35話 天然ギャルを追いかけた。

「あ、赤霧さん……」


「え? ナコ?」

 

 困惑する僕に覆いかぶさりながら、紺野さんが背後を振り返った。

 社務所裏の入り口付近。棒立ちになっている赤霧さんと数秒目が合ったのち、この体勢のマズさにようやく気付いたのだろう。


「あ――いや、ちがッ……!」

 

 紺野さんは弾かれるようにして飛び退き、すぐさま僕の上から離れた。

 驚きのあまり、足の痛みは忘れているらしい。

 僕もすぐに立ち上がり、うつむきがちな赤霧さんに向き直る。


「ち、ちげえんだよナコ! これは、ウチがバランスを崩して、黒田っちが受け止めてくれたっつーだけの話で! ウチが黒田っちを襲ってたとか、そういうのじゃあ……!」


「そ、そうなんです! 倒れそうになったのを抱きとめただけで、そういった他意は――」


「――――こ」

 

 僕たちの弁明を遮るように、赤霧さんが肩を震わせながら、小さな声を発した。

 思わず口を閉じて身構える僕らに、赤霧さんは深呼吸するように息を吸ったあと。


「この、発情猫ーーーッッ!!」

 

 太鼓の演奏よりも大きな声でそう叫び、ダッ、と逃げるようにして身を翻したのだった。

 走り去る彼女の瞳から、わずかに雫がこぼれる。

 

 ……あれは、涙?


「あ、赤霧さんッ!!」

 

 呼び止めるも時すでに遅し。社務所の裏から出て屋台の道を見やるも、赤霧さんの姿は人波に飲まれて見えなくなっていた。

 僕は、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 誤解されかねない場面を目撃されたからではない、発情猫と言われたからでもない。

 赤霧さんの涙を、はじめて目にしたからだ。

 もちろん、あくびなんかの生理的なものは何度か見たことがあったけれど、赤霧さんの先ほどのような涙は――感情の揺れから出る涙は、いままで見たことがなかった。


(それだけショック、だったのか……?)

  

 こればかりは、僕ひとりでは答えが出せない。いや、出してはいけない。

 なら、やるべきことはひとつだ!


「紺野さん、すみませんが――」


「とりゃ!」


「膝裏ッ!?」

 

 突然。紺野さんに見事なローキックをかまされ、膝カックンの要領でその場にくず折れる僕。

 が。諸刃の剣だったのだろう。「痛ててッ!」と蹴った足をかばいつつ、痛みに顔を歪めながら紺野さんは言った。


「なに間抜け面でボーっとしてやがんだ、さっさと追いかけろ! ウチのほうからも、あとでナコに説明しとくから! いまはとにかく追いかけてやれッ!!」


「……、はい! ありがとうございます!」

 

 言おうとしたことを先に言われてしまった。

 RINEで社務所裏にいることは伝えてあるから、しばらくすればカイトが紺野さんを迎えに来てくれるだろう。

「それじゃあ、失礼します!」と口早に紺野さんにお辞儀をして、僕は社務所裏を飛び出た。

 夜も更け、祭り客はどんどん増え始める。

 焦る気持ちを抑えて、人ごみの中を縫うように駆けていく。


(赤霧さん……!)

 

 いまはただ、天然ギャルの笑顔が見たかった。

 


     ◇

 


 ボサボサ髪の少年――黒田ミツカゲの背中を見届けたのち、肌黒金髪の少女――紺野ミオはひょこひょこ、とおぼつかない足取りで社務所裏に戻り、大きなため息と共に腰を下ろした。


「クソ、やっちまったあ……」

 

 灰村カイトの音声がもらえる喜びに浮かれ、親友の『お気に入り』に抱きついてしまった。

 親友である赤霧ナコには、過去の昼食会で自分の思い人が誰かを伝えてあるから、自分がミツカゲのことを好きになった、なんて誤解はしていないはずだけれど。


「それでも、そう誤解しちまうぐらい『ヤラれてた』、ってことか……」

 

