19話 天然ギャルと間接キスをした。
僕こと黒田ミツカゲと赤霧ナコ、そして紺野ミオと灰村カイトは、彩色高校の食堂――その隅っこに位置する長テーブルで膝を突き合わせていた。
僕の右隣に赤霧さん、対面にカイト、右斜め前に紺野さんとなっている。
なぜか男女が隣同士になっている配置だ。
陽キャ丸出しのこの席配置を指定してきたのは、紺野さんだった。
〝ナコと黒田っちはそっちに座れ……う、ウチと灰村はこっちに座るから〟
この突発で開催された昼食会の主催者に逆らうことはできず……というか別に逆らう必要もないかと諦め、僕と赤霧さん、それにカイトは、言われるがままに席についたのだった。
いつもは賑わっている食堂も、まるでこの昼食会を予期していたかのように閑散としていた。ほかの生徒たちはわずか数名しか見られない。
僕と赤霧さんはお弁当、紺野さんとカイトは購買のパンと、テーブルの上に各々の昼食を置いたところで、紺野さんが「さ、さて」と、どこか緊張した面持ちで口火を切った。
「話ってのは、ほかでもねえ――黒田っち」
「は、はい」
「お前、ナコとはどういう関係なんだ?」
「……えっと」
隣の赤霧さんを見やると、なぜか無念とばかりに肩を落とし、うつむいてしまっていた。
紺野さんにはまだ、僕との関係を明かしていなかったのかもしれない。
……それで落ち込む理由はわからないけれど。
しかしまあ、先ほどの現場を見られては隠し通すのはむずかしいだろう。
僕は正直に打ち明けることにした。
「赤霧さんとは、友達の関係ですけど」
「友達?」
「はい。すこし前に、偶然お話する機会があったんですが、せっかく隣同士なんだからもっと仲良くしよう、ということになりまして。それで、友達になりました」
「……ふーん」
パンツを見せられた経緯を話すわけにはいかない以上、こう説明するしかないだろう。
以前、カイトに話した経緯も、
説明を聞いて、紺野さんは僕と赤霧さんとを交互に見やると、吐息まじりに椅子にもたれた。
「友達ねえ……じゃあ、黒田っちの本性は悪い奴じゃねえ、ってことか?」
「自分で言うのもなんですけど……まあ、悪いとまで言われるような人間ではないかと」
「そ、そうっスよ。ミッチーは全然、極悪非道な悪人なんかじゃないっスよ!」
極悪非道て。
しかし。そんな赤霧さんの訴えが響いたのか、紺野さんは途端にその表情を和らげた。
「そか……うん、ナコがそう言うなら、それでいいんだ。こんな場所まで連れてきて悪かったな、黒田っち」
「いえ、それは全然……でも、どうして紺野さんはこんなことを?」
「キシシ。ナコって、この学校じゃあ有名人だろ?」
苦笑しながら、思い出話を語るように紺野さんは続ける。
「発言が不思議系だから『天然ギャル様』なんて言われちまって、おまけに容姿がいいからみんなが遠巻きに指さしてきてよ。近寄ってくる野郎共も、みんな下心満載さ――だから、
「なるほど、それで僕の本性を知ろうと……」
露払い、なのだろう。
僕が赤霧さんに近寄る悪い虫であれば、率先して払ってやろうとしたわけだ。
以前カイトが、赤霧さんは男子に話しかけられるとあからさまに声のトーンが下がる、といったことを言っていた。
それはなるほど、そうした下心を持った男子を相手にしてきたからなのか。
「いいお友達ですね、赤霧さん」
そう言って隣を窺うと、赤霧さんはくすぐったそうに身をよじり、コクリ、とうなずいた。
赤霧さんもまた、紺野さんの熱い友情に感動している最中なのかもしれない。
よからぬ噂を流されるのでは、と危惧していたけれど、友達のためにここまで真剣になれる紺野さんなら、その心配もいらなそうだ。
と。これで本題は話し終えたのだろう。
気持ち良さそうに伸びをして、紺野さんは言った。
「まあでも、黒田っちがヤリ
「ヤリも……? すみません、刺突を目的とした武器のことはあまり知らないんです」
「み、ミツカゲ。
「ひぅッ!?」
見かねて訂正してくれたカイトの声に、ビクッ、と肩を跳ね上がらせる紺野さん。
カイトの突然の低音ボイスに驚いたのか。右耳を押さえたまま頬を紅潮させ、驚きに目を見開いている。
「い、いきなり喋んじゃねえよ! 灰村! び、びび、ビックリすんだろうがッ!」
「す、すまん。まさかそこまで驚かれるとは思わなんだ……というか、まだ俺の声に慣れていなかったのだな。紺野は」
カイトがそう名前を呼ぶと、紺野さんは一瞬バァ、とうれしそうに表情を明るくさせた。
が。紺野さんはすぐさま眉間にシワをよせ「んん!」と咳払いを挟むと、表情を先ほどまでの真剣なものに戻した。
カイトの『まだ』という口振りからするに、ふたりは知り合いなのだろうか?
