこちらに手を差し伸べてきた。

 膝をついたままの僕はその手を取り、立ち上がる。


「友達条約にプラスして、『隣人条約』の締結っスね」


「あはは、そうですね」


「ただ、食費は折半にしてもらいたいかなーって感じなんスけど、大丈夫っスかね?」


「もちろんです。すみません、恩に着ます」


「ふひひ。十二単じゅうにひとえぐらい着ちゃってもいいっスよー」

 

 相変わらずの独特な例えと共に、からかうように笑う赤霧さん。

 これからの食事を用意してくれるだなんて、十二単でも足りないほどの恩だ。

 深い意味はないとは言うけれど……正直、なにか裏があるのではと疑ってしまうほどである。


「さておき。それじゃあ、まずは今日の晩ご飯っスね。ミッチーはなにが食べたいっスか?」


「僕が決めてもいいんですか?」


「モチのロンっス。私は特に好き嫌いとかないんで、自由に選んでくれていいっスよー」


「それじゃあ……」

 

 思案しかけたそのとき、またも赤霧さんのお腹からぐぅ、とかわいい音が鳴った。

 父から聞いたことがある。空腹は最高の調味料だ、と。

 だから僕は、これまでの生活に対する戒めも込めて、顔を赤らめる赤霧さんにこう答えたのだった。


「カロリーメイキング以外で」

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