 赤霧ナコの精神面が不安定なことは、今日のRINEの時点で気付いていた。

 会ってからはそれが確信に変わり、なんとか場の空気だけでも明るくしようと徹した。自分に打ち明けてきていない以上、この問題はまだ触れられないと察したからだ。

 けれど。

 そんなナコを、ミツカゲが揺さぶった。

 問題の根幹が――『隠し事』が、黒田ミツカゲに起因するものである、という、なによりの証左だ。

 だから。すぐさまソレに気付いたミオは、ミツカゲを走らせた。

 よく食べるあの親友には、笑顔が一番似合うのだから。


「ちゃんとケアしてやれよ、黒田っち」


「――す、すまない! 遅れた!」

 

 と。そのとき。

 聴き慣れた大声と共に、灰村カイトが姿を現した。

 その顔は、プールにでも入ってきたのかと思うぐらい、大量の汗にまみれていた。

 両手には、四人分のラムネが入ったビニール袋と、見知らぬ紙袋が握られている。

 ミオはすこし戸惑いつつも、つとめて平静を装って咳払いをひとつ。


「ったく、マジで遅えよ……お前、どこまでラムネ買いに行ってたんだよ?」


「いやなに、ラムネはすぐに買えたのだが、コレを売ってる店が近場に見つからなくてな!」


「? なに、なんか別のもんでも買ってきたん?」


「まあな――ふむ。RINEで見た通り、治療自体は済ませたようだな」


「一応な」


「では、すこし足を借りるぞ」


「は?」

 

 言うが早いか、ミオの前で屈むと、カイトは紙袋の中から新品のサンダルを取り出した。

 ビーチサンダルのような親指と人差し指の間を痛めるタイプのものではなく、足の甲で履くコンフォートサンダルと呼ばれるタイプのものだ。


「お前、ソレ……」


「これなら、足の指も痛めずに歩くことができるだろ?」

 

 驚くミオもよそに、カイトは黙々と下駄を脱がし、コンフォートサンダルを履かせた。

 どうだ? と目で訴えてくるカイトを前に、試しに立ってみる。

 多少、自分の体重で痛みが響くけれど、歩けないほどではなくなっていた。


「うむ、大丈夫そうだな! サイズはどうだ?」


「お、おう、バッチリだ……つか、いつ気付いたんだよ? ウチが足痛めてるって」


「痛めてることには、最初から気付いていたぞ?」

 

 脱いだ下駄を紙袋に入れ、甚平の袖で額の汗を拭いながら、カイトは飄々と続ける。


「ただ、今日はやけに明るく振る舞っていたから、祭りの雰囲気を壊さないようにしているのだと思い、意志を尊重してあえて黙っていたのだ! だが、鼻緒に血が滲み始めたのを見て、さすがにこれ以上は無理だろうと、新しいサンダルを買いに行ったのだ! ちょうど、ホットドッグを渡した辺りだな!」


〝――ふむ。さすがに限界が近いか――〟

 

 この幼馴染みは、ずっと自分の足の調子を心配してくれていたのだ。

 おまけに。ラムネを買いに行く、だなんて嘘をついてまで、新しいサンダルを買いに行って。さらには、こんなに汗だくにもなって。


(……ズルすぎねえか、コイツ)

 

 予想外の気遣いに高鳴ってしまう鼓動を抑止しつつ、ミオが胸中で不貞腐れていると、カイトは周囲を見回しながら。


「まあ、ひとまずこれで祭り巡りは再開できるとして……ミツカゲたちは何処いずこに?」


「ナコとふたりで、ちょっとな……たぶん、戻るのはすこしかかると思うぜ」


「? そうなのか。では、その間に俺と『ミオ』で屋台を――、あ」


「……え?」

 

 しまった、と言わんばかりに口を押さえるカイト。

 ミオも、なにを言われたのかわからない、といった風に目をパチクリとさせている。

 およそ三年ぶりとなる、下の名前呼び。

 なりたかった、元の関係――

 その、ずっと求めていたモノに、ミオの目元が浸水しそうになる。

 けれど。寸でのところでその決壊を止め、自身の両頬をパチンと叩くと、ミオは思い切ってカイトの右腕に抱きついた。

 踏み込むなら、ここしかないと思った。


「おっと。な、なんだ? まだ足が痛むのか?」


「いーや、おかげ様で全然痛くねーよ。『カイ』くん?」

 

