36話 天然ギャルは吐露した。
『私の家は、父子家庭だった。
『私とお父さん、ふたりきりの家族。
『物心ついたときにはもう、お母さんはいなかった。
『お母さんはどこかにいったんだよ、って、お父さんは言ってた。
『あとでおじいちゃんに聞いた話によると、お母さんはほかの男と浮気してたみたい。
『ああ、お母さんは冷たいひとなんだ、って私は思った。
『家族に愛情を注ぐこともできない、目の前のモノすら愛せない可哀相なひとなんだって。
『それでも……お母さんがいなくても、私は幸せだった。
『お父さんが大好きだったから。
『片親の家庭はなにかが歪む、なんて言われてるけど、そんなの絶対に嘘だと思ってた。
『だって、お父さんと一緒にいる私は、こんなにも満ち足りてるんだから。それだけでいいや、って、昔の私は思ってた。
『私が小学二年生になった頃。
『お父さんが、仕事で海外に行くことになった。半年程度の単身赴任だった。
『片親になったことで、これまでよりも仕事を増やしたんだって、あとから聞いた。
『私はワガママに泣き喚いた。
『なんで私を置いてくの、いかないでお父さん、って。
『お父さんは、困ったように私の頭をなでるだけだった。
『お父さんがいない間、私は父方の祖父母の家でお世話になった。
『……そう。私がおばあちゃんっ子になった理由は、それ。
『私は、おばあちゃんっ子にならざるを得なかったの。いやまあ、おばあちゃんのことは普通に好きなんだけどね。
『でも、ここまでおばあちゃんのことを好きになったのは、間違いなくお父さんの単身赴任が影響してると思ってる。
『こんな八つ当たりみたいな考え方、自分でも嫌になるけど。
『祖父母の家でお世話になっている間、私はひたすら勉学に励んだ。お世話になる以上、自慢できる孫であろうと思った。
『なにより、いい成績を取ればお父さんが帰ってきて、私の頭をなでてくれるかもしれない。そう、夢見てたの。
『……当たり前だけど、そんな理由でお父さんが帰ってくることはなかった。
『お父さんの単身赴任は、それからも続いた。
『残りの小学校生活の間、お父さんは一年も日本にいなかった。中学生の頃は、半年もいなかったはず。
『もちろん、小学校の卒業式も、中学校の始業式も、お父さんは来てくれなかった。
『――私は、ふと疑問を抱いた。
『お父さんは、本当に私のことを大切に思ってるんだろうか? 本当に、愛してくれてるんだろうか?
『わかってる。一緒にいられないこの状況は、私のためを思って仕事を増やした結果だ。その愛を疑っちゃいけない。
『でも……それでも、一度そのことを考え出すと、不安でたまらなかった。
『たったひとりの親に愛されてない、なんて、想像すらしたくなかった。
『だから私は、すこし試してみた。
『中学三年生になった頃。いまから一年くらい前の話。
『他県への高校進学を考えてた私は、国際電話でお父さんにこう言った。
『〝これ以上、おじいちゃんおばあちゃんの家でお世話になるのは気が引けるよ〟って。
『ひとり娘を置き去りにしてるお父さんに、そんな嫌味をぶつけてみたの。
『そうすることで、お父さんは私と一緒に生活することを考えてくれるだろう、と思った。
『でも、現実は思い通りにいかなかった。
『私がそう口にしたあと、お父さんは〝なら高校の近くでひとり暮らししなさい〟って告げて、あっさりと電話を切った。
『まるで、新聞勧誘を断るような冷淡さだった。
『……私は、わからなくなった。
『お父さんが、本当に私のことを愛してくれてるのかどうか。
『同時に、別の不安が
『私に――愛情は備わってるんだろうか?
