53話 天然ギャルに嫉妬された。

「あ、キャベツが一玉80円! これ安いんじゃないですか、赤霧さん!」


「…………」


「ああ、こっちはトマトが50円! 今日は野菜の大セールだー!」


「…………」


「あ、あの、赤霧さん? そろそろ口をきいてもらえると、うれしいんですけど……」

 

 ヒグラシが悲しく鳴く、午後五時半。

 僕は赤霧さんとの約束通り、スーパーの買出しに付き合っていた。

 

 しかし。ふたりの間に会話らしい会話はなかった。

 マンションを出たときから、こうして僕が一方的に話しかけるだけ。

 赤霧さんは今朝の一場面……紺野さんが僕に、ある『お願い』をしてきた直後からずっと、こちらの呼びかけをすべて無視し続けていたのだった。

 まあ。そろそろ買出しに行きましょう、とRINEで送ったら、無言で家のインターホンを押してきたから、僕のことを嫌っているわけではなさそうだけれど。


「それとも僕、知らないうちに赤霧さんになにかしちゃいましたか?」


「……ミッチーは」

 

 僕が持つ買い物カゴにタマネギを放りながら、赤霧さんはようやく口を開いてくれた。


「肌の黒い女の子のほうが、好きなんスか……?」


「え……いや、別にそういう嗜好はないですが」


「……じゃあ、髪は長いほうが好き? 色は金髪が好きなんスか?」


「? いえ、そのひとに合った髪型であれば、それがベストなんじゃないですかね……え? すみません、これはいったいなんの質問を……」


「それじゃあ」

 

 区切って、赤霧さんはこちらを振り返り、こう問いかけてきた。


「ミオっちのお願い、どうして引き受けたんスか?」

 

 そう。

 お盆の三日間、家に泊まりに来てくれ、という紺野さんのお願いを、僕は引き受けた。

 断る理由がなかったからだ。

 それに。お盆は地元に帰らずこちらにいることにしたけれど、別段なにかやることがあるわけでもなかった。

 そして、いまや大切な友人のひとりである紺野さんの願いとあれば、できる限り応えてあげたい。

 紺野さんの必死の懇願に、僕がうなずきで返答するのも、無理からぬことだった。


「なんで自分の家に泊まってほしいのか、どうしてお盆の三日間なのか……そこら辺の説明も、ミオっちは一切してなかったんスよ?」


「まあ、そこはたしかに気になりますけど……」

 

 今朝。僕が了承したことを確認すると、紺野さんはお願いの内容を明かしもせずに、またも全速力で自宅に踵を返していた。

 マンション前に現れたときもかなり焦っていた様子だったが、もっとも肝心な説明を忘れてしまうほど、紺野さんの精神面は逼迫ひっぱくしていたようだ。


「でも、お盆は僕も暇ですし。理由はわかりませんが、僕が泊まることで紺野さんが助かるというのなら、それはそれでいいのかなー、っと」


「……別に、私だってミオっちを助けたくないわけじゃないんスよ? 大事な親友っスから、いつでも力を貸してあげたいっス――でも、だから、私が一番引っかかってるのは、そこじゃなくて……」


「? そこじゃなくて?」


「わ、私というものがありながら、なんでそんな簡単に引き受けちゃうの、って……」

 

 尻すぼみに声量を弱め、恥ずかしそうに顔をそらしてしまう赤霧さん。

 ……ああ、なるほど。

 赤霧さんは、僕がほかの女の子の家に泊まることに嫉妬しているのか。


(……やばい、すごいニヤニヤする)

 

 今朝の僕と同じその感情に、思わず口端が緩んでしまう。バカにしているわけではない。

 怒られるかもしれないけれど、嫉妬してくれたことが素直にうれしいのだ。

 が。こんな表情を見せたらもっと怒られそうなので、冷静を保つために咳払いをひとつ。

 チラチラとこちらを見てくる赤霧さんの隣に並び、僕はつとめて平常心でこう答えた。


「大丈夫ですよ、赤霧さん。僕は赤霧さん一筋なので」


「ひ、ひとす……えぇッ!?」


「あ」

 

 しまった。

 ほかの女性にはなびかないので安心してください、というむねを伝えようとしたら、思いっきりド直球の単語が口を突いて出てきてしまった。

 赤霧さん一筋って、完全に恋人同士での台詞じゃないか!


「い、いまのはなし! そうじゃなくて、僕はほかの女性には――」


「――もう一回、もう一回言ってほしいっス!」

 

 いままでのどこか落ち込んだ気分を吹き飛ばして、赤霧さんが僕の左腕に抱きついてきた。

 うわまぶしい! ものすごい目がキラキラしている! 期待の眼差しってやつだ!

 というか、ここ公衆の面前ッ!!


「だれ? だれ一筋って言ったんスか? ミッチー!」


「~~ッ、か、買い物! 買い物を再開しましょう! 僕の作り置きがなくなった分、ルリカの食事を豪華にしてあげませんと! ルリカも地元には帰らず、自宅で原稿をがんばるそうですから、なにか元気のつくものを……」


「んなー!! もう、ミッチーのイジワル! もう一回だけでいいっスからー! ほらほら、次はこれの前でしっかり言ってほしいっス!」


「スマホの録音機能を駆使するんじゃありません! もう絶対に言わないですよ!」


「なんでっスかー! 一回も二回も変わんないっスよー!」

 

 なんて。

 傍から見ればバカップルのようにじゃれ合いながら店内を進んでいると、ホットプレートを乗せた台を運ぶ、見慣れた五十台のおばさんが通りがかった。

 以前、ウィンナーの試食販売をしていた、あのあばさんだ。


「……ふっ」


 おばさんは、じゃれ合う僕と赤霧さんを見やったのち『末永くお幸せにな……』とでも言わんばかりのハードボイルドな笑みを浮かべて、バックヤードに消えていった。

 いや、ふっ、じゃないが。

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