01話 天然ギャルが友達になろうと言ってきた。

 不意打ちのような出会いだった。


「私、オタクきなんスよねー」

 

 放課後。帰りの準備をしていると、隣の席から声をかけられた。

 見ると、淡い赤髪のギャルが、にへら、とだらしなく頬を緩めて笑っている。

 彩色さいしょく高等学校に入学して一ヶ月。まだ一度も会話を交わしたことがない隣人――赤霧あかぎりナコだ。

 

 僕はふと、茜色に染まる教室内を見渡した。


(……誰も残ってない。ということは、僕に話しかけてるんだよな?)

 

 赤霧ナコ。

 我が校の有名人、通称『天然ギャル様』だ。

 

 身長は160センチ弱。耳にかかる程度の艶のある赤髪ショートに、ぷにぷにと程よい肉付きの体型。クッキリ二重の円らな瞳に、ぷるんと瑞々しい唇。肌は陶器のように白く、化粧は薄い。ギャルらしく着崩した制服とは裏腹に、西洋人形のように整った顔立ちをしている。どちらかというと美人系の顔だ。

 

 そんな見た目なものだから、赤霧ナコはよくモテる。

 移動教室などで廊下を歩いている際、彼女とすれ違った男子生徒たちが見惚れて足を止めるほどだ。

 隣の席から観察する限り、交友関係も広いらしい。

 

 ただ。赤霧ナコはどれだけ親しい相手にも『~っス』という、どこか他人行儀な口調を崩さない。それは幼少期からの癖か、意図的なキャラ付けか……なんにせよ、彼女なりのポリシーめいたものがあるようだった。

 

 対して。

 僕こと黒田くろだミツカゲは、身長150センチの矮躯に、高校一年生にして小学生に間違われる童顔。目元が隠れるほどのボサボサ黒髪に、丈の合っていない制服。見た目がこれほど残念だというのに、内面までも重度のアニメオタクときたものだ。

 

 陽キャと陰キャ。

 リア充とオタク。

 まさに住む世界がちがう。


(僕に話しかけてくるだなんて、噂通りの変わり者なんだな……それとも単なる暇つぶし?)

 

 どちらであれ、目が合っているこの状況で無視するわけにもいかない。


「オタク好きですか。それは珍しいですね」

 

 帰宅準備を続けながらそう応えると、赤霧さんは「ふひひ」と嬉しそうに笑った。

 この独特な笑い方も、赤霧ナコの個性を際立たせている代名詞のひとつである。


「珍しいっスかね? まあ、正確にはオタクさんの『気質』が好きって感じなんスけど」


「気質?」


「オタクさんって、ジャンルはなんであれ、ひとつのものにすごい情熱を注いで、それを長く愛していくじゃないっスか。それってマジすごいことだなーって思うんスよね。ひとつのことに熱中できる人って、私にとってはもうそれだけで無条件でリスペクトしたい存在なんスよ」


「なるほど。そういう意味での気質でしたか」


「ってなわけで、私と友達になりましょー?」


「なるほど。意味がわかりません」

 

 天然ギャル様というあだ名は、赤霧さんが突拍子もない、どこか抜けている発言をするからつけられたものだ、と聞いたことがある。

 なるほど、その片鱗を味わった気がした。


「だーかーらー」


 笑みを浮かべたまま、ガタガタ、と椅子ごと近づいてくる赤霧さん。

 夕暮れに茶色の髪が踊り、豊満な胸元がたわわに揺れる。

 ふわっ、と香るシャンプーの良い匂いが、僕の鼻腔をくすぐった。


「私はオタクさんをリスペクトしてる。んで、ミッチーはそのオタクさん。なので、これを機に友達になりましょー、って話っスよ。袖振り合うも、ってやつっス」


「……、……」


「てか、ミッチー前髪ちょっと長くないっスか? ちゃんと切らないと視力が悪くなっちゃうっスよー。あ、おでこにニキビ発見」


「ん、んん……!」

 

 わざと咳払いをしながら、赤霧さんから遠ざかるようにして、わずかに身体をそらせる。

 女性に対する免疫がなさすぎて、突然の急接近に驚いたわけではない。

 うん、そう。別に驚いたわけではないのだ。


「? 風邪っスか?」


「いえ、大丈夫です」

 

 平静を装いつつも、僕は学生鞄のチャックを閉め、赤霧さんに向き直った。


「ひとつずつ整理していきましょうか。まず、その『ミッチー』というのは?」


「黒田『ミツカゲ』だから、ミッチー。かわいいあだ名だと思うんスけど」


「…………」


「ミッチー。ミッチー。ミッチー」


「何度も呼んで定着させようとしないでください」

 

 かわいいかどうかはさておき、こんな僕の名前を覚えているだなんて。

 赤霧ナコ、ますます変わり者のようだ。


「では、ほぼ初対面にもかかわらず、僕をオタクと決めつけているのは?」


「一週間ぐらい前にミッチー、えっちな女の子の挿絵が載ってる小説を読んでたっスよね? 休み時間に。横目に偶然見かけただけなんで、タイトルしかわかんなかったっスけど……あれ、オタクの人がよく読む『ラノベ』ってやつでしょ? 肌面積が90%超えてそうな超エチエチな挿絵だったっスよ。ひゅー、男の子っスねー。ミッチー」


「……見られてたのか」

 

