18話 天然ギャルと手を繋いでいるところを見られた。

 時間は流れ、三時間目の休み時間。

 四時間目の移動教室に備え、クラスメイトたちが三々五々教室を出ていく中。隣席で教科書を用意していた赤霧さんが、「あ」となにか思い出したように話しかけてきた。


「そういえば、ミッチー」


「どうしました?」


「昨日借りた『ロードアビス』、ちょっとだけ見たっスよー」


「本当ですかッ!?」

 

 準備していた教科書から手を離し、ガタッ、と机を揺らしながら赤霧さんを振り向く。


「それで、どうでしたか? 面白かったでしょうッ!?」


「なんかミッチーに負けたみたいで悔しいっスけど……うん、予想以上に面白かったっス」


「ッ……ああ、よかった!」

 

 心の底から安堵する。

 初心者でも受け入れやすいアニメ、という条件で選んだ作品だったけれど、それはあくまでアニメオタクの僕の主観でしかない。

 実際には赤霧さんの肌に合わないのではないかと、それだけが心配だったのだ。


「気に入ってもらえたようでなによりです。それでそれで? いったい何話まで視聴したんです? もしかして一期の25話全部ですか? まさか、二期まで突入しちゃったとか!?」


「み、ミッチー、ちょっと落ち着いて……か、顔が近いっス」


「え? あ、ああ、すみません……つい」

 

 話に熱中して、知らず接近してしまっていたようだ。僕は慌てて体勢を戻す。

 すると。赤霧さんはすこし赤らんだ顔をぺちぺち、と叩き、あらためて口火を切った。

 ……なんで顔が赤くなってたんだろう?


「ミッチーの期待に応えられなくて残念っスけど、まだ一期の6話までしか見てないっスよ。なんか猫が仮面を持っていっちゃう話。これ以上見続けたら止まらなくなるなー、と思って、キリがよさそうなその話で見るのやめたんスよね」


「6話ですか。なるほど、正しい判断ですね」


「た、正しい判断とかあるんスか? アニメの視聴に」


「もちろんですよ」

 

 断言して、僕は口早に続ける。


「『ロードアビス』一期の6話は、最高の日常回なんです。というのも、それまでの1話から5話までの怒涛の展開で、視聴者はすこし疲れ始めるんですよ。こんな忙しい展開がこれからも続くのかと、ややもすればウンザリし始めているんです」


「ふむ……たしかに、それは見ててすこし思ったかもっスね」


「そんなとき、絶妙なタイミングで投入されたのが、あの6話。いままでの展開とは打って変わった、コミカルな日常回なんですよ。あの6話が挟まることで、視聴者のスタンスが一気にやわらぐんです。ああ、このアニメは肩肘張って見なくてもいい、気楽なアニメなんだと」


「緩急をつけてきたんスね」


「そうなんです。言わば『息継ぎ』と呼べるあの日常回が、視聴者の好奇心を疲弊させることなく緩めて、その先へといざなってくれる――ゆえに、あの6話は最高の日常回なんです。そこで視聴をやめたのは、だから正しい判断だったんですよ。それ以上見続けていたら、本当に朝陽を拝んでいたところでしょうから」


「なるほどなあ。アニメもアニメで、構成やらなんやらでなかなかに奥が深いんスね……てか、ふひひ」

 

 と。

 唐突に、赤霧さんが肩をすくめて笑い出した。

 ……僕、なにかおかしなことでも言っただろうか?

 理由がわからず首をかしげていると、「ああ、いやね?」と赤霧さんは口を開いた。


「ミッチーって、本当にアニメが好きなんだなあ、と思って」


「それは、まあ……アニメは僕の人生の支えですから」


「ヒマラヤぐらい大きく出たっスねー。でも、いいと思うっスよ、そういうの。むしろ私は、そういう一途な情熱を持った人が……」


「? 持った人が?」

 

 不自然な話の区切り方に思わず問いただすと、赤霧さんはついと視線を逃がしたのち、力を抜くような笑みを浮かべてこう応えた。


「……ふひひ、まだ教えなーい」


「理不尽なイジワルをされた……じゃあ、教えられるときになったら教えてくださいね」


「うん、教える。絶対に教える。だから、待っててくれるっスか?」


「ええ。それは、もちろん」


「ふひひ、ありがと――ほら、行こ?」

 

 はにかみながらそう言って、赤霧さんは僕に手を差し伸べてきた。

 時刻はすでに、四時間目が始まる二分前。

 辺りを見ると、教室にはもう誰も残っていない。

 赤霧さんの有名度を考えると、本来ならこうしたささいな接触も自重すべきなのだろうが、まあ、クラスメイトがいないのならいいだろう。

 僕は恐る恐る赤霧さんの手を取り、椅子から立ち上がった。

 すると。繋いだ手をそのまま胸元にまで持ち上げて、赤霧さんは言う。


「ミッチー、相変わらずぽかぽかっスね」


「赤霧さんが冷たいんですよ」


「ひどーい。なんか、私の心が冷たいみたいな言い方っスねー」


「い、いや、そこまでは言ってないですって! むしろ、一説によると体温が高い人間のほうが心が冷たいと謂われているそうですから、手が冷たい人のほうが心が暖かいというか、なんというか……!」


「ふひひ、嘘っスよ嘘。わざと拗ねただけ。全然気にしてないっスよー」


「な、なんだ……もう、からかわないでくださいよ」


「ふへへ、からかってやったぜー」

 

 でも、フォローしてくれてありがとー、と。

 うれしそうに笑いながら、赤霧さんがそっと手を離そうとした。

 

 そのときだった。


「――へー、随分と仲良しじゃねえか、おふたりさん」

 

 教室後方の扉付近、赤霧さんの背後から、芯の通った美声が届いた。

 驚きに振り返ると、そこにいたのは肌黒金髪のギャル。

 赤霧さんの友人、紺野こんのミオが立っていた。

 赤霧さんほどではないが、彼女もこのクラスでは目立つほうなので、僕でも名前だけはかろうじて覚えていた。


「ナコの姿が見えねえから探しにきてみれば……キシシ。誰もいねえ教室で黒田っちと手なんか繋いじまってよー。かー、妬けるねー」


「え……あ、いや、ちがうんです!」


「そ、そう! ちがうんスよこれは!」

 

 パッ、と大慌てで互いの手を離し、紺野さんに向き直る僕と赤霧さん。

 

 一度は面白そうな人間だ、と興味を持たれたこともあるけれど、クラスでの僕の立ち位置は依然として『地味な男子生徒』のままだ。

 まかり間違っても、校内一の有名人と手を繋ぐような仲になってはいけない。

 目立った行動は避けるように、と赤霧さんに釘を刺していた当の僕自身が、不覚にもこんな場面を目撃させてしまうとは。


(赤霧さんの友達だから、決して悪い人ではないんだろうけれど……)

 

 それでも、なにかよからぬ噂を流されてしまわないだろうか、と危惧する僕をよそに、赤霧さんが狼狽気味に弁明を始めた。


「あ、あのっスね? ミオっち。いまのはミッ――黒田くんを立たせようとしてあげただけで、別に変な意味はないんスよ! ミオっちならわかってくれるっスよね?」


「えー? それにしては、なんか見つめ合ってる時間が長かったよーな気がすっけどなあ?」


「そ、それも……あの、黒田くんの髪にゴミがついてるのを取ろうとして……」


「つーか」

 

 赤霧さんの言葉を遮って、紺野さんはこちらに歩み寄ってきた。

 正面に据えたのは、赤霧さんではない。

 僕だった。


「手を繋いでたとか見つめ合ってたとか、そんなんは正直どうでもいいんだよ。ウチにとって大事なのは、黒田っちの『本性』だ」


「ぼ、僕の本性?」


「黒田っち。昼休みいてっか?」


「? え、ええ、まあ……空いてはいます、けど?」


「そか。ならよかった」

 

 ポン、と僕の両肩に手を乗せて、紺野さんは不気味な笑顔を湛えてこう言った。


「ちょっと話がある。昼休み、この三人で――」


「――おーい、ミツカゲ! そろそろ授業という名のいくさが始まるぞ!」

 

 と。突然、紺野さんに被せるようにして、教室前方の扉が開かれた。

 現れたのは、我がオタク盟友、灰村はいむらカイトだった。

 そのまま教室に踏み込もうとしたカイトだったが、僕と赤霧さん、そして紺野さんの視線を受けて、ピタリ、とその行軍を停止させた。


「ミツ……カ、ぐふぅッ……!」

 

 直後。見えない血を吐き出し、蛇に睨まれたカエルよろしくダラダラ汗を流し始めるカイト。

 灰村カイトもまた、僕と同じ陰キャだ。

 その陰キャの血が叫んでいるのだろう。この騒動に巻き込まれるべきではないと。

 しかし。僕という盟友のこともおもんぱかってくれているのか。すぐに教室を出て行こうとはせずに、僕をどう助け出そうかと歯を食い縛り苦心してくれていた。

 

 そんな極限状態の最中。

 紺野さんがギギギ、とぎこちなく僕のほうに向き直り、先ほどの台詞をこう言い直した。

 その顔は、なぜかタコのように茹だって真っ赤になっていた。


「ひ、昼休み、話しながら一緒にメシ食うぞ……こ、ここ、この『四人』で!」


「……よ、四人?」

 

 カイトが信じられないといった表情で、教室内の人数を確認する。

 そして。自分が含まれていると察した瞬間、両頬に手をあてて声もあげずに悶絶し始めた。

 僕と赤霧さんはいまだ事態を把握できずに、無言で視線を合わせる。

 四時間目開始のチャイムが鳴ったのは、その直後のことだった。

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