48話 幼馴染と妹が家にやってきた。

 期待に胸をふくらませながら始まった夏休みは、流しそうめんのように緩やかに、そして怠惰に流れていった。

 毎日アニメを視聴し放題とは言っても、アニメの本数には限りがある。撮り溜めていた夏アニメも、ものの数日で消化しきってしまった。

 

 夏休みの宿題?

 知らない子ですね……。

 

 気付けばもう八月一日。すでに夏休みを一週間消費している。

 そろそろ宿題に取り掛からないといけないのだけれど……なかなかどうして身体がテーブルに向かってくれないのだった。


(あー、宿題もなにもない、アニメの世界に行きたいな……)

 

 現実逃避をしつつゴロン、と仰向けに寝転がり、クーラーの効いたリビングから快晴の青空を見上げた。

 暇だ。暇である。

 カイトと夜通しアニメ談義でもしようか? いや、それは夏休み三日目にもうやっちゃったしな。

 

 ちなみに。

 海イベントの日程と場所は、すでにRINEで決めてあった。

 終業式の翌日。カイトとふたりであらゆる宿泊先を検索し、ひとつ隣の他県に良さげな海水浴場と温泉旅館を見つけたのだ。旅館から海までは徒歩二十分ほどかかるが、学生にやさしいリーズナブルな宿泊料が決め手となった。


(ほかにもっと予定、決めておけばよかった……)

 

 確定している予定はその海イベントだけで、残りの夏休みの日程はすべて空白だった。

 暇人の極みである。

 まあ、どの時代の夏休みもこんなものか。

 祭りは準備のときが一番楽しい、なんて言われている通り、夏休みも訪れるまでが一番楽しいものなのだ。


(まだ午前中だし、昼寝でもしようかな……)

 

 セミの鳴き声をBGMに、惰眠を貪ろうとまぶたを閉じかけた、そのとき。

 ピンポーン、と無粋なチャイム音が響き渡った。

 新聞勧誘かなにかか? 眠りに入りかけていた気怠い身体を起こして、ため息をひとつ。緩慢な動作で玄関に向かい、はーい、と扉を開ける。


「……なんて恰好をしているのですか、兄さま」

 

 そこにいたのは、前髪パッツンの黒髪ロング少女――妹の黒田ミツミだった。

 涼やかな白いワンピースと麦わら帽子をかぶったミツミの手には、二ヶ月前同様、大きな旅行用バッグが握られている。


「まさかトランクス一丁で出迎えられるとは思ってなかったのです……わたしじゃなかったらどうするつもりだったのですか」


「やあ、ミツミじゃないか。どうしたの? 急に」


「急にじゃないのです。先週の金曜にRINEで『八月の初めにそちらに遊びに行くのです』と伝えてあったじゃないですか。お盆になったら黒田旅館は地獄のような忙しさになるから、英気を養うためにもそちらで休ませてください、と。そしたら兄さまも、『気をつけて来るでござるよ』って」


「あー、あのときか」

 

 先週の金曜というと、終業式でテンションがあがっていたときだ。

 ござる口調になっていたのも、カイトの武士につられていたからだろう。


「ゴメン、すっかり忘れてた」


「兄さま……」


「いや、大丈夫! 忘れてただけで、ミツミを受け入れる準備は万端だったから! ほら見てくれよ、この整理整頓されたリビングを!」

 

 そう言って、僕はミツミを家に招くと、カロリーメイキングの空箱と洗濯物だらけになったリビングをお披露目した。

 昨日今日と、赤霧さんは父方の祖父母の家に泊まりがけで出かけていた。すこし遅めの進路面談をするためである。

 なので。一切の食事を用意できなくなった僕は、五月以前の不健康なカロリーメイキング生活に逆戻りし、部屋も片付けないダメ人間に成り果てていたのだった。

 ドヤァ!

 が。どうしたことか、ミツミの目元は呆れたようにピクピク、と痙攣していた。

 

 ……あれえ?