「な、慣れるわけねえだろ。そんな、妙に腹に響いて、カッコよくて、脳がシビれるような声……」
「本当にすまん。俺はもう一言も喋らんから安心してくれ」
「い、いや、別にそこまではしなくてもいいけどよ……」
「では、そうだな。どうやら話も済んだようだし、俺はこの隙に食堂の味噌汁でも買ってこよう。購買のパンだけでは味気ないしな。うむ、そうしよう!」
「あ、ちょ、ちょっと――」
「では、しばしの間サラバだ!」
そう口早に言い残すと、カイトはそそくさと食堂入り口の食券売り場へ向かった。
……うまく逃げたな。
まあ。カイトは巻き込まれた側だし、逃げてもなにも問題はないのだけれど。
そんな逃走犯カイトを、紺野さんはなぜか憂いを帯びた瞳で見つめていた。
それはまるで、恋する乙女かのような切なさを内包した表情だった。
……ふむ。
紺野さんのこの反応は、もしかして……。
「紺野さんって、カイトのことが好きなんですか?」
「なッ……、え……はぁッ!?」
ガタタッ! と椅子を揺らしながら、背中にムカデでも放り込まれたかのようなオーバーリアクションと共に、動揺の眼差しを向けてくる紺野さん。
図星のようである。
「そ、そそ、そんなわけねえだろうがッ!! ウチが、あ、あんなダサい黒縁眼鏡した幼馴染みのこと、す、すすす、好きになるわけ……!」
「あ、幼馴染みだったんですね」
先ほどの知り合いのような口振りはそのせいか。
「幼馴染みってことは、子どもの頃からの付き合いなんですよね? もしかして、その頃から好きだったとか?」
「いッ……な、はあぁッ!?」
「この高校に入学したのも、カイトのことを追っかけてきたから?」
「ち、ちがっ、ウチは別に、そんな……!」
「だけど、それならなんでカイトは紺野さんのことを『紺野』って苗字呼びしてるんだろ? 幼馴染みなら、下の名前で呼びそうなものだけど」
「…………ち、中学が、ちがったんだよ」
僕の言及に耐え切れなくなったのか。
これ以上ないほど真っ赤に染まった顔を伏せながら、紺野さんは
「し、小学校までは同じ学校だったけど、中学でウチが私立に進学したせいで
「幼少期のあるあるですね」
「そんなとき、お母さんにお中元を渡して来いって頼まれて灰村の家に行くことになった。中学三年のときのことだ。灰村はいなかったから、灰村のお母さんとすこしお喋りして……その中で、灰村がこの彩色高校に進学することを知った。それと、中学でアニメオタクになって、いまはお姉さまもののアニメにハマってるってことも」
「お姉さまもののアニメ……って、まさか」
「『おねがい★
「……なるほど」
紺野さんの容姿を確認して、僕は胸中でうなずく。
『おねがい★宇宙教師』は十五年以上前に放送されたアニメだ。宇宙からやってきた肌黒金髪のド派手な女教師が、田舎の生徒たちと甘酸っぱい日常を過ごすというラブコメアニメである。
そう。
いまの紺野さんと同じ、肌黒金髪の女教師が主人公なのだ。
(カイトのためにイメチェンしたのか……)
好きな人の理想に近づくために。
テーブルの席を隣同士に配置したのも、そんな乙女心ゆえだったのか。
その純朴な甲斐甲斐しさに感激すらしていると、紺野さんは自身の金髪をイジりつつ。
「でまあ、『たまたま』灰村と同じ高校に入学して、同じクラスにもなれたけど……やっぱ、前みてえには接してくれなくてさ。どころか、ウチのことを避けてるようにも見えるし」
「それはたぶん、紺野さんの変わりように慣れていないだけなんじゃないでしょうか? カイトも僕と同じく根っからの陰キャですから、紺野さんのような見た目からして陽キャな人には、無意識にシールドを張る癖ができているんですよ」