 小学校時代の呼び名と共に、悪戯っ子のような笑みを見せるミオ。

 ただ。これは呼ぶほうも恥ずかしいので、名前を口にした瞬間に、ミオの顔はもう真っ赤になってしまっているのだけれど。

 と。カイトは目を見開いたのち、やれやれといった風にため息をついた。


「その呼び方は勘弁してくれ。もう高校生だぞ?」


「先に呼んできたのはそっちだろーが。ウチはやめねえぞ……つか、そ、そんなに嫌か? 名前で呼ばれるの」


「いや、別に嫌ではないが……」


「……ッ、キシシ! ならいいじゃねえか! さっさと屋台巡りに行こうぜ、カイくん!」


「まったく……ただし、名前呼びはミツカゲたちと合流するまでだからな!」


「わかったわかった」

 

 むしろ、ミツカゲたちが戻ってきたら一文字も名前を呼べなくなる気がする。

 だから、紺野ミオはこの瞬間を胸に刻み込むのだ。


「では、行くぞ――ミオ」


「うん!」

 

 どんなシチュエーションボイスよりも価値のある、大好きな幼馴染みの呼び声を。

 


     □

 


 折筆神社の入り口、その鳥居を出ると、僕は目の前の道路を右に折れた。

 赤霧さんがこっちに行った根拠はない。完全に、勘に任せた選択だった。


(浴衣と草履じゃあ、そこまで遠くには行けないはずだけど……)

 

 祭りの熱気を離れ、夜に沈んだ街並みを走る。

 横断歩道の信号に捕まった隙に、RINEで赤霧さんに通話を試みた。

 出ない。

 何度、何度かけても出ない。

 それでも、僕は懲りずに通話をかけ続けた。

 回数にして、十数回はくだらないだろう。ストーカーと間違われても言い逃れできないほど、僕は赤霧さんのRINEを起動させた。


(途中でブロックされたらどうしよう……)

 

 そうなったら、あとは地道に探し出すしかない。

 耳にスマホを当てながら、次はどこへ行こうかと走っていた、そのとき。

 鳴り続いていたRINEの着信音が、フッ、と途絶えた。

 相手が通話に出たのだ。


「赤霧さんッ!?」


『…………』

 

 返事はなし。けれど、切る気配もない。

 僕は思わずその場に立ち止まり、車が往来する道路を見つめながら。


「いまどこにいるんですか!? ああ、僕はいま神社を離れてるんですけど……とにかく、先ほどの件について直接会ってお話を――」


『――なんで、っスか?』

 

 遮って、ひどく暗い声で赤霧さんは言う。

 僕に対して怒っているというより、自分自身に失望しているかのような、それはそんな声音だった。


『なんで、そんな必死になって探すんスか……?』


「なんでって、それは――」


『私には、そんな価値なんてないのにッ!!』

 

 スピーカーの音が割れるほどの、心からの絶叫。

 その音の隙間で、パシャン、とわずかな水音がしたのを、僕は聞き逃さなかった。

 水のある場所で、叫べるほどに人気のない場所。


〝――ひとりで考え事したいときとかにもよさそうな場所だったっス――〟


(紺野さんの母校の中学校か……!)

 

 すぐさまRINEの裏で折筆市内を検索し、校舎裏に山がある中学校を探し出す。

 一件ヒット。

 折筆神社を出て、目の前の道路を左に折れた先にある中学校だった。

 いまいる場所の真逆の方向だ。完全に勘が外れた!

 僕は踵を返しながら、通話先の赤霧さんに問う。

 ずっと気になっていた、彼女の『隠し事』。

 訊き出すのなら、このときをおいてほかにない。


「価値がないなんて、どうしてそんなことを!? 話してください、赤霧さん!」


『……話したら絶対、私のこと嫌いになるっス。幻滅して、もう関わりたくないって、そうなっちゃうっスよ、きっと』


「なりません!!」

 

 断言して、目の前の車止めポールを飛び越える。

 ようやく神社前まで戻ってきた。

 目に汗が流れてくるのもかまわずに、僕は走り続ける。


「だから、教えてください! 赤霧さんのこと、もっとしっかりと!」


『……ミッチー、ミッチー……』

 

 すがるような声音が、何度も僕の名前を呼ぶ。

 そんな、いまにも泣き出してしまいそうな震え声で、赤霧さんは静かに言った。


『ずっと、騙しててゴメンね……』

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