62話 天然ギャルが教えてくれた。

「ボクは、ミツカゲのことが好き――セフレとかじゃなく、ボクの恋人になってほしい」

 

 潮騒の音と共に、ルリカの告白が流れ込んでくる。

 夕陽を浴びた幼馴染の横顔は、冗談などではない、真剣なソレだった。

 だからこそ、僕も真剣に想いを返した。


「ゴメンなさい。ルリカの恋人になることは、できません」


「どうして?」


「……ほかに、好きなひとがいるからです」


「そっか。フラれちゃった」

 

 呆気らかんと、まるでフラれることがわかっていたと言わんばかりの淡白さで答え、砂浜の散歩を再開するルリカ。

 僕は、すこし困惑する。

 自意識過剰かもしれないけれど、もっと悲しむと思っていたので、彼女の反応に動揺を隠せなかった。


「あの、ルリカ? いま僕、告白されたんですよね……?」


「そうだけど、もっとオーバーリアクションしたほうがよかった? ああ、フラれてショックだー! って」


「いえ、そういうわけではないんですが……」


「……前にさ」

 

 サンダルを脱ぎ、押し寄せる波に足を浸しながら、ルリカは言う。


「ミツカゲ、夏風邪引いて倒れたことあったでしょ?」


「? はい、ありましたね」


「そのときボク、ミツカゲの弱ってるところを見るのはじめてだったから、自分でもビックリするぐらい取り乱したの。もしかしたらミツカゲ、このまま死んじゃうんじゃないか、って」


「そんな大げさな……」


「意識を失くして倒れてるんだよ? 普通の風邪ではありえない症状。大げさにだってなるよ。それに、医学的に見ても風邪で死ぬことは充分に起こりえる。実例だってある。それなのに、どうして大げさだって言えちゃうの?」

 

「…………」

 

 ミステリー作家として、様々な殺害方法を調べると共に、それに付随する多くの死因ないし病死を調べてきているのだろう。

 ルリカの言葉には、有無を言わせぬ説得力があった。

 僕が反論できずに押し黙っていると、ルリカは「ゴメン」とすこし声のトーンを抑えて。


「とにかく、それぐらい心配だったの。このまま、ミツカゲがいなくなったらどうしよう、ボクの傍から離れちゃったらどうしよう、って。そう考えたら、ミツカゲを誘惑してやろうと思うエッチな気分が消えちゃった。そういう気持ちよりも、ミツカゲがいなくなる不安のほうが大きくなっちゃったの――そこで、ボクは気付いたんだ。ボクの感情が変化してることに」


「……感情が?」


「『家族』になってたの」

 

 海に溶けていく夕日を見つめながら、ルリカは困ったように続ける。


「ボクがミツカゲに抱いていたモノが、異性への恋心から、家族に抱くような愛情に変わっちゃってたんだ――好きは好きだよ? でも、その感情を仕分けしようとしたとき、ボクの頭は真っ先に『家族愛』のフォルダに収納してたんだ。どうあがいても、『恋』ではなかった」


〝――嘘だ、嘘だよ……あれ? なんで――〟

 

 夏風邪で倒れたとき。ルリカはひどく焦燥交じりに僕の顔を触っていた。

 何度もたしかめるように。

 自分の感情が、『恋』であることを証明するかのように。


「セフレになれればいいとか、身体だけが目的だとか言ってたのは嘘。ほんとは、ミツカゲを独占したかっただけ。小学生の頃から好きなんだもん。誰にも渡したくなんかないよ。子供の頃からしてたキスだってそう。さみしさを失くしたかったのは本音だけど、それも好きな気持ちを隠す建前でしかなかった。だから、転入のときの自己紹介でも『恋人になりにきた』って言ったんだよ」


「…………」


「それでもセフレにこだわってたのは、先に既成事実を作ってから恋人になろうとしてたから。鈍感なミツカゲのことだもん。どれだけ正攻法で攻めたところで、ボクを幼馴染以上に見てくれることはないってわかりきってた。だから、変人としての正攻法で、セフレになろうとした――でも、あの夏風邪で、全部引っくり返った」

