第三章 友達ですよね?

24話 天然ギャルが耳元でささやいてきた。

 六月になった。

 梅雨が訪れ始めたこの頃に、彩色高校もようやく衣替えを迎え、生徒たちの装いも涼やかなYシャツへと変化していった。

 学ランを脱いだこの軽装。涼しいのはいいけれど、僕個人としてはあまり好きではない。

 僕は小食ゆえに身体が細いので、シャツ一枚だけだとどうしても貧相に見えてしまうのだ。

 若干コンプレックスと言ってもいい。


(赤霧さんぐらい、たくさん食べられたらなあ……)

 

 なんてことを考えながら登校し、1-Bの教室に入る。

 今日はいつもより早くに目が覚めてしまったので、おそらくは僕が一番乗りだろう。

 ……と思っていたのだが。


「んあー、ミッチーおはようっスー」

 

 意外や意外。そこにはなんと、ゲル状になった赤霧さんが先に登校していた。

 ゲル状というのはもちろん比喩だが、そう思えるぐらい、赤霧さんは机に突っ伏してだらん、と怠けきっていたのだった。


「おはようございます。珍しいですね、こんな朝早く登校してるだなんて」

 

 隣人条約を結び、食事提供を受ける関係になってもう半月が経つけれど、僕たちは面白いくらい、登校時と帰宅時に鉢合わせることがなかった。

 きっと、生まれ持った生活リズムが食い違っているのだろう。

 引っ越してきた当初、同じマンション内でエンカウントしないわけである。


「今日はひょうが降りそうですね」

 

 机に学生鞄をさげながら皮肉って言うと、赤霧さんは机に右頬をぺったりと着けながら。


「地味にリアルな予知っスね……いやあ、最近ジメジメしてきたじゃないっスかー」


「そうですね。梅雨ですし」


「それに伴って、気温もあがってきたじゃないっスかー」


「ですね。夏も近いですし」


「そうなるともう、夜ものすごい寝苦しいんスよー。もう全然眠れなくって」


「あー、なるほど。そういうことでしたか」


「なによりこの季節って、中途半端じゃないっスか。春用の布団だと暑いし、かと言って夏用のタオルケットだと寒いし……特に私はこの肉襦袢にくじゅばんが脱げないんで、余計に寝苦しくなるんスよねー」


「肉襦袢って言葉も、今日日きょうび聞かないですけどね」

 

 今日日、という言葉もあまり聞かないけれど。


「ちなみに、昨日は何時間寝たんですか?」


「一時間っス」


「それは、かなりキテますね……いま相当眠いのでは?」


「いやあ、頭は逆に冴えてきちゃってるんスけど、身体がにぶい感じっスねー。脳だけがひとり歩きしてるイメージ」


「ほんと、無理だけはしないようにしてください……なんだったら、今日の食事提供は休んでいただいて結構ですので」

 

 開始日から今日まで、赤霧さんは一度も食事提供を欠かしていない。一日の休みもなく、だ。

 週五日だけの提供、とか、赤霧さんの休みを考慮した条約内容にしておけばよかった。現在の内容では、あまりに彼女への負担が大きい。

 が。そんな僕の心配を跳ね除けるように、赤霧さんは「いやいやー」と片手を振って。


「そこまでじゃないんで大丈夫っスよー。もし眠たくなったら、授業中にちゃんと寝るんで」


「それは果たして『ちゃんと』と言えるのか……」

 

 けれどまあ、これだけ軽口を叩けるなら大丈夫そうだ。

 僕は呆れながら、学生鞄の中から今日の授業で使うノートや筆記用具、暇つぶし用のスマホとイヤホンを取り出した。

 と。見るでもなく僕の机上を見ていた赤霧さんが、悪戯好きの猫のようにイヤホンに手を伸ばしてコロコロ、とイジりつつ。


「スマホで音楽でも聴くんスか? ミッチー」


「HRが始まるまで『ゲーム実況』を見ようかなと」


「ゲーム実況って、『IroTube』とかに上がってるやつっスよね。ランキングとかでよく見るっスよ。ほえー。ミッチー、ゲームとかにも興味あったんスねー」


「いえ、ゲーム自体にはそれほど興味はないですよ。楽しそうだな、とは思いますけどね」


「え……それじゃあ、なんで見てるんスか?」


「『声』を聴くためですね」


「声?」

 

 訝しむ赤霧さんを横目に、スマホをタップしてブックマークしていた実況動画を開く。


「先日『僕パン』の公式PVを視聴していたら、おすすめ一覧に顔出ししてない女性実況者さんの動画が出てきまして。何気なく開いてみたら、その実況者さんの声が声優さんみたいに綺麗な声をしていたんですよ。どこか聞き覚えのある感じもしたんですが――ほら、この実況者さんです」

 

 言いながら、僕はイヤホンの片方を赤霧さんに渡した。

 赤霧さんは最初「え?」と戸惑っていた様子だったが、程なくして姿勢を正し、意を決したようにイヤホンを左耳に装着した。

 僕もイヤホンを右耳につけて椅子を移動させ、赤霧さんの机の上でスマホ画面を見せる。


「いまこの人がやっているゲームは人気のFPSゲームなんですけど……どうです? 綺麗な声をしてると思いませんか?」


「そ、そうっスね」


「基本は低めなんですけど、敵が来たときなんかに出る高音がすごく通る声をしてるんですよね。きっと歌とかもうまい人なんだと思います。僕は歌が下手なので羨ましいです。声質だけは才能ですから」


「み、ミッチーは、声フェチさんなんスか?」


「だと思います。アニメを見ていると、どうしてもそうなってしまう気はしますね。声優さんたちの魅力的な声をたくさん聴くことにもなりますから」


「……じゃあ、私の声は?」


「へ?」

 

 素っ頓狂な声と共に視線を上げると、赤霧さんの顔が目と鼻の先にあった。

 その表情はなぜか赤く、円らな瞳は潤んでいる。

 なぜこんな近くに赤霧さんの顔がッ!?

 いや、僕が自分で椅子を移動させて近づいたのか!

 実況者の声を聴いてもらいたい一心で気付かなかった!

 

 動転しつつ椅子を戻そうとすると、赤霧さんがグイッ、とイヤホンのコードを引っ張り、僕の耳元でこうささやいた。


「私の声は、嫌い……?」


「ッ……き、きき、嫌いじゃない、ですよ?」


「ほんと?」


「ほ、ほんとです」


「ふひひ。私も、ミッチーのこと、大好きっスよ」


「……え?」

 

 いま、こえを『こと』って言い間違えなかった?

 眠たいから、呂律ろれつが回ってなかっただけ?

 

 問いただそうと口を開きかけた直後、いくつかの足音と共にクラスメイトたちが教室に入ってきた。気付けば、もうそんな時間になっていたらしい。

 騒がしくなっていく教室の中。僕は慌てて椅子を戻し、スマホの実況動画に集中する。

 けれど。


「ねえ、ミッチー」


「な、なんですか?」


「こんなことしてるっスけど、私たち、まだ『友達』っスかね?」


「……当然、友達ですよ」


「ふぅーん……ふひひ。いつまで保つっスかねー、


 隣から聴こえる、獲物を狙う狩人のような声に、僕の集中力は呆気なく散らされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る