「すみません、兄さま……この汚部屋をどうしてそこまで自信満々に披露できるのか、わたしには理解できないのです」


「僕にしては綺麗なほうでしょ? 褒めてくれていいよ!」


「バカ!」


「罵倒ッ!? ストレートすぎてお兄ちゃんビックリだよ!」


「これで綺麗だなんて神経が腐っているのです! それに……ああ、こんな身体に悪そうなジャンクフードまで……」


「チッチッチッ。ミツミ、それは栄養補助食品って言うんだよ?」


「やかましいのですよ。とにかく、いまから掃除するのですよ! そのあと、お昼と夕飯の買出しにも行くのです!」


「えー? こんな暑いのにー?」


「なにか言ったのです?」

 

 ギロリ、と殺戮機械キラーマシーンの瞳を向けてくるミツミ。

 クッ! 僕の妹がこんなに冷徹なわけがない!


「……なんでもないです」


「わかればいいのです。ほら、一緒に片付けるのですよ」


「はーい」


「――あれ、開いてる。ミツカゲー、いるー?」

 

 と。ミツミと共にリビングのゴミをまとめ始めたとき、玄関の扉が開くと共に、そんな声が届いた。

 玄関先を見やると、そこにいたのはルリカだった。

 原稿を執筆中だったのだろう。髪はいつも以上にくるっくるのボサボサで、目元には赤縁の眼鏡をかけていた。

 僕と同じように、Tシャツにパンツ一丁という開放的な恰好をしている。

 Tシャツに、パンツ一丁。

 Tシャツに、パンツ一丁……。

 ……うん。

 開放的すぎぃッ!?


「ちょっと、ミツカゲに頼みたいことがあるんだけど――」


「な、なな、なんて恰好してるのですか! ルリカちゃんはーッ!!」

 

 平然とあがりこんでくるルリカに、大慌てでミツミが駆け寄る。

 すると。そこではじめてミツミの存在に気付いたルリカが、パァ、とその表情を明るくした。

 僕と幼馴染ということは、妹のミツミもルリカにとっては幼馴染ということで――昔からルリカは、ミツミのことを本当の妹のように可愛がっていたのだった。


「ミツミん! なんでここにいるの? ボクに会いに来たの? やったー!」


「いや、英気を養うための休息に……って、る、ルリカちゃん暑いのです!」

 

 近寄ってきたミツミを、両腕で覆うようにして抱き締めるルリカ。

 ふたりの身長差はおよそ30センチ。ルリカの抱擁はまるで、食虫植物が獲物を喰らうかのごとき光景だった。

 と。ここでようやく、僕はルリカの痴態から目をそらすことに成功した。

 決して。小振りなお尻と、スラッと細長い脚線美に見惚れていたわけではない。

 決して。


「にゃはは! ミツミんも小さいなあ。かわいいかわいい」


「むごむぐぐぐー!」


「そ、それで? ルリカは僕になにか用があったんじゃないの?」

 

 なにもない天井を見つめながら問うと、ルリカはミツミを解放したのち、「ああ、そうでした」と言って、僕の視界の端に茶色の紙袋を見せてきた。


「はい。ここならボクのパンツ、見えないでしょ?」


「……いや、そんな変な渡し方する前にズボンを履いてください」


「家に戻るの面倒くさい……あ、じゃあそこら辺に落ちてるミツカゲのハーフパン借りるね」


「ああ、ルリカちゃん! そんな脱ぎ捨てられた廃棄物は履いちゃいけないのですよ!」


「僕は公害かなにかかな?」

 

 心で号泣しつつも袋を受け取り、ルリカに背を向けて中身を確認する。

 入っていたのは、青・赤・黄・緑の四色の丸が記されたシートと、小さなルーレットだった。


「ルリカ、これって……」


「ミツミんがいるのなら、ちょうどいい」

 

 ハーフパンを履き終わったルリカは、ミツミを背後から抱きかかえながら、言った。


「みんなで、ツイスターゲームをしよう」

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