 

 波にさらわれる砂浜を踏み締めながら、ルリカはどこか自嘲気味に語る。


「好きな気持ちが全部、ミツカゲへの心配に変わっちゃった。恐怖って言い換えてもいい……セフレになりたいとか恋人とか、もうそんなんどうだっていいから、とにかくミツカゲに元気でいてほしいって、ボクの頭はそんな風に考えるようになってたんだ」


「……そう、だったんですか」

 

 僕の体調を何度も気遣っていたのは、それが原因だったのか。

 僕の『攻め』に照れなくなっていたのも、僕への好意が心配に変化していたから。

 

 そんな倒れた程度で、と思わなくもないが、前述した通り、彼女は職業柄あらゆる『死』を描いている。

 きっと僕の夏風邪も、リアルな死に直結して考えてしまい、好意が恐怖不安へと転じてしまったのだろう。

 ルリカは、幼馴染がゆえに僕に好意を抱いたけれど、同時に、長年連れ添った幼馴染だからこそ、僕の身を最も案ずる存在にもなってしまっていたのだ。

 

 皮肉にしては、すこし苦味が強すぎる。


「ボク、本質的にはさみしがり屋だからさ。恋を取るか温もりを取るかで言ったら、真っ先に温もりを取るタイプなんだよね、きっと……その事実が、あの夏風邪で顕在化したみたい」


「……僕は、いなくならないですよ」


「にゃはは。うん、その言葉だけでボクは満足だよ。どんな好きよりも、その言葉がなによりうれしい――だから、フラれることをわかった上で告白したのも、大好きな幼馴染に恋してた過去の感情を、心に残しておくためだったんだ。このまま日々を過ごしていったら、ミツカゲを好きな気持ちも忘れちゃいそうだったから」


「ルリカ……」


「ありがとう、ミツカゲ。ボクをフッてくれて……いままでずっと、ボクの傍にいてくれて」

 

 そう言って、ルリカは堪えきれずに口元を押さえ、顔をそらした。

 恋人にはなれない。

 だから、いままでのように傍にいることもできない。

 そう思い、悲しんでいるのだろう。


(この幼馴染は、本当に……)

 

 呆れながら、僕はルリカに詰め寄った。

 三年の身長差をまったく気にせず、僕はルリカの瞳をしかと見上げる。


「ルリカ。どうして今生こんじょうの別れみたいな台詞を吐いてるんですか?」


「え……いや、だって、恋人にはなれないから……」


「恋人にはなれなくても、幼馴染のままではいられるでしょう? ルリカ、引っ越してきたときに言ってましたよね? 『男女同士は友達にはなれないっていう〝当然〟も、どこか懐疑的に捉えてた』って――幼馴染も、古くからの友達みたいなものです。なら、僕とルリカの関係だって、そんな下らない『当然』に左右されない関係であり続けることができるはずです。男女同士の幼馴染でも、ずっと傍にい続けられるはずです」


「そ、それは……」


「ルリカも知っての通り、僕は頑固なんです。ルリカがどれだけゆがんでいようと、この関係だけは絶対に歪ませない――だから」

 

 そっと、僕はルリカの手を握る。

 幼馴染の不安を、溶かすように。


「僕は、ルリカの傍にずっといますよ」


「……、……」


「ああ、もちろん! 恋愛的な意味ではなく幼馴染として、という意味ですよ? というか、僕だってルリカと離れ離れになるのは寂しいですか、ら――、ッ」

 

 と。不意に。

 目の前のルリカがすこしだけ屈んだかと思うと、ひたいにやわらかな感触が伝わってきた。

 ルリカが、おでこにキスをしてきたのだ。

 チュッ、と小さな音を鳴らして、ルリカは顔を離し、はにかむ。


「これが、ボクとミツカゲの最後のキス。あとのキスは、『あの子』に全部あげる」


「ルリカ……」


「そろそろ覚悟を決めたほうがいいよ? あの子も、ミツカゲの答えを待ってる」


「……はい。わかってます」

 

