07話 天然ギャルが手を握ってきた。

「それではお先に失礼するぞ! ミツカゲ!」


「うん、また明日――あ、待ってください。カイト」


「ん、どうした?」


「昨夜『僕パン』のアニメPV第二弾が公式チャンネルであがったので、帰ったら必ずチェックしておいてください。あれは来期のダークホースなので、僕の友であれば見てもらわないと困ります」


「ああ、わかったわかった! まったく、アニメのこととなると余念がないな!」


「アニメは僕の人生の支えですから」


「ナハハ、随分と大きく出たものだ! それではまたな!」


 ヒラヒラ、と片手を振って、教室を出て行くカイト。

 その背中を見送ったのち、僕は席に座り直し、机の上の難関とにらめっこを始める。


 茜日が差し込み出した放課後。

 本日の日直である僕は、日誌の記入作業をしていた。

 授業に関する事項や欠席者などの有無はいいとして、問題は最後の『本日の感想』だ。

 こうした答えのない問題が一番苦手だ。中学の頃もこれに悩まされた。

 カイトなんかは「適当に書けばよかろうなのだ!」なんて笑ってみせるけれど、変に真面目な僕にはそれができず、いつもこうして放課後の遅くまで居残るハメになるのだ。

 気付けば今日も、教室には僕ひとりしか残っていない。


「適当に、本日の感想か……」


 ギシ、と背もたれに寄りかかり、今日一日あったことを思い返す。

 やはり一番大きな出来事は、天然ギャル様こと赤霧ナコと友達になったこと、だろうか?

 正直、まだ友達らしいことをひとつも共有していないので、彼女と友達になった実感はないのだけれど。

 しかし、会話のなかった隣人と仲良くなれたのは、素直に嬉しい出来事だ。

 

 ただ。赤霧さんには、他愛ない会話ぐらいならいいけれど、今朝の呼び出しのような目立った行動は避けてほしい、と釘を刺しておいた。

 単なる友達だが、異性同士というだけで変に勘繰る輩は一定数いるものなのだ。 なにより、赤霧ナコは校内で有名人すぎる。警戒して過ぎるということはないだろう。


 ちなみに。

 パンツを見せられた経緯などは話していないけれど、カイトにだけは、赤霧さんと友達になった事実を伝えてあった。

 呼び出される場面を目撃された以上、隠し通すよりも明かしてしまったほうが面倒事は減るだろうと、そう思ったのだ。

 まあ。その事実だけで、カイトは目ん玉が飛び出るぐらい驚いていたけれど。


〝――住んでいる世界を見誤らないようにな――〟

 

 とは、そんなカイトからの忠告。

 言われなくてもわかっている。

 僕と赤霧さんは、ただの友達でしかない。それ以上でも以下でもないのだ。


 閑話休題。


「……でも、日誌に書くには個人的な感想すぎるかな」

 

 隣の席の赤霧さんとお友達になりました。うれしかったです。

 ……却下だ却下。小学生の日誌ではないのだから。


「んん、感想、感想……」


「随分と悩んでるっスねー」


「いやっふぅ!?」

 

 不意に声をかけられ、某配管工のヒゲ親父のような声を出してしまう僕。

 見ると、赤霧ナコが机の傍にまで近づいてきていた。

 日誌だけを見つめていたので、彼女の接近に気付けなかった。


「あ、赤霧さん? 先ほど帰ったはずでは?」


「そうなんスけど、途中で机の中にスマホ忘れたことに気付いて。ちょっと取りに来たんスよ。まさかそんなに驚かれるとは思ってなかったっスけど……日誌っスか?」


 机の中に手を突っ込み、おそらくはスマホを回収したのち、赤霧さんがこちらの日誌を覗きこんできた。

 互いの髪が触れそうになるほどの急接近に、昨日同様、僕は思わず身体をそらせる。

 相変わらず距離感が近い人だ。僕が男であることを忘れているのだろうか?

 いや、まあ。

 カイトに言った通り、僕は別に彼女に惚れているわけではないので、距離感が近くても問題はないのだけれど。


「なんだ、あとは感想だけじゃないっスか」


「それが一番の難関なんです。こういった自由度の高すぎる設問は苦手でして」


「自由度って……じゃあ代わりに書いてあげるっスよー。ちょっと貸して?」


 そう言うので僕がペンを渡そうとすると、赤霧さんはすこし立ち位置を変えて、あろうことか、背後から僕の右手を覆い包むようにして握ってきたのだった。


「なッ……なあッ!?」


「ふひひ。ちゃんと握っててね?」


 悪戯っ子のような笑みを浮かべつつ、僕の右手ごと動かしてペンを走らせる赤霧さん。

 僕の手から生み出されたとは思えない、かわいらしい丸文字が感想欄に記入されていく。

 けれど。このときの僕はそれどころではなかった。

 右手の甲に伝わる生々しい体温と、背中にすこし当たっているふたつの柔らかな感触。

 なにより、真横に迫った彼女の横顔が、僕の心臓をうるさいほどに暴れさせていたからだ。


「ミッチー、意外と体温高いんスね。ぽかぽかっス」


「あ、ああ、あの……!」


「なんスかー?」


「こ、これは、友達としては、あるまじき距離感なのではないでしょうかッ!?」


「えー? 別にこのぐらい普通っスよー」


「ふ、普通? これが?」


「ミッチーは、二人羽織ににんばおりしている人たちを見て、恋人同士だなーって思うんスか? 友達同士でも、学芸会かなんかで二人羽織ぐらいはするでしょ?」


「言われてみれば、たしかに……」

 

 二人羽織をしている人たちを見る機会が、そもそも少ないけれど。

 つまりこれは、二人羽織の右手バージョン、みたいなことなのだろうか?


「では、この接触も普通のこと?」


「そうそう。ミッチーもようやく『友達』の常識に気付いたっスね」


「これが、友達……」


「ささ、できたっスよー」


 そう言って、熱いものにでも触れたかのようにパッ、と右手の二人羽織を解除する赤霧さん。

 ……僕の手を握るのが嫌だったのかな?

 いやでも、自分から握ってきたよね?

 赤霧さんのそんな反応をすこし訝しみながらも、僕は本日の感想を確認する。

 そこには、こう記載されていた。


『赤霧さんのパンツを見ました。ついでに太ももも触りました。うれしかったです』


「なッ……あ、赤霧さん!!」


「わあ、ミッチーが怒った! でも事実じゃないっスかー!」


「それは……ぐぬぬ、たしかにそうですけども!」


「ふひひ! せいぜい、私のパンツを思い出しながら葛藤するといいっスよ! あ、その感想は消しといてほしいっス! さすがの私も恥ずかしいんで!」


「なら書かないでくださいよ!」


 僕の突っ込みもよそに、赤霧さんは子供のようにケラケラと笑ったのち「また明日っス!」とそそくさと教室を後にする。

 残った僕はひとりため息をもらし、急いで感想欄に消しゴムをかけた。

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