「じゃあ、いずれは灰村も、ウチの見た目に慣れてくれる……?」
「慣れますよきっと。事実、連れて来る前は拒絶反応で吐血すらしてたのに、さっきはすこし話せてたじゃないですか。すでに、カイトが紺野さんに慣れてきている証拠ですよ」
「……そか、アイツ慣れてきてんのか、ウチに。キシシ、そかそか」
たしかめるようにうなずきながら、購買のパンを開け始める紺野さん。
きっとうれしいのだろう。その身体はリズミカルに左右に揺れていた。
「つか、黒田っちってこういう恋愛話とかできんだな。ウチの好意とか見抜いたりさ。なんか意外だったわ」
カイトを好きだというのは、もう隠す気はないらしい。
上機嫌に問いかけてくる紺野さんに、僕は弁当箱の包みをほどきながら答える。
そのとき。隣で赤霧さんが小さく「あ」と、なにかに気付いたように声をもらしていた。
「紺野さんの反応が、まんまラブコメアニメのソレでしたからね。恋愛経験のない僕でも、見抜くのは
「アニメと一緒にされたのか、ウチは……いや、まあ別にいいけどよ」
「それより、問題はカイトのほうですよ。これだけわかりやすい
視界の端で、ピクリ、と赤霧さんが反応した気がした。
「鈍感というか、朴念仁というか。恋愛経験ゼロだとは言え、女心がわかってなさすぎですよ、カイトは」
「うんうん、まったくだ! もっと言ってくれ、黒田っち!」
右隣で、なぜか怒気のオーラが漂い始める。
「こんなにわかりやすくアプローチしてるのに気付かないなんて、お前の目は節穴か! って感じですよ!」
「そうだそうだー!」
「『青い鳥』のお話じゃないですけど、幸せはすぐ身近にあるものなんです! だから、カイトはいますぐにでも告白し――、痛たたたッ!?」
突然。
僕の右太ももが、テーブルの下でギュウ、となにかにつねられた。
誰かなんて推察するまでもない。
赤霧さんだ。
手を離したあとも、赤霧さんはなぜか、むすっ、とした怒り顔でこちらをにらみつけていた。
まるで、お前が言うな、とでも言わんばかりの気迫を感じる。
「え……あの、えぇ……?」
「どうした? 黒田っち」
「いや、えっと……なんか、上履きに石が入ってたみたい、で……」
「? なに、上履きのまま外にでも出たん?」
「え、ええ……まあ、そんな感じです」
「――なめこの味噌汁と共に、ただいまだ!」
と。ここでようやく、カイトがテーブルに戻ってきた。
途端。時限爆弾を前にした処理班よろしく、全身をガチッ、と硬直させる紺野さん。
……これはまず、紺野さんがカイトに慣れるべきではなかろうか?
「タマネギの味噌汁と悩んだのだが、気分的にやはりこちらにしておいた! ……って、どうした? ミツカゲ。なにかを哀れむような顔をしているが……」
「いえ、なんでも?」
この調子では、カイトが紺野さんの好意に気付くのはいつになることやら。
恋愛上級者かのごとき態度でカイトを一瞥し、僕は優雅に弁当箱の蓋に手をかけた。
その瞬間。
僕は、重大な事実に気付いてしまった。
「赤霧さ――ッ、」
思わず隣を見やると、彼女は素知らぬ顔で弁当箱を開け、もぐもぐと食事を開始していた。
残り物で作ったとは言っていたが、色とりどりの食材が並んだ、おいしそうなお弁当である。
そのお弁当が――いま、僕の目の前にもうひとつある。
おそらくは、食材もまったく同じであろうお弁当が、ここに。
思えば、先ほど赤霧さんが「あ」となにかに気付いたかのような声をもらしていた。
あれは、中身が同じ弁当を見せることになる、という事実に気付いた声だったのだろう。
(ここで蓋を開けば、僕と赤霧さんの仲を勘繰られてしまう……!)
