21話 天然ギャルと妹が家に泊まることになった。

 月下に犬の遠吠えが響く、午後八時。

 突如として現れた黒髪少女、妹のミツミに命令され、僕はリビングのフローリングに正座をしていた。

 そんな僕の前で、ミツミは『人をダメにしつづけるソファ』の上にちょこん、と姿勢ただしく正座している。

 格差がひどい。

 けれどまあ、ミツミの心情を思えば当然の報いか。

 とは言え。素足がフローリングに当たって痺れてきた……ちくせう、こんなことなら座布団も買っておくべきだったな。


「あらためて、お久しぶりなのです。兄さま」


「うん、久しぶり。三ヶ月ぶりくらいかな。今年で中学三年生になったんだっけ?」


「はい。また一歩、セクシーな大人の女性に近づいたのです」


「その見た目じゃあ、セクシーにはまだ程遠いだろうけど……ところで、もう正座を解いても――」


「ダメなのです」


「目にも留まらぬ速さで拒否された……」


「わたしがなぜココに来たのか、兄さまはおわかりではないのですか?」


「それは、まあ……」

 

 問いかけてくるミツミから視線をそらし、僕はバツが悪そうに応える。


「僕が、ミツミに連絡しなかったからだろ?」


「そうなのです。『引っ越したら一週間に五回はRINEする』という『兄妹条約』を、兄さまは引越し前に結んでくれたはずなのです」


「結んだというか、結ばされたというか……あ、すみません。なんでもないです」

 

 キッ、とミツミに睨まれてしまったので、僕はそっと口をつぐむことに。

 

 その風紀委員長のような見た目はあながち間違いではなく、ミツミは実際に、地元の中学校で風紀委員長を務めている。

 生真面目で几帳面。大雑把な僕とは正反対の妹。

 そうした真面目な性格のせいか。アニメにうつつを抜かしている僕に対しては、特に厳しく接してくるのだ。

 引越しが決まる前までは、昔と変わらぬ甘えん坊だったのに……。

 ひとり思い出にふける僕をよそに、ミツミは見えない教鞭を振るい、呆れ顔で話を続ける。


「にもかかわらず、兄さまは引っ越してから一度もわたしに連絡をくれませんでした。あまつさえ、電話番号もRINEのIDまでも変えて、わたしたち家族への連絡をつ始末――だからこうして、わたしが偵察役としてさんじたのですよ。引越し先の住所は、キチンと控えておりましたから」


「偵察役て」


「本当はもっと早くに来る予定でしたが、わたしも学校での新生活が色々と立て込んでおりまして。こうして一ヶ月ほど遅れた五月になってしまったのです」


「なんか忙しいのに悪いね」


「しれっと言わないでほしいのです……悪いと思っているのなら、普通に連絡をください」


「いや、別に連絡を断ちたくて断ってたわけじゃないんだよ? 引っ越してすぐの頃、荷解きしてたらスマホを踏んじゃってさ。そこにある重いオーディオ機器とか持ってたから、僕の体重と合わさってもうバッキバキ。画面ごとスマホを踏み砕いちゃったんだよねー」


「はあ」


「で、スマホごと買い替えたから番号も一緒に変わっちゃって、連絡ができなかったんだよね。いやあ、まいったまいった」


「それなら、実家に電話して新しい番号を教えたらよかったのでは? 実家の電話番号まではさすがに忘れていないでしょう?」


「…………ああ、発想の転換だね、それは」


「順当な結論なのですよ」

 

 どこかで聞いたやり取りだ。


「まったく、兄さまはこれだから放っておけないのです……まあ正直、そんなくだらない理由だろうとは思っていたのですよ。予想以上にくだらなかったですが」


「ふふん、僕はいつも妹の上をいく男だからね」


「やかましいのですよ……本当、お母さまが心配していたのですからね? お父さまは、便たよりがないのは元気な証拠、とか言って気にしていませんでしたが」


「悪かったって。さっそくこのあとにでも連絡しておくよ」


「それがいいのです」


「で、だ」

 