『お父さんですらこうなのに、私はもうひとりの親……家族に愛情を注ぐことすらできなかった、目の前のモノすら愛せなかった母親の血を引いている。
『冷たくて、可哀相な女の血を継いでいる。
『なら、その子どもである私も、ひとに愛情を注げない人間なんじゃないのか――
『そう考えると、私はいても立ってもいられなくなった。
『焦った。座っていられずに、何度も部屋の中をうろうろと歩き回った。
『どうにかして、なんとしてでも愛情のある人間なんだと、証明しなくちゃいけないと思った。
『愛を知ろうとした、なんて、詩的な言い方もできるかもしれない。
『なにがなんでも私は、自分が母のような女じゃないってことを知りたかった。
『彩色高校に入学した私は、証明のために躍起になった。
『証明の仕方なんてわからなかったけど、とにかく必死になってその方法を探した。
『明るくて目立ってるひとのほうが恋愛経験も豊富で、そういう感情にも詳しいだろうから、ちょっと無理して高校デビューもしてみたりした。髪を赤くして、スカートも短めにしちゃったりして。
『口癖もそれっぽくした……まあ、私は根がガリ勉だからどうしても敬語の癖が抜けなくて、なんか三下みたいな口調になっちゃったけど。
『……そう。いまのこの私の話し方が、本当の私。
『これも、騙してたことのひとつだね。
『そんなとき。四月の中旬頃。
『隣の席で、ミッチーと灰村くんが楽しそうにアニメの話をしているのを見かけた。
『なんとはなしにそれを聞いていた私は、ああ、黒田くんはオタクさんなんだ、って気付いた。
『――うん。私が、ミッチーがオタクさんだって気付いたのは、実は〝僕パン〟のラノベを読んでたときじゃないの。
『本当はもっと前から、その四月中旬くらいには、ミッチーがオタクさんだってことには気付いてたんだ。
『騙してたことの、ふたつ目だね。
『そんなオタクさんのミッチーを見て、私はようやく〝証明〟の方法を思いつく。
『オタクさんは、ひとつのものにすごい情熱を注ぐって聞いたことがあった。
『ひとつのものに情熱を……いわば〝愛情〟を注いで、それを長く愛していけるのがオタクなんだ、って。
『それが、オタクさんの〝気質〟なんだ、って。
『なら、オタクさんのその気質を知ることで、私の愛情の有無も知ることができるんじゃないか、と思った。
『……私は、隣の席で接触しやすい、ミッチーを利用しようと決めた。
『そのためにも、まずはミッチーと友達になろうと思った。
『普通に話しかけても知り合い程度で終わりだろうから、もっとファーストコンタクトを強く……ふたりきりの状態で話しかけて印象を濃くして、そこから仲良くなっていこうと画策した。
『でも、ふたりきりになれる機会はなかなか訪れなかった。
『それから私は、ミッチーをこっそり観察して、ふたりで話す機会を窺い続けた。
『――その中で、私はおかしくなっていった。
『アニメのことを楽しそうに話すミッチーを見てるだけで、胸が苦しくなっていった。
『ミッチーの楽しそうな笑顔を見るだけで、色んな目的を忘れそうになった。
『純粋になにかを愛する姿が、私にはまぶしく映ったのかもしれない。
『それが〝好き〟っていう気持ちだってことに気付いたのは、もっとあとになってからだった。
『……ふひひ、黙んないでよ。
『そう。私はミッチーが好き。大好き。
『大好きなんだ、ほんとに。
『眺めてるだけで幸せになる、触ったらもっと幸せになる。
『ずっと、傍にいたくなる。
『……でも、そのときの私はソレに気付かなくて、とにかく自分の証明のことばかり考えてた。
『そして、私は話しかけるの。
『〝私、オタク好きなんスよね〟――って。
『私はオタクさんじゃないから、オタクさんを装うのは悪手だと思った。だから、オタクさんに興味を持ってる一般人として、会話を広げていった。
『その結果、パンツを見せることになるとは思わなかったな……いやまあ、あれは計算とかじゃなくて、本当に気付かなかっただけだけど。
『ともあれ。その甲斐もあって、私はミッチーと友達になれた。
『安心した。これで、自分に愛情があるかどうかを知ることができる。
『でも、友達として付き合っていく中で、私はミッチーを利用してることに自己嫌悪するようになった。
『その罪悪感を
『
『家が隣同士だったのは本当に偶然だったけど、このときばかりはその幸運に感謝した。これで罪の意識に潰されずに済む、って。