 僕も、もう待たせるつもりはない。

 ただ。ふたりきりのときにソレを伝えても意味がない。

 田中などの脅威を根絶、予防するためにも、特定の状況下を用意する必要がある。

 

 そして――僕はその『舞台』に、すでに目星をつけていた。

 

 そうした僕の意志を感じ取ったのか。ルリカは満足げにうなずくと、話は終わりとばかりに伸びをしはじめた。


「うん。いい返事。それでこそボクのミツカゲだ――よし、それじゃあ先に戻っててー」


「先に? 一緒に戻らないんですか?」


「もうすこし、陽が落ちるまではここにいさせて。こう見えて、いろいろ我慢してたんだ」

 

 そう答えるルリカの肩は、よく見ると小さく震えていた。

 感情が変貌してしまったとはいえ、ルリカが僕にフラれたという事実は変わらない――好きなひとにフラれたという事実は、変わってはくれないのだ。

 ひとり、泣きたくもなるのだろう。

 

 女性の機微を察することもできない自分の鈍感さに嫌気が差す。ルリカに無言で頭を下げると、僕は足早に砂浜を後にした。

 道路への階段を昇っている最中。ふと海岸を振り返る。

 そこでは、ルリカがうずくまり、声を押し殺して肩を震わせていた。

 

 今日明日の夏旅行のことは、いつか忘れる。

 けれど、ルリカが泣いているこの光景は、きっと心に残り続けることだろう。

 

 僕はそう、思った。

 


     □

 


「……おかえりなさいっス」

 

 薄暗くなり始めた中。ひとりで旅館に戻ると、玄関口の外に赤霧さんが立っていた。

 どうしてか、不貞腐れるように両頬をふくらませている。


「ただいまです。赤霧さん、どうして外に――」


「――ルリっちとどこ行ってたんスか?」

 

 言及しながら、赤霧さんはこちらに歩み寄り、ずいっ、と顔を近づけてくる。

 怒った顔もかわいいなあ。

 ……って、ダメだな僕。

 最近はもう、赤霧さんのすべてをかわいいと思うようになってきた。

 末期である。


「部屋に戻ったら、ミッチーとルリっちがいなくなってて。仲居さんに訊いてみたら、ふたりで外に出て行くのを見かけたっていうから、ここで待ち伏せしてたんスよ――さあ、観念して吐くっスよ! ルリっちとどこに……いや、どこまでイッちゃったんスかッ!?」


「赤霧さんが想像してるようなことはしてないですよ! ちょっと、大事な話をしてただけで……いまルリカは、そのことをひとりで考えてる最中なんです」

 

 僕の声のトーンで本当だと察したのか。

 赤霧さんは体勢を戻し、表情もすこしだけ真面目なソレに変えて。


「……大事な話って、私には話せないこと?」


「僕の口からは話せません。ですが、ルリカの中で整理がついたら、いつか話してくれると思います――とにかく、本当に変なことはしてないので、そこだけは安心してください」


「ふーん……まあ、そこまで言うなら信じるっスよ。私も、変に疑ってゴメンなさいっス」


「いえ、そんな。こちらこそ、ありがとうございます」


「ふひひ。それじゃあ、中に入ろ? みんな待ってるっスよ」

 

 そう言って、いつもと変わらぬ笑顔を向けてくる赤霧さん。

 

 ああ、コレだ。

 僕はこの笑顔に、心を奪われ続けてきたんだ。

 きっと、出会いのあの日から、ずっと。

 

 いま、あらためて自分の気持ちを再確認できた。

 赤霧さんの笑顔に、教えてもらった。


「どうしたんスか? ミッチー」


「ありがとうございます、赤霧さん。ようやく決められました」


「? うん、どういたしまして? んん?」

 

 端的に告げて、僕は赤霧さんと一緒に、旅館内に足を踏み入れる。

 一歩先に進む覚悟が、固まった瞬間だった。

 



 

 ――そうして。

 時は流れ、セミは夏と共に落ちゆく。

 夏休み明け初日。

 運命の始業式が、ついにやってきた。

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