 静かに正座を崩しながら、僕はミツミに訊ねる。

 言いたいことは話し終えたのだろう。ミツミが正座を指示してくるようなことはなかった。


「ミツミはこれから実家に帰るのか? もう八時すぎちゃってるけど」


「? なにを言っているのですか。泊まるに決まっているではないですか」


「……誰が、どこに?」


「わたしが、ココに」

 

 言いながら、ミツミは持参してきた旅行用バッグをポンポン、と叩いた。

 薄っすらと嫌な予感はしていたけれど、まさかその通りになるとは……!


「いや、でも学校が……」


「明日は土曜日なのですよ、兄さま。わたしの学校も、兄さまの彩色高校も休みのはずなのです。彩色高校の日程は、学校のホームページを検索して確認済みなのです」


「寝る場所が……」


「一緒のお布団で寝るのです。兄さまとわたしは小さいですから、そこにあるやわらかそうなお布団ひとつで充分なはずなのです。というか、いつの間にあんなお布団を?」


「ご飯の用意とかが……」


「わたしが用意します。そもそも、兄さまの料理スキルに期待していないのです。調理器具や調味料を無理やり買わせたのも、元々はわたしが調理するためだったのですから。兄さまに料理を任せたら、この地域一帯が消し飛びます」

 

 僕は災害かなにかかな?


「あ、あとは、えっと……」


「もう! そんなにわたしが泊まるのが嫌なのですか?」

 

 擬音にしてプンスカ、といった表情でソファから降り、四つんばいでこちらに近づいてくるミツミ。

 男子三日会わざれば、なんていうけれど、女の子の変貌ぶりもすさまじい。間近で見る三ヶ月ぶりのミツミは、驚くほど綺麗な女の子になっていた。


「名目は兄さまの偵察ですけど、ほんとは久々に会えるのを楽しみにしてたのですよ? それなのに、なんでそんな邪険にするのですかッ!?」


「い、いや、邪険にしたわけじゃ……」


「じゃあ泊まってもいいですよね? ねッ!?」


「んー、でもなあ……」


「むがー! 兄さまがイジワル魔神だー!」

 

 吹っ切れたように叫び、ミツミが僕の首元に抱きついてきた。

 あれ? さっきまで風紀委員長みたいな態度だったのに、一気に昔の甘えん坊に戻った?

 なんとかミツミを受け止めるも、足の痺れのせいで体勢が崩れ、僕は勢いそのままにドサッ、と後ろに倒れこんでしまった。

 折り重なるように倒れたあとも、ミツミは僕の上で駄々をこね続ける。


「泊まる泊まる泊まる泊まる! 絶対に泊まるのです! 誰がなんと言おうと泊まるー!」


「わ、わかった、わかったよ……泊まっていっていいから」


「ほんと!?」

 

 夜なのに太陽のような笑みを向けてくるミツミ。

 風紀委員のメンバーに見せてやりたいくらい、それは無垢で無邪気な笑顔だった。

 ああ、僕が知っている甘えん坊のミツミだ。

 先ほどまでの気丈なミツミもいいけれど、僕の中ではこちらのミツミのほうが親しみ深い。

 さておき。


「ほんと。ほんとだから、さっさとどいてくれ。ミツミ、意外と重たい」


「なッ……じ、女性に対して重たいとは何事ですかー! 天誅、天誅!」


「はいはい、やられたやられた」

 

 ポカポカ、と胸を叩いてくるミツミを力ずくで上からどかし、僕はテーブルの上のスマホに手を伸ばした。

 ミツミが来た直後ぐらいに、たしかRINEがきていたような気が……。


「あ、やっぱり来て――、ん?」

 

 新着メッセージを確認しようとした瞬間、新たな通知音が鳴り響いた。

 RINEを開きっぱなしにしていたので既読にはなっているけれど、まだ確認していないメッセージが二件あった。まずは最新のものから確認する。

 そこには短く、こう書かれていた。


『ちょっと直接、弁解させてください』

 

 ……弁解?