『友達のラインを超えようとしなかったのも、そんな罪悪感があったからだった。こんな自分がミッチーに近づいていいのか……そんな躊躇いがあったの。
『時折、そんな罪悪感を忘れるほど、ミッチーに近づきたい恋心が勝っちゃうときがあったんだけど……まあ、その、それはすこし置いとくとして。
『そこで、私はまた思っちゃったの。
『この恋心は、罪悪感で増幅されたものなんじゃないのか、って。
『純粋にミッチーを好きになったのか、それとも罪悪感で好きだと錯覚しているだけなのか、私には確証が持てなかった。
『ミッチーを惚れさせてみせる、なんて、勝手にやりがいを覚えたこともあった。でも、それすら罪悪感の裏返しだったのかもしれない。
『自分すら騙してばかりの私には、もうわからなかった。
『だから、タッパーっていう折衷案を取り払って、一緒に食事をすることを提案した。
『より近づくことで、恋心〝だけ〟は本物だってことを……打算的じゃないってことを、自分自身で証明しようとしたの。
『この考え方自体が、打算的っていう皮肉なんだけど。
『〝天然〟ギャル様だなんて言われてるくせに、小ざかしいよね、私。
『そんなとき。ミッチーに看病してもらった日の夜に、お父さんから電話があった。
『留守電で進路面談のことは伝えてあったんだけど、それに出られるかもしれない、っていう内容の電話だった。
『私はバカみたいに喜んだ。すべてが報われたような気すらした。
『ああ、お父さんは私を愛してくれてたんだって、心の底からうれしくなった。
『私のテンションが高かったのはそのせい。秘密にしてた〝うれしいこと〟。
『やっと、おばあちゃんに渡された来客用の布団を使える、って。
『そう。ミッチーに貸したあの布団、本当は、いつかお父さんが日本に帰ってきたときのためのものだったの。
『……でも、昨日。
『デパートの帰りにかかってきた電話で、急な仕事が入ってやっぱ進路面談には出られそうにない、って伝えられた。
『天国から地獄に突き落とされたような気分だった。
『バカみたいにはしゃいでた自分がフラッシュバックして、惨めになって……私はまた、疑念の渦に飲み込まれた。
『お父さんは、やっぱり私のことを愛していない? やっぱり私は、あの女のように愛情を注げない人間?
『――なら、ミッチーを好きになったこの気持ちも、全部……。
『そう考えていたときに、さっきの場面を……ミッチーとミオっちが抱き合ってる場面を目撃しちゃった。
『わかってるよ、誤解なのは。ミオっちは、別に好きなひとがいるからね。ミッチーに抱きついてたのは事故かなにかなんだってのは、一目見てわかった。
『わかってたけど……信じきれなかった。
『〝もしかしたら〟っていう、1%にも満たない可能性を捨てきれなかった。
『だから、私は逃げた。
『もう、なにもかも全部、捨てたくなった。
『そうして。がむしゃらに逃げてる最中に、私は決めたの。
『ミッチーとは、他人同士に戻ろう。
『友達をやめよう、って。
『友達条約と隣人条約の破棄、だね。
『もうこれ以上、ミッチーを騙し続けることに堪え切れなかった。大好きなミッチーに隠し事をしたくなかった。
『でも、私が冷たい人間なんだとも悟られたくなかった。ひとに愛情も注げない、価値のない人間だなんて知られたら、絶対に幻滅されると思ったから。
『好きなひとに嫌われると、思ったから。
『だから――離れるの。
『ただの知り合いになって、ただの隣人になって。
『それで、私たちはゼロに戻るの。
『ゴメンね? 身勝手で。自分勝手だよね、私。
『前にミッチー、私の手が冷たいって言ったよね。
『そのときは、手が冷たくても心は暖かいってフォローしてくれたけど……ほんとはきっと、心も冷たいんだよ。
『だって、ミッチーと離れちゃうのに、騙さなくなることに安心してる自分がいるの。
『だからきっと、私がこうして泣いてるのも、全部利己的な理由からなんだ。
『ああ、ああ。ほんとにゴメンね? ミッチー。
『好き。大好き。ずっと大好き。ほんとに、ほんとに大好き。
『ほんとにほんとに……大好き。
『大好き、でした。
『友達以上になりたかった。
『その先にいきたかった。
『ミッチー。ミッチー。ミッチー。
『ずっと騙してて、ほんとにゴメンね』
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