 周りに気をつけてたつもりだったのに。


 ちなみに。一週間前でエッチな挿絵というと、『僕がパンツになっても彼女は喜んでくれるだろうか?』という題名のライトノベルだろう。

 ひどいタイトルだけれど、頭を空っぽにして楽しめる良質なラブコメである。

 今夏にアニメ化される作品だから予習しておこう、と学校に持って来たのが仇となった。

 僕が赤髪ギャルの生態を隣の席から観察していたように、彼女もまた、僕の生態を観察していたわけだ。


「素晴らしい観察眼です……しかし、残念ですね。赤霧さん」

 

 不敵な笑みをたたえつつ、ゆらり、とその場で腰を上げる僕。


「その目撃情報だけで、僕をオタクと断定することはできませんよ。なぜなら、最近はラノベも一般向けのものが増え、ラノベを読む一般人層が増加傾向にあるからですッ!」


「へえ、そうなんスねー」


「そうなんです! つまり、僕にはまだ『ラノベ好きの一般人』という可能性が残されている。オタクと断ずることはできないはずだ!」

 

 昨今では、いわゆる『セカイ系』と呼ばれるジャンルのラノベや、『難病物』に分類されるラノベがいくつも実写映画化を遂げている。一般のラノベ購読者も多く存在することだろう。

 そうしたデータを元に、ミステリー作家『東頭改革とうとうかいかく』の登場人物よろしく見事な推理を叩きつけてやると、赤霧さんは素朴な瞳で僕を見つめたまま、こう問うた。


「じゃあ、ミッチーはラノベ好きの一般人なんスか?」


「……ラノベ好きのオタクです」

 

 自分のさがに嘘はつけなかった。

 自分の衝動に――気持ちに嘘をつけないから、僕はオタクになったのだ。

 というか。肌面積90%超えのキャラが出てくるラノベを読んでいて、オタクではない、と言い張るのは、さすがに無理があった。


 しゅん、と肩を落として座る僕を前に、赤霧さんは「ふひひ」と口元を抑えて笑い始めた。


「なんですか?」


「いや、ゴメンなさいっス。意気揚々と喋ってたのに急に落ち込むから、つい……ふひひ」

 

 肩を震わせて、笑い声を押し殺そうとする赤霧さん。

 ふと。そんな楽しそうな彼女を見て。


(……かわいい)


 と、素直に思ってしまった。

 三次元に見惚れるなんて、二次元を愛する使者として、あるまじき感情ではあるのだけれど。


「実はね?」

 

 笑いが引いてきた頃。赤霧さんは目尻の涙を拭いながら、話を移した。


「そのラノベを目にしてからここ数日、ミッチーに話しかける機会をずっと窺ってたんスよ。どうやって話しかけようかな、どんな話題を振ろうかなって。ふひひ。ストーカーみたいで、ちょいキモいかもっスけど――でも、隣同士なのに疎遠だなんて、やっぱさみしいっスからね。すこし強引になってでも友達になっておきたかったんスよ」


「そうだったんですか……赤霧さんの意図を汲み取れず、申し訳ありません」


「あ、またっス」


「? なにがです?」


「ミッチー。私の名前、覚えててくれたんスね」


「え」


「さっきもいまも、私のこと『赤霧さん』って」


「それは、隣の席なので一応、名前くらいは……それを言うなら、赤霧さんだって」

 

 一部アイドル扱いしている男子生徒もいるほどの有名人なのだ。

 彼女のような変わり者でなくとも、嫌でも名前は覚えてしまう。


「ふひひ。うれしい」

 

 つぶやき、気恥ずかしそうに両脚を揺らしながら、赤霧さんはそっとうつむいた。

 その両頬は、わずかに朱色に染まっている。

 僕もなんだか恥ずかしくなって、わざとらしく顔をそらした。


 なんだ、このピンク色の空間。

 いや、教室は夕陽でオレンジ色なんだけれども。


 仕切り直しの咳払いをひとつ。僕はあらためて話を本題に戻した。


「まあ、きっかけや目的はどうあれ、僕と友達になりたいという要望は承りました」


「じゃあ!」


「ですが、赤霧さんご本人はオタクではないみたいですし、友達になるのはむずかしいと思います。歩み寄ろうとしてくれるお気持ちは嬉しいんですけど……なれて、こうして雑談する程度の『知り合い』が関の山かと。趣味嗜好の合わない人間と友達になれるほど、僕は器用ではありませんので」


「……むー」


 にべもない僕の返答に、赤霧さんはねたように両頬を膨らませる。

 クソ。半目でジトー、と睨みつけてくる表情もかわいい。


「……趣味嗜好の合わない人間とは、友達になれない」


「そうです」


「じゃあ、私がミッチーと同じオタクさんになったら、友達になれるってことっスか?」


「? まあ、理屈としてはそういうことです」


「わかったっス。その言葉、覚えとくっスよ。私、記憶力はいいほうなんスから!」


 いいっスね! と釘を刺したのち、席を立って小走りで教室を後にする赤霧さん。


「……記憶力?」


 教室に残された僕はひとり「?」と首をかしげたのち、遠くから聴こえてくる運動部の喧騒をBGMに、遅めの帰宅を始めたのだった。


 


 これが、僕と彼女の初めての出会い。

 彩色高校に入学して一ヶ月が経った、ある五月中旬の一場面。

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