 そう首をかしげていると、ピンポンピンポン、と家のチャイムが忙しなく鳴らされたのち、勢いよく玄関の扉が開かれた。

 現れたのは、ひどく狼狽気味な赤霧さんだった。


「ご、ゴメンねミッチー! ちょっと勝手に失礼するっス! あ、あの、さっきのRINEの『お願い』はちょっとした出来心というか叶わぬ願いを口にしてみたかっただけというか! だから、いきなりの既読スルーはちょっと心にクルというか――」

 

 と。

 そこまでを口にしたところで、赤霧さんはようやく妹のミツミに気付いたようだった。

 驚きに目を見開きつつも、無言で会釈するミツミ。

 それに応え、無言で頭を下げる赤霧さん。

 おっと。ミツミにすこし紹介しておいたほうがいいか。


「ミツミ。こちらはお隣に住んでる、赤霧ナコさん。僕のクラスメイトでもあるんだ」


「ああ、そうだったのですね……わたしはてっきり、暴漢が押しかけてきたのかと」


「――ミッチー?」

 

 すると。赤霧さんがギギギ、と僕のほうに視線を向けてきた。

 冷めた軽蔑の眼差しだった。


「それだけは……誘拐だけはしちゃダメだって、なんでわかんなかったんスかー!!」


「大いなる誤解をしているッ!? い、いや、ミツミは僕の妹でして……!」


「嘘おっしゃい! 顔立ちも髪の質も、全然ミッチーに似てないじゃないっスか! ミッチーはくせっ毛が多い野良猫さんっスけど、この子は綺麗な毛並みのセレブ猫さんっスよ!」

 

 イメージの中でも格差がひどい。

 というか。そこまで僕のことを観察していたのか、赤霧さん。


「い、いや、でもミツミは本当に僕の妹で……」


「――はじめまして。ミツカゲの妹の、黒田ミツミと申します」

 

 まさしく間一髪。

 どう説明したものかと困窮する僕の隣で、ミツミが三つ指をついて自己紹介を始めた。

 やった、助かった!

 風紀委員長の名に恥じぬ毅然とした態度で、僕たちの関係を説明してやってくれ!

 

 そう胸中で応援する僕の期待を。


「ただし、兄さまとは血縁関係にございません」

 

 ミツミは一瞬で裏切ってくれた。

 なんでこのタイミングでその事実を明かすのッ!?


「わたしは母の、兄さまは父の連れ子でして。わたしたちが物心つく前に再婚したそうなのです。ですので、血縁上はまったくの他人なのです」


「み、ミッチーとは、他人?」


「ええ。つまりは、あなたが心配しているような仲にもなれる関係、ということなのです」


「ッ……、」


「ああ、すみません。こんな、ただのお隣さんには一切関係のないお話をペラペラと。ささ、兄さま。今日のわたしとの寝床を用意しませんと」

 

 不敵かつ挑発的な笑みを浮かべたまま、僕の左腕に抱きついてくるミツミ。

 それを見て、赤霧さんはどこか悔しそうに拳を握り締めた。

 気のせいだろうか。ふたりの間で激しい火花が散っている気が……。


「――ミッチー」

 

 意を決したような声音で、赤霧さんは僕に訊ねてきた。


「さっきのRINEのやり取り、覚えてるっスか?」


「え、えっと……たしか、ひとつお願いを聞いてくれたら許す、ってやつですか?」


「それ、やっぱりさっきの『お願い』を叶える形でよろしくっス」


「? はい、わかりました……ん?」


「じゃあ、さっそく準備してくるっスね」

 

 そう言い残して、早足で家を出て行く赤霧さん。

 まるでまた戻ってくるような言い草だったけれど、どういうことなのだろう?

 事態がいまいち飲み込めてない僕は、スマホでもう一件のメッセージ……赤霧さんが弁解したがっていた『お願い』とやらに目を通した。


『ミッチーの家で、お泊り会がしたいです』

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