弁当を作りあう関係。
紺野さんとカイトならよからぬ噂は流さないだろうが、友達以上の関係として見られるのはまず間違いない。
それは、友達条約を結んでいる立場上、避けなければならない誤解だ。
かと言って、このまま弁当箱を開けずにやり過ごすことも困難。
(万事休す……なのに、なんで赤霧さんは平然としていられるんだ……!?)
脂汗を流す僕とは対照的に、赤霧さんは一切の動揺も見せず、黙々と弁当を食べ続けている。
ふたりの関係がバレてもかまわない、とでも言いたげな様子だ。
(クッ……なにか、なにか打開策はないか!)
穏やかな陽射しを受けながら、僕はひとり思考をフル回転させる。
結果。僕が思いついた策は。
「う、うわあー」
弁当箱についていたお箸を、テーブルの下で落とすことだった。
カランカラン、と渇いた音が響いたのち、僕はわざとらしい口調で。
「し、しまったー。お箸を落としてしまったー。ゴメン、紺野さんとカイトのほうに一本ずつ転がったみたいだから、ちょっと拾ってもらえるー?」
「まったく。なにをしているのだ、ミツカゲは……」
「おっちょこちょいだなあ、黒田っちは」
そう言って、対面から紺野さんとカイトの姿が見えなくなった、直後。
「――赤霧さん、すみませんッ!」
「え?」
弁当箱の蓋を開き、赤霧さんの使っていたお箸を借りると、高速で中身を咀嚼していった。
手づかみで食べることも考慮したが、せっかく作ってくれたお弁当をそんな失礼な形で消化したくなかった。
いや、こんな食べ方も充分に失礼ではあるのだけれど。
ともあれ。
いまはなにが入っているかなんて確認していられない。行儀の悪さも気にしてられない。
とにかく早く、証拠隠滅をしなければ!
猛獣のように弁当を喰らう僕を、赤霧さんが唖然とした表情で見ていた。そりゃそうだ。いきなり箸を奪われたら誰だってそんな顔をする。
そして。わずか数秒後。
「ほれ、取ったぞミツカゲ――って、なんだその顔はッ!?」
体勢を戻したカイトたちが目にしたのは、両頬をパンパンに膨らませた僕の姿だった。
僕を指をさして大笑いする紺野さん。それにつられて、カイトも大声で笑い出す。
僕の顔にばかり目がいって、空の弁当箱には注目していないようだった。
(よし、なんとかバレずに済んだみたいだな……)
喉が詰まりそうだが、なんとかミッション成功。
弁当箱を包み直しながらホッと胸をなで下ろし、チラリ、と隣を見やる。
「…………」
赤霧さんはどこか困惑した表情で、僕が返した箸の先をジっと見つめていた。
……ああ、そうか!
このままでは間接キスをすることになって……ん?
いや、ちがう。
僕が赤霧さんの箸を借りた時点で、もう間接キスは成立してしまっていたのか!
そう考えると無性に恥ずかしい……が、すでにもう後の祭り。
もう遅いけれど、せめていまからでも箸を洗いに行かせないと!
「あ、あふぁふぃいふぁ――(あ、赤霧さ――)」
パンパンの口内のまま呼びかけた、そのとき。
赤霧さんは意を決したように箸を取り、パクリ、と食事を再開したのだった。
今度は、僕が唖然とする番だった。
「ん……うん、おいひ」
そうつぶやき、箸先を口に含んだまま、頬を紅潮させる赤霧さん。
わずかに視線をこちらに向けたかと思うと、照れているような困っているような、なんとも複雑な笑みを浮かべる。
けれど、決して嫌がっているような表情には見えなかった。
僕はそれを見て、思わずゴクリ、と口内のご飯を飲み込んだ。
味は、まったくわからなかった。
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