61話 幼馴染に……。

 海水浴場を離れ、旅館に到着した頃には、すでに陽が傾きかけていた。

 チェックイン後。仲居さんに案内されたのは、予約していた通りの畳敷きの六人部屋。窓の外には山々の大自然が見える。これで海でも見えようものなら、夏の旅行らしくて最高だったのだけれど。

 仲居さんから、夕食は午後六時に持ってくること、浴衣やタオルはこちら、布団は夕食後に敷きにくることなどの説明を受けたのち、僕たちは一斉に荷物を下ろし、その場に座り込む。


「はぁ……つ、疲れたっスね……」


「だなあ……ウチ、このまま目閉じたら寝れるわ……」

 

 赤霧さんは机に突っ伏し、紺野さんは畳に大の字になって横たわる。

 

 皆が皆、疲労困憊といった様子だった。

 海で遊び始めたのが午前十時、終えたのが午後三時半だったので、およそ六時間近くぶっ通しで遊んでいたことになる。疲れて当然だ。

 普段家に引きこもってアニメばかり見ている僕に至っては、疲労と共に身体の節々が悲鳴をあげていた。明日は確実に筋肉痛だろう。

 

 この旅行は一泊二日の予定なのだけれど、その日程でよかったと心から思う。調子に乗って二泊以上の日程にしようものなら、僕の身体は筋肉痛でパァンって弾けちゃうだろう。うん、きっとそうにちがいなかったはずだ。


「まあでも、せっかくの旅行だし、堪能しとかねえと損か……ナコ、晩飯まで旅館の中散策しようぜー。なんかゲームコーナーみてえのもあるみてえだし」


「いいっスねー。じゃあ、ちょっと行ってみるっスかー」


「む、旅館散策とな? 俺も行きたいぞ! ジっとしていても暇だしな!」


「わーったわーった、ならカイくんも来いよ。白里と黒田っちは?」

 

 誘われるも、僕はふすまにもたれながら片手で「結構です」と断っておいた。こんなに疲れた状態では散策どころではないし、正直なところ旅館の中など実家の黒田旅館で見飽きていたのだ。

 ルリカも僕の家を見て飽きているのだろう。同じように無言で首を横に振って断っていた。


「OK。んじゃあ、ウチらはちょっくら行ってくるわー」

 

 そう言って、紺野さんは勢いよく立ち上がった。

 部屋を出る間際。赤霧さんがすこし寂しそうに僕のほうを見てきたけれど、紺野さんに背を押される形でそのままいなくなってしまった。


「元気だね、みんな」


「本当ですね……」

 

 テーブルに座るルリカのつぶやきに相槌を打ち、僕は欄間らんまに立てかけられた時計を見やる。

 現在、午後四時半。夕食まではまだ一時間以上ある。

 昼寝をしたら夜まで起きられなさそうだし、暇を潰すものも古いブラウン管テレビしかない。この時間帯では国民的アニメの『チンミョウキテレツ大千科』ぐらいしか放送してないだろう。


(まあ、懐かしいアニメもたまにはいいか……)

 

 胸中でボヤきつつ、重たい身体を引きずりながらテレビの前に向かう僕。

 と。テーブルの上のお茶請けを広げながら、不意にルリカが話しかけてきた。


「ミツカゲ。疲れてない?」


「疲れてますよ。あんなに海で遊んだんですから。ルリカはどうなんです?」


「ボクは平気。泳いだのはすこしだけで、あとは砂遊びばっかしてたから。それより心配なのはミツカゲ。疲れてるならちょっと寝たほうがいい」


「いや、そこまでではないんで大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」


「でも、人間は疲れてると免疫力が下がるって聞く。また、前みたいに風邪引いちゃうかも」


「……あの、どうかしました? ルリカ」

 

 思わず、僕はテレビから視線を外し、背後のルリカを振り返った。

 なにか変だ。赤霧さんの水着が流されたときにもそうだったけれど、ルリカが妙に僕の体調を心配してくる。

 こんなこと、小学生時代から一度もなかったのに。


「貧相な身体つきなのは自覚してますけど……僕、そんなに病弱に見えます?」


「そういう、わけじゃないけど」


「なら、どうして執拗に僕の体調を?」


「……まあ、いずれは話そうと思ってたし、別にいいか。すこし予定が早まっただけで」


「? あの、いったいなんの話を」


「ミツカゲ」

 

 区切って、ルリカは手にしたお茶請けをパクリ、と一口で食べきると、おもむろに腰をあげながらこう言った。


「すこし、お散歩しようか」

 



 

「この時間になると涼しいね」

 

 そう言って、前を歩くルリカは海に沈む夕陽を見やる。

 

 旅館を出た僕とルリカは、先ほどまで遊んでいた海水浴場に来ていた。

 時刻は午後五時前。あれほど賑やかだった砂浜には、いま僕とルリカのふたりしかいない。

 贅沢な散歩である。

 波打ち際ギリギリを歩きながら、ルリカは背中越しに続ける。


「夏は嫌いだけど、夕暮れ時の夏は好き。切ない感じとか、儚い感じがたまらなくエモい」


「わかります。ヒグラシの鳴き声とかも相まって、なんか心にクルんですよね」


「そうそう。きっとこの綺麗な光景もいつか忘れるんだろうけど、そのとき覚えたエモい感情や情景は、心に残り続ける気がする」


「さすがは小説家。表現が詩的ですね」


「ミツカゲも大概だよ?」


「ま、まあ、それも夏のイタズラのせいってことで」


「にゃはは。その逃げ方こそ詩的だけど……うん、そうだね」

 

 言いながら、ピタリ、とルリカは足を止めた。

 なにかを考え込むようにうつむいていたかと思うと、程なくしてこちらを振り返り、ルリカはこう言った。


「そんな、心に残り続ける季節だからこそ、ボクは伝えておくべきなのかもしれない……この感情を忘れないために」


「? えっと……」


「ミツカゲ」

 

 首をかしげる僕を、真っすぐな瞳が射抜く。

 それは、はじめて見る幼馴染の『本気』だった。


「ボクは、ミツカゲのことが好き――セフレとかじゃなく、ボクの恋人